これまでのあらすじ
「私による近代日本改革記」の続編になります。
グルメや料理を中心に主軸がずれないように努力してゆく所存でございます。
これからもよろしくお願いします。
〇…〇
世の中には科学では説明のつかない現象が起こることがある。
そしてタイムスリップという言葉は私には当てはまらない。
…かといって現代で流行っていた異世界転生というやつでも当てはまらない。
私こと、阿南豊一郎は130年以上前の明治28年に同姓同名の青年の身体に精神が転移したのだ。
言うなれば上記二つの属性をリミックスしたようなものだと思えば話は早いだろう。
前世といっていいのか…。
この身体に転移する前は地方の食品会社新商品開発部の主任として長年勤務していた。
そこではお菓子を中心に様々な食品を開発し、コツコツと数十年間地道に働いてきた。
大企業ではなかったが、それでも時々ヒット商品を出している上に地元ではよく売れている商品を持続的に販売していたので給料は良かったし、ヒット商品を出した際には開発部にはボーナスが一律で50万円至急されるなど、かなり高待遇であった。
だが、そんな私にとって変わりない日常が、猛暑を通り越した酷暑の真っ只中、朝から気温が30度を超える猛烈に暑い日に突然終わりを迎える。
いつも通りに会社に出勤し、新商品開発研究部で朝礼を終えてから、保健機能食品と健康志向を兼ね備えた虫歯になりにくいガムの開発をしていた時にそれは起こった。
ガムの成分の調合をしていたら突然頭をバットで殴られたような強い衝撃と針を突き刺すような鋭い痛みが襲い掛かった。
激痛という言葉以外にあてはまるものはない。
私はその場で倒れ込んでしまった。
「主任!主任!しっかりしてください!」
「主任が倒れた!誰か救急車を!!!」
部下たちが慌てふためく様子が耳の中に聞こえていたが、次第にその声は聞こえなくなり、目も視界が歪んでいき、そして耳が聞こえなくなると同時に目も見えなくなった。
意識がどんよりと宙に浮かんだ状態。
私はなぜ自分がこうしているのか理解するのにだいぶ時間が掛かった。
恐らく脳梗塞だったのかもしれない。
規則正しい生活をしてきたつもりだったが、脳梗塞は誰でも患うリスクのある病気だ。
父親も脳梗塞を患って33歳という若さでこの世を去っている。
父親よりは長く生きたが、死因は父親と同じようなものが原因だったようだ。
幸いにも私には家族はいない。
親戚はいるが、残された家や車などの財産は彼らが相続をしてくれればそれでいいと考えた。
死んだら天国や地獄には持ちこめない。
もし死んだのであれば新しい人生を歩もうと考えた。
誰かの役に立てるような存在になりたいと無の中で願った。
神様とやらがいるのであれば…もう一度、私の人生をやり直す機会を与えてほしいと願うとその祈りは通じたようだ。
無のような場所から覚めたと思ったら、見知らぬ和室で目を覚ました。
私はそこで初めて知った。
願いが通じたのか、私は前世の記憶と知識をもって転移していたのだ。
それも異世界やファンタジーの世界ではなく、歴史の教科書に載っている一世紀以上過去の世界であった。
名前は阿南豊一郎。
年齢は15歳。
新聞の日付を見て明治28年4月17日だと知らされた。
日清戦争における下関条約が締結されたまさにその日に私は過去の同姓同名の人物に精神…いや、魂が転移していたのだ。
横浜の阿南商店を営む阿南草摩氏の息子であった。
だが、母を除いてあまり家族との仲はよろしくなかった。
というのも、私は阿南草摩氏の再婚相手である母親の阿南きよの息子であり、立場的にも阿南家において一番下であった。
再婚相手で年齢も下であるという事で差別を受けた。
