混乱と決意
何ということだろう。来たばかりでまずは挨拶をするだけのはずだったのに、段階を一気に飛び越えた。
あの場は結局あれだけで、明日から正式な話し合いを行う予定となった。滞在に用意された区画に案内されると、自国の者のみで一度集まり話をした。
少々混乱しながらも、父の側近は唯一示された条件のエステルの結婚について改めてエステルに確認をとった。残りの赤の王が宣言した部分は、宣言されたとはいえ口約束。正式に同盟が結ばれるまでは分からず、また、明日からの話し合いで詰めていく事項だとした。
「どういうことなの……」
その後一人部屋に来たエステルは、通された部屋の内装を見る余裕もなく椅子に腰かけて手を握りしめる。
「エステル様、何か起こったのですか?」
「リジー」
部屋に入ると思わしくない顔をし続けていたエステルに、頃合いを見て侍女が話しかける。彼女は先にこちらへ案内されていたために、何が起こったのか目撃していない。
けれど王との対面を果たして後からやって来た使者としての役割をする面々の様子で何かただならぬことが起きたと察したようだった。
エステルは考え込みながらも、考えを整理するためにも口を開く。
「リジー、私、赤の王と会っていたわ」
「え?」
「先日、緑の国がせめてきたでしょう」
「はい」
「その場で、会ったわ」
突拍子もない話に、リジーは目を丸くした。
「どういうことですか?」
「私を救ってくれたの、あの人よ」
危ないところを助けてもらい、礼を言うために探していた人物が赤の王であったことを話した。
「まさか、赤の王でしょう」
「ええ。でもそうなのよ」
侍女はあり得ない、と言おうとしたのだろう。
商人、平民であれば国間の行き来は許されればそれなりにする。だが赤の国とあろう身分の者が他国の領土におり、それも戦場で手を出すなんて信じられない。助けてもらったので、それに関しては文句は言えないし感謝しているが……。
「髪の色が違ったのは、きっと魔法で変えていたのね……。それに、あれが、赤の国の王族の魔法だったのだわ……」
茶の髪。あれが赤い髪だったら、エステルとて分かったかもしれないのだ。
何しろ、あの強い力。初級の魔法に属する、火を灯す魔法は誰にでも使える。だがあの魔法の炎は別だ。その場に何も残さなかった特別な力を持つ魔法は、赤の国の王族のみに許される魔法に違いないとの確信があった。今さら気がついてどうする。
けれどあの場にいるなどと、誰が思おうか。
「しかしそうであるのなら、どうして赤の王がいたのでしょう」
「分からないわ。同盟の話を持ちかけられて、様子でも見に来ていたとでも言うのかしら……?」
王が。
「それでね、同盟の話で宣言されたことで、さっきまで話し合っていたの」
「話し合いは明日からでは」
「その予定だったのに、赤の王が急に話を始めたのよ」
「何か、無茶な要求が?」
険しい表情で恐る恐る尋ねてくる侍女にエステルは首を横に振って否定してみせる。
「同盟の話は受ける。後ろ楯ともなり、国が攻められるなら兵を貸す。無茶な要求はしないって」
「――――本当ですか?」
「ええ本当。赤の王が言った限りではね」
「無条件なのですか?」
「いいえ。一つだけ」
無条件であれば、もっと混乱して疑いに疑っているところだ。
「私を妻にすると」
「エステル様を――やはり、そうなってしまったのですか……!」
リジーは悲鳴混じりの声を上げたので、エステルは仕草だけでそれを鎮める。反発的な内容は、極力相手の国の領域で話すべきではない。
「それはいいのよ。すでに聞いていたことよ」
心構えはあるにはあった。エステルにとって今の問題はその点であるようで、厳密にはそのことについてではなかった。
悩むところに話が追いつき、エステルは再度眉を寄せて考え込む。
「どうしてかしら。私、同盟さえ突っぱねられるかもしれないと思ったのに」
「なぜですか?」
「赤の王の手を払ってしまったの」
「――失礼ですが、誰の手をと」
「赤の王の手を。……だって、まさか、『あの人』が赤の王だと想像もしていなかったから、混乱して……」
同盟の話がなくならなくて良かった。自分が輿入れするだけで済むかもしれない。それは事実で、本心だ。恐れていたことは起こらなかったのだから。
でも今、たった一つだけエステルの胸には引っかかるところがあった。
