満月
「───あの時は本当に、幸せだったよ」
イドルは乱れない雪原を見て……そう呟いた。
外で叛逆軍の声が高鳴る。
けれど二人は、反応せずに目を伏せた。
「……その後に、何があったの?」
「───無垢だよ。そこから歯車は狂い始めた」
直後。
二人の背後……小さい建物の裏の雪が踏みしめられる。
静かに。気付かれないように。
「……!!」
察してしまった彼女は、無意識に会話を聴いていた。
息を潜めて。指輪の光を隠して。
───小さな寒風が頰を伝る。
たった少しの憤りが、イドルの顔に浮かぶのを……横のフェルナは見た。
「狂って行った……。そんな慈悲深い家族が?イドル君達が?」
けれどフェルナは、危険を顧みずに聞いた。
自分の本心の赴くままに。
「確かに。俺も予想すら出来なかった……だからこそ、こうなっちまったんだろうな」
イドルはまた、満月を見上げた。
そして消え入りそうな声で、彼は告げた。
『──────あれは、こんな綺麗な満月輝く日の事だった』
♦︎
母様が温室に何故入り浸るのか。
何故温室以外で、母様を見かけないのか。
いつも車椅子に乗っているのは、足が弱い以外に理由があるのか。
───彼ら二人の兄弟は、その真相を……あの満月の日に思い知った。
母様は病弱だった。
確かに最初……子供の時には、予備知識位にしか思っては居なかった。
だって『軽い』と聞いたから。
なのに───。
「カーネ!大丈夫か!?……薬を!」
「───え、ええ。大丈……ゴホッ!!」
……血を吐いているなんて。
大量の薬無しには安静すら得られない程に、母様は弱っていたなんて。
「……!?何故薬が……カーネ耐えろ!───ぬぅ!メイド、担架を!!」
「あ、はい!アザミ様!!」
父、アザミ・スノウストは慌てふためいていた。
自身の貴重な服に血を被っても尚、嫁の命を案じていた。
両親の見た事も無い側面。
凛々しい父は冷や汗を垂れ流し。
慈悲深い母は血反吐を吐き続ける。
どれだけ薬を投与しても、魔法で治療しようとも。
その呪い染みた不治の病による吐血は、止まりすらしなかった。
「母……様」
予想外。余りにも……非現実。
ユリの花は、小さな兄の足によって踏み潰された。
魔法の鍛錬で、少し母に会うのが遅れただけなのに、何故……。
兄ユリ第一王子の顔は、そんな複雑な感情に歪んでいた。
収集がつかない状況。
思考は纏まらず、ただ兄は花々に隠れて状況を俯瞰するのみ。
それしか……ユリには出来なかった。
「───カーネ!!」
月光照らす、吹雪隠さぬ温室に父の叫びが響いた。
同時に。
「!!?」
───敬愛していた母が、車椅子から崩れ落ちるのを兄は見た。
弟が居なくて良かった?……希望的観測過ぎだろう。
父に抱えられるカーネ。
意識が在るかすら確認出来ない。
けれど、薄っすらと。
───母の横目が、ユリを捉えた。
そして。
「……託したわ、よ───」
「何を言っているカーネ!」
母の掠れた声に、父は涙ながらに訴えた。
けれど、ただ一人……ユリだけは。
母の、苦し紛れのあの笑顔を───見届けていた。
その声は届かなかったが、唯一。
唯一届いた物が在った。
それは。
「ストロブ・ラザー物語……」
最後の力を振り絞って放たれた、母様の転移魔法。
それによって兄の手元に来たモノは……母様が良く詠んでくれた本だった。
それは鮮血に塗れていたが、気付けばユリは本を手に取っていた。
けれど、その『意図』は理解出来なかった。
「……これって───」
困惑に満ちるユリの顔。
……だが、その顔が上げられる時には。
「!!?……居ない───」
母様は大量すぎる鮮血だけを残して、温室から消えていた。
兄が知るのは……ここまで。
その後母が何処へ行ったのかは、探りすら出来なかった。
♦︎
だが、弟イドルは知っていた。
その後の母様の逝く末を。
唐突に過ぎた───絶望を。
「はぁ……事象操作やら何やらで、かなり疲れたなぁ……」
イドルは歩む。
物資の削減か、ランタンが灯らない暗い廊下を。
けれど臆せず、満月の綺麗さを胸にイドルは温室に向かった。
「今夜は月も見える……今夜は寝られなさそうだな───ッ!?」
けれど見てしまった。
母様との語り合いに胸を踊らせる反面、その母様の有様を。
かつての執事スーゴに担架で運ばれ、その上で横たわる母の状態に。
「母様ぁッ!!!」
「イドル!?何故ここに……ッ!」
驚く父。
担架と並走しながらも血を被る国王は、息子には弱かった。
いや……目の前の隠し事、故なのだろうが───。
「日課だよぉッ!!それよりも母様はッ!!」
「───いや……」
父は目を背けた。
かのカーネの容態を、まだ無垢過ぎる息子に伝えない為に。
だが、その優しさ故の行動は……イドルの混乱を招き入れた。
「……どうなんです!!一番混乱してるのは───」
父以上に冷や汗を流すイドル。
その震える様な動きが、イドルの混乱をそのままに示していた。
横に動く担架。
吐血に塗れた母の体。
母の綺麗な銀髪は血に汚れ、その碧眼すらも光を失いかけていた。
だが。
「イド……ル……」
母の紫がかった唇は、震えた。
混乱に呻く息子の腕を、母の腕は掴んだ。
「カーネ……動いては!」
「カーネ陛下!もう少しの辛抱です───」
父と執事スーゴが、喚き立てる。
そう。イドルにとっては……母以外の声など、雑音に等しかった。
メイドの叫び。
目に見える父とスーゴの焦り。
その中で、ただ一人───イドルだけは聞き取った。
母の、最後の言葉を。
「──────バットエンドになんか、させないで」
その顔は、美しかった。
大量に流された涙は……痛みからか、悔しさから来たのか。
イドルは後者を選び、釣られる様に泣いた。
「母様ッ!」
吐血に滲む母の顔は、死地でも尚───輝いた。
だからなのか、イドルは泣くしか無かった。
───『生きろ』と言葉を投げ掛ける事も出来なかった。
無垢さからなのか、浮き上がるのは哀しみだけであった。
結局、イドルは転けた。
遠くに消えていく担架を見ても尚……イドルはそこで泣き叫んだ。
「母様ァァァァァァアア!!!」
───だからだ。
兄弟の眼には、あの満月の夜が焼き付いている。
あの遺言が。母様の伝えたかった意思が。
兄弟は、一度も寝れずに夜を明けた。
──────その後、父から母の死が伝えられた。
あの日の、あの夜の翌日。
ユリが九歳の時だった。
まず感じたのは、無力さだろうか。
裏を返せば、あの兄弟は───この歳にして、無力さを味わったのだ。
何故母様の容体を知れなかったのか。
何故母様を救えなかったのか。
その収集が付かない妄想は、かの温室によって帰結した。
そこからだろうか。───狂い始めたのは。
回想長いですね。
結構短くしようとしたんですが……心理描写と書くと、ちょっとね───。
まぁ、地の文多過ぎるのも何ですが……これもまた一興。
この回で少しばかり伏線回収できたかなと、思います。
あ。出来れば流れる様にご評価を。
……以上、作者の戯言でした。