家族の中でも地位が最下位であるのは理解していたが、特に目に見えた差別といえば食事であった。
家族が白米やみそ汁、焼き魚や牛肉などのタンパク質が豊富で旨い飯が食べている中、私だけ麦飯と漬物しか与えられなかった。
また、阿南草摩氏の息子である阿南一郎と次郎は現代でいう所の不良であり、特に一郎の素行は極めて悪かった。
学校で相手の左耳に大怪我をさせて停学処分を下された過去を持つ。
何かにつけて暴力を振るう上に、店番を一緒にやった時には商品が数ミリズレているというだけでいきなり鉄拳制裁を行い、鼻血が止まらなくなるまで殴られた。
次郎は一郎よりは話の分かる人間であり、理由もなく人を殴らないだけ一郎よりはマシだが、彼もまた一郎と同じ加虐性質を持ち合わせており、入社している会社が雇っている用心棒として働いていた。
そしてただの用心棒ではなく、その会社は横浜の港で賭博や違法な密売取引などを行うヤクザの舎弟企業であり、実質的に次郎はヤクザをやっているのだ。
こいつらが力で権力を振るうのであれば、私は自分の知識と技術でその力に対抗しようと考えた。
そして思い付いたのが、前世での経験を生かしたこの時代でも製作可能なお菓子作りであった。
母からもらった小遣いを元手に資材を揃えて、健康志向を目的としたビタミンを多く含んでいる雑穀類を煎餅にして商店に並べて売り出したら飛ぶように売れた。
脚気対策として誰でも買える値段にしたことで開店前から既に人が並ぶほどであった。
雑穀煎餅は売り出してから僅か一か月で月に120円以上の収入になり、この時代の国家公務員の二倍以上もの利益を出すほどになった。
そして私が獲得した利益も父親への場所代やら材料費を引いても50円にもなり、好きな食べ物を自分で買うことが出来るようになった。
このままいけば順調に抜け出せる。
そう思っていたが、私の認識が甘かった…。
一郎と次郎は彼らよりも金を貰い、そして成果を出している私のことを憎んだ。
憎んだ故に二人は結託して私を罠に嵌めたのだ。
ある日、次郎から新しい機材導入を勧められた際に私は丁重に断ったのだが、その際に一郎が私の象牙で出来た印鑑を盗んで勝手に私名義で企業との取引を行い、当然その事を知らない私は二週間後に私文書偽造と詐欺行為で逮捕されたのだ。
異父兄弟の謀略により詐欺罪をでっち上げられて留置場に収容され、私は聴取を行った警察官から暴行を受け、罪を認めるように自白を迫られた。
その間に一郎と次郎は雑穀煎餅を他の企業に勝手に売り込んで次々と提携を結んで莫大な利益を出していた。
罪を認めるのと、雑穀煎餅の権利を放棄すれば罪を取り下げるという提案が企業側から出されたことで、異父兄弟だけでなく企業もグルになって私を陥れたのがハッキリとなった。
こんなはずじゃなかった。
だが、このまま留置場にいては精神も身体もおかしくなる。
私は苦渋の決断を迫られた。
そして、私はありもしない罪を認めて雑穀煎餅の利権放棄と引き換えに留置場から出ることが叶った。
阿南家とも絶縁されたことで、私はこれで前世と同じく孤独になった。
いや、一人のほうがいい。
新しい場所で、誰にも邪魔されずに新しいお菓子作りをすればいい。
そして暴力的な異父兄弟からも離れることができるのだ。
それだけでも十分幸せだ。
不幸中の幸いというべきか、他のお菓子のレシピなどはまだ書いていなかったことで雑穀煎餅以外の考案中のお菓子まで利権を取られるようなことは無かった。
母から手切れ金として手紙と30円ばかりを受け取り、私はこの時代にやってきて慣れ親しんだ横浜を去る。
汽車の窓から少しずつ遠く離れていく横浜を背に、私は新天地に到着するまでの間。
これまで起こった前世の出来事や雑穀煎餅、そして留置場での出来事などを振り返っていたのであった。