1:新橋から本所へ…
…■…
明治28年、6月24日。
午後3時…帝都東京。
私は東京にやってきたのだ。
前世で東京に行ったのはバブル経済で潤っていた1989年に社員旅行で繰り出して以来、体感で実に20年ぶりであった。
現代のように摩天楼輝く高層ビル群や東京タワー、スカイツリーなどの個性的なランドマークタワーがひしめき合う巨大都市ではないが、それでも人口は多いだろう。
列車の窓から無数に地面から生えている木造建築の建物が沢山存在し、通りには大勢の人々が行き交っているので、ああ、ここは日本の首都なんだなと再認識させられる。
私の心は小学生のように内心はしゃいでいた。
1989年時の東京ではない、19世紀末の東京なのだ。
嫌な出来事を極力思い出さないようにして、気分を変えている。
窓の景色を眺めていると列車の揺れが止まった。
どうやら終点に到着したようだ。
駅員さんがやってきて終電の新橋ですと乗客に言っている。
「ご乗車ありがとうございます。新橋駅に到着いたしました…忘れ物がないか確認してお降りください」
新橋駅に到着した私は駅のホームを降りて、改札で切符を渡して駅の外に出る。
馬車や人力車が通りを走り、西洋文明を受け入れて文明開化真っ盛りの東京に到着した。
横浜と違うのはやはり人の多さだろう。
首都ということもあって、横浜よりも人口は多い。
行きかう人々はどこか新しい時代の流れを快く受け入れいているのか、表情もどこか明るいように見える。
「私もこれから頑張らないとな…」
そんなちっぽけな決意を呟いて私は歩きだした。
到着したならまずやるべきことは何か?
それは住む場所の確保だ。
場所がないと流石に困る。
野宿するにもこの時代は街頭はガス式のものがやっと普及し始めた頃なので、灯りが殆どない。
つまり、夜を歩くときは提灯などを持って歩かないとかなり暗い上に治安が悪い場所では野盗に襲われるリスクもある。
なので、多少お金がかかっても安全な場所で寝泊まりするのが筋だろう。
長屋でもいい、とにかく住める場所があればそこで過ごす。
幸いというべきか、駅から徒歩3分の場所に長屋の空き部屋の広告が張られていた。
一月7円…。
場所はここから6キロほど離れた本所区という場所にあるそうだ。
本所区…たしか現代でいう所の墨田区の一部であった場所のはず。
その通り道にはいくつか商店街なんかも立ち並んでいるらしい。
東京の…それも一昔前の商店街であれば生活用品を買うのもいいかもしれない。
リュックサックはまだないが、竹で作った竹籠というものならあるはずだ。
それを背負っていけば実質的にリュックサックの代わりになる。
で、仮にこれから東京で暮らすとしてだ…。
これからどうやって生活するかが課題になる。
出来れば私の知識を生かした食に関する仕事に精を出したい。
雑穀煎餅があれだけ売れたんだ。
他にしまい込んでいるアイディアを使うのも悪くないだろう。
同時に今後暫く元手になるお金を稼ぐか、自分のノウハウを売り込むか…どちらにしても先のような失敗をするようなことはしたくないものだ。
好立地での商売を一郎と次郎のような悪い奴らによって台無しにされた経験から、より慎重に商売をしなければならない。
そして、どんな食べ物が食べたいか。
持ち運びがしやすいか。
味は万人受けするか…。
そうした事を踏まえて、且つ、この時代でも入手が容易で競争相手がいないお菓子づくりに取り掛かりたい。
それにはまず機材の購入や原材料を仕入れている商店の把握。
かつ、利益が見込まれるかの計算も行わなければならない。
やはり料理になると手間もかかるし、食堂などを作るとなればそれなりのノウハウが必要不可欠だ。
私にはそうした経営としての知識はあまりないし、あるのはお菓子作りで培ってきた技術だけだ。
…であれば、まず最初にやるべきことはレシピの研究と販売する上で必要な道具を調達しなければ…。
東京に来てもやる事だらけだ。
けど、忌々しい事ばかり口にして私をのけものにした奴がいないだけで、心理的負担は殆どない。
むしろこれから頑張れる気がしてくる。
私は早速帝都の街中を見渡しながら一歩一歩、ゆっくりと歩きだしたのであった。