4:カステラ
再びぽると堂に訪れた私は桜坂れいさんの計らいによってテーブル席に案内された。
こちらの席は、店で購入した商品をテーブル席に座って食べることができるとのことだ。
カステラについて語ったのだが、どうやら…私が語ったカステラへの持論がれいさんの好奇心を刺激したらしい。
テーブル席に座ると、すぐにれいさんが熱いお茶を持ってきてくれた。
緑茶ではなく紅茶だ。
ティーセットに角砂糖の入った入れ物。
久しぶりに目にするお茶だ。
「今出来立てのカステラをお出ししますので、少々お待ちください」
「これはどうも」
れいさんがカステラを取りに行っている間。
私は菓子店を見渡しながら昔の思い出に浸っていた。
新入社員として菓子会社に入った際には2年ほど工場現場に赴いて製造に携わっていた身としては、こうして手作り且つ、整ったお菓子を作れることに私はすごく関心しているのだ。
一応前世でお菓子作りに関わっていた人間として、目分量の素材を機材に投入した上で、自動ロボットなどによって大量に製造される工法で工場ではお菓子を生産していた。
この時代では菓子作りは基本的に手作りで行われる。
その為、店頭に並ぶ数は限られる。
設備やお菓子のサイズにもよりけりだが、個人経営の場合は多くて2000個とかそのぐらいだろう。
手作り菓子というのは個人による研究で練られたデータと、製造者の手腕によって味が大きく変わりやすいものだ。
卵や小麦粉などで生地を作る際の感触や匂いで判断したり、焼き加減もタイマーで測らなくても培ってきた感覚でこなしてしまう。
どのタイミングで、どのような作業をこなすべきなのか把握しているからこそできる技だ。
熟練度が高ければ高いほどコツを掴んで美味しいお菓子を作り上げることが得意だが、同時に新人など慣れていない者がお菓子を作るとなれば、それなりにコツを掴むための修行が必要になる。
工場のように一定の素材があれば後は機械がやってくれるが、手作りではそうはいかない。
個人の技量や熟練が足りない場合は著しく味を落としてしまう事が多い。
故に、個人で経営しているお菓子屋さんというのはそうした熟練度の高い職人を求めがちになってしまい、一から叩きこんでノウハウを積ませる工夫が必要なのだ。
現代で人気の料理店が閉店する理由の多くが、熟練者かつ後継者になりえる人間が不足していることによる人材不足が主な要因であった。
私の自宅の近所にあった餅屋も、地元では名の知れた名菓子店であったが、息子が餅屋を継がずにサラリーマンになり、夫婦も高齢となったことから店を畳んでいた。
この時代であればそうした人材不足による店仕舞いというのは早々起こらないだろう。
「お待たせいたしました。カステラでございます」
皿の上に二切れのカステラが乗っている。
フォークまで用意していた。
これはありがたい。
カステラは美味しいが、割と手掴みで取ると手がべとべとしてしまう。
その原因はカステラに含まれている水飴だろう。
カステラは砂糖だけでなく水飴もいれて製造されている。
故に、べたつきやすい。
「ありがとうございます、いただきます」
では、この美しいフォルムをしたカステラをチェックしてみよう。
私は最初にフォークをもって食品会社でも行っていた試食チェックの方法でいってみよう。
まず見た目だ。
美味しそうな匂いをしていても見た目がダークマターの如く黒色だったり、真青一色だったら食べる気は起こるだろうか?
とてもじゃないが起きない。
このカステラを様々な角度で眺めてみる。
見た目はとてもいい。
黄金色のカステラの生地に小さな砂糖がまぶしてあるので、その見た目の色は収穫直前の小麦のようだ。
卵や小麦粉を調合する際にキッチリと行っていなければこのような美しい色合いは出せないだろう。
見た目は100点だ。
次に匂いだ。
見た目が良くても匂いがキツイと風味が損なわれる。
匂いは、ほんのりと甘い香りが漂うが、この香りは実に食欲をそそる。
食べてほしいとカステラから呼びかけが行われているかのようだ。
これには私も思わず涎が出そうになった。
感触もいい感じだ。
弾力があり、それでいて…フォークにべた付かない。
バランスがいい感触。
この感触であれば食べた時の食感もよさそうだ。
そしてカステラを一切れ、口の中に入れ込んだ。
噛み締めるとカステラのふんわりとした食感が広がっていき、歯茎を包み込んでいくようであった。
もっちりとした食感の後にくるカステラの甘味が食感のボリューム感を持続させてきている。
美味い、実に美味い!!!
まさに絶品のカステラだ。
文句のつけようがない。
今まで食べた中で一番美味しいカステラだ。
カステラの甘さにとろけてしまいそうになるほどに…美味い。
私が開発した雑穀煎餅とは比べ物にならないほどだ。
なぜこのカステラを主力商品にしないのか疑問したいほどに美味しい。
気がつけば私はカステラを食べて終えてしまっていたのであった。
「お味は如何でしたか?」
「とても美味しいですね…今まで様々なお菓子を食べてきましたが…これほどまでに美味しいカステラを食べたのは初めてです…本当に、すごい洗練された感触と甘みです。中々できるものではありませんよ。是非店の看板商品にすべきです!」
「それが…これは諸事情があって作れるのは一日10竿程度なのです…でも、当店のカステラを味わっていただけたのなら本当に嬉しいです…!」
れいさんは笑顔で答える。
10竿しか作れない事情が気になるが、あまり深入りして面倒事になってしまうのは避けたい。
私はれいさんと雑談を交わしてお代をれいさんに支払う。
価格は紅茶代込みで2円90銭であった。
少々値段が張ったが、それでもこれだけ美味しいものを食べさせてもらったのだ。
むしろもっと値段を上げてもいいぐらいだと思う。
そして最後にれいさんが私に仕事が見つからない場合は、このお店で働くことを勧めてきた。
だが、私は私自身の手で店を切り開いていきたいと考えている。
それにこれだけ鮮麗された味を出すには相当の練度が必要であると私は直感する。
1週間でマスターできるとは思えない。
なので今回は一旦お断りした上で、数日ほど色々な仕事をしたうえで最終的な決定を下したいとも語った。
「まだ私は半人前の身です。ひとまず様々なお店を回ってみてから決めたいので、それまで保留という形でもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ!もし、お菓子作りのお仕事で当店に出来ることがございましたら何時でもいらしてください!」
「そうですね、もしその時が来ればいずれまた来ます。美味しいカステラと紅茶…誠にありがとうございます、では、私はこれで…」
籠を背負い、私はぽると堂を後にした。
100メートルほど歩いてからふと後ろを振り向くと、れいさんが私をじっと見つめていた。
うむ…やはり何か引っかかる事でもしてしまったのだろうか…。
とにかく、お世話になる場合はまた日を改めてご挨拶に伺うとしよう。