3:クッキー
「こらっ!待ちなさい!!!店の物を盗んじゃだめだよ!!!」
駆けだしていくと子供は人混みを巧みに避けながら走っていく。
身体が小さい利点を使ってひょいひょいと逃げていき、差は広がる一方だ。
これだけ小さい子にもかかわらず持久力というか…走っていられるのであればマラソン大会で優勝しそうな気もするが…。
その時、クッキーを抱えて逃げている子供が走ってくる馬車の目の前に飛び出した。
「あっ、危ない!!!」
馬車に踏みつけられる直前に、その子供は馬の下をスライディングをかましながらすり抜けて行った。
なんという判断力。
そしてパワーを持っているんだと思わず関心してしまったほどだ。
引かれてしまったかと思ったが、馬の下をすり抜けてしまうとは思わなかった。
「馬鹿野郎!!!!あぶねぇじゃねぇか!!!きをつけろぉぉぉ!!!!」
馬車を運転していた人が子供を怒鳴りつけているが、馬車が止まって回ってみると、その子は既に消えてしまっていた。
取り逃がしてしまったようだ。
周囲の人も捕まえようとしたが足が非常に早いのでもう路地裏の通りにいってしまい、ついには見失ってしまった。
取り逃がしてしまったことで思わずため息をついてしまう。
「はぁぁっ…まさかああして逃げるとはね…参ったなこりゃ…」
立ち止まって呼吸を整えていると、後ろから店員さんが追いかけてきた。
店員さんも私の後ろから追いかけてきたのだ。
店員さんはベーシックな赤色の袴姿をしており、先程は子供に夢中でよく見ていなかった。
私が立ち止まっていたことで、てっきり捕まえたのかと思ったようだ。
彼女は子供何処に行ったのか私に尋ねる。
「…さっきの子供は何処に?」
「申し訳ない、逃げられてしまいました…あの馬車の下をくぐって向こうの路地裏に逃げて見失いましたよ…すみません」
「いえ、むしろ追いかけてくださってありがとうございます…さっき真剣そうに商品を見ていらしたので…何かお探しでしたか?」
「ええ、私は今日東京に来たばかりで…先程新橋駅に到着したのですよ。この辺りの探索とお菓子作りに役立つ物を揃えようとしていた最中でした。どれも美味しそうだったので選んでいる最中でしたよ」
「まぁ…そうだったのですか。最近は新しいお菓子作りに挑戦する人が増えていますからねぇ…特に横浜では健康的で脚気患いにも効く新しい煎餅が人気を博しているみたいですし…沢山の人がお菓子作りに挑戦し切磋琢磨して腕に磨きがかかるのはいい事ですわ」
「…ハハッ、確かにそうですね…みんなでより美味しいお菓子を作ろうとするのは良い事です…」
あの馬鹿兄弟の策略に嵌ってしまい利権と貯めていた財産を失った上で、横浜で人気が出ている雑穀煎餅の開発者は目の前にいますよお嬢さん。
わりと東京でも雑穀煎餅は話題になっていたようだ。
…となれば、東京で雑穀煎餅の名前で売り出してもあの兄弟には利権が握られているので売り出すのは無理そうだ。
材料のネタなどはこちらが握っているけど…。
女性は私がお菓子作りに精を出そうとしているのを見抜いてか、深みのある会話を切り出してきた。
「なるほど…では、お菓子作りの為に帝都にやってきて今後の参考がてらに商品を購入しようと思っていたのですか?」
「はい、特にカステラを買おうと思っておりました。生地もしっかりとしていましたし、なにより色がいい。クッキーも形は良いと思いましたが、調べるには貴方のお店のカステラが、もってこいだと思いました」
「カステラですか…うーん、うちの店ではクッキーを主力商品としているのですが…その、カステラのほうが良いと思った理由を教えてもらえませんか?」
「カステラは、材料の調合歩合が悪いと形が崩れやすくなりやすいですし、かといって砂糖や水飴を入れ過ぎてしまうとカステラの場合は味が甘すぎて風味が損なわれてしまいます。カステラはポルトガルから伝わり、鎖国体制下であった徳川将軍の時代で独自に進化を遂げた菓子です。つまり洋菓子から進化して和菓子へと変貌を遂げた数少ない菓子でもあり、同時にお菓子を作る上で欠かせない洋菓子・和菓子の特性を持つお菓子だからでもあります…」
私は知っている限りの知識で女性に話した。
以前の商品開発の時も、和菓子の事を調べていた時にカステラは本場ポルトガルから伝わったものの、製造方法が異なる菓子になった和菓子であることを知って驚いたのだ。
おまけに日本に伝来して400年以上の歴史を持つので江戸時代から親しまれてきたお菓子でもあるのだ。
こうした事実を踏まえたうえで店員の女性にカステラの魅力を語ったのだ。
ちょっとだけテンションが上がってしまったこともあってか後半は早口になってしまった。
「す、すごいですねぇ…そこまでお詳しいとは…あっ、お名前をお伺いしてもらってもよろしいでしょうか?」
「…あっ、申し遅れましたが私の名前は阿南豊一郎と申します」
「阿南豊一郎さんですね…私は桜坂れいと申します。宜しければ是非お店に来てもらってもいいでしょうか?かなり若そうですけど、私より知識がありそうなので…いえ、是非ともお店に来てください!」
「私でよろしければいいですよ」
本所の長屋住宅を見て行こうと思ったが、それよりも桜坂れいさんが興味を引かれたようだ。
時間はまだたっぷりある。
折角だから行ってみよう。
私は再び菓子専門店であるぽると堂に足を踏み入れた。