「会えたことを、喜ぶべきなの?」
もう一度だけ会って、と探していた人が思わぬ形で目の前に現れてエステルは未だに受け止め兼ねると共に、どう捉えてどんな風に思うべきなのか全然分からなかった。
侍女は主の悩むところが正確には分からず、独り言を呟く主の傍らで首を傾げた。
*
明くる日、話し合いの場が設けられた。そもそも今日からの予定だったのだ。
エステルも同席したその場で、赤の国の驚くほどの好条件は揺らぐことはなかった。これが領土争いに勝ち、着々と領土を増やしている赤の国なのかとまた驚くはめになる。
そちらの意見はと問われても、こちらが準備してきたのは無茶な要求や厳しい要求をされたときの緩和方法だ。文句などあろうはずはなかった。
早くも最終的な詰めに入りそうなので、その前に失礼ながらと今一度確認しそうになった。
これからの協力体制の細かな話が早くも始まり、エステルたちの国の現在の厳しい状況をすでに踏まえた赤の国は、国境を固める援軍を提案した。状況によっては貴族もと。
話し合いはほぼ一日中かけ行われ、一日でまだ仮とはいえ形が出来上がった。同盟の唯一の条件である、赤の王とエステルの婚姻も決定事項と言っても良い。
その夜開かれた晩餐会で、エステルは赤の王を盗み見た。
心惹かれていたはずの男性は赤の王。それだけでもずれが生じるのに、同盟の証として結婚することになる。たった一つの条件のついた同盟の話がとんとん拍子に纏まっていく中、エステルには不思議と現実感が湧かなかった。
自分のことで、気になっていた人と発覚した人となのに。喜ぶには国同士のことなので不謹慎と思っているのかと思うと、ちょっと違う。引っかかっているところがあるのだ。
話が途切れない程度に赤の王と時折話しているが、どうも落ち着かない。
「さて、今日で粗方の話は纏まった。予定されていた日程はあるが、一度国に持って帰るか?」
「そうさせて頂きます」
ほぼ話は決まったと言っても良いが、一旦国に持ち帰り最終的な確認をし、手続きを経て、正式な同盟が結ばれる運びとなるだろう。
「王女は今暫く我が国に滞在してはどうか」
滞在?
エステルももちろん、明日には国に戻る予定だ。この国にいるべき仕事は終わった。
余計なことは考えずに見ていた赤の王を注意深く見つめる。滞在を勧める言葉が、どういう意図で言われているのか分からず、答えを窮する。
「遠くない日にこの国に来ることだ。この機会にいずれ住む場を見ていてはどうだ。それに――何も知らぬ男に嫁ぐよりは良かろう」
いつの間にか場の意識が、赤の王とエステルの会話に集中していた。正確には王の言に、だろうか。
一方、注目の片方にあるエステルは赤の王の言葉で思い出したことがあった。
昨日不意打ちで再び会ったことで、常に混乱が底にあり続け、話し合いのことを考えなければとばかりしていた。その思考により隅に追いやられたこと。
エステルは元々、同盟の話をしにくる使者の一人ではなかった。後に赤の国から指定されたとはいえ、その前に自分で使者の一人となると決めていた。理由は――「この国に無理難題を突きつけてくるような国なのか、それに私が嫁ぐかもしれないところよ。赤の国と、国を率いる王を見てくるわ」と兄に言った。
――私はこの人のことを知らなければならない
同盟の相手、国の命運を左右する関係を持つ国の頂点であり、自分の夫になる人だ。
エステルが結論を出した時間は短かった。不思議なほどに悩みはしなかった。
そうして、エステルは微笑んだ。
「お言葉に甘えてもよろしいでしょうか、赤の王」
半ば挑むような言い方になった。
思えば疑問はたくさんある。どうして振り回されてばかりいなければならないのか。
相手が言葉通りの本心をどの程度持っているのかは分からないけれど、滞在してはどうかという提案を元より断る道は狭い。それならば機会を存分に有効に使わなければ。
「改めて歓迎しよう、金の王女」
答えを聞いた赤の王は笑って言った。
その笑顔に、エステルの心のどこかがどきりとする。そう、赤の王は先日助けてくれたあの人だ。
見る顔、聞く声は確かにそうだと再度確認して、もうなぜだとかで混乱も隅の方に置いておくこともしない。延長された滞在期間で、赤の王のことを知る。話して、知れたら良い。
エステルは一人、密かに決意した。