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姫君の恋煩い





 国の方針と国民柄もあるのか、思えば生まれてこのかた、周りには優しいとも言えるがエステルが引っ張れるような頼りない男性しかいなかった。

 それゆえに、あの出会いは衝撃的だったのだろうか。


「エステル様、どうされたのですか?」


 尋ねられて、ぼんやりしていたらしい意識が急激に現実に戻ったと自覚した。人払いしたわけではないから一人になったはずはないのに、完全に意識の底に沈みこんでいた。慌てて横を見ると、リジーがいる。


「ため息をおつきになっていましたよ」

「ため息?」

「はい」


 酷く物憂げなため息をついたのだと侍女は言う。


「このところぼんやりされることも多くなっているように思います。何か気がかりなことがおありですか?」


 エステルはドキリとした。見透かされたのではないかと思ったのだ。心配そうな表情でこちらを窺うリジーに見つめられ、目を逸らしそうになる。

 ……いいや、なぜどぎまぎする必要があるのか。自分は単に、そう、助けてくれた彼に改めてお礼を述べなければならない。だから見つからないあの男のことが気になっているだけ。

 リジーには探すことを手伝ってもらっているから、別に今さら隠すことではない。


「それは、ほら、この前助けてくれた人が見つからないから。それで……」

「ああ、先日の緑の国との一件でエステル様を救ってくださったという方ですね」


 侍女は納得した様子になったが、そのあと眉を下げて困ったような顔になる。


「しかしそのような人はいないと、見つかる気配はありません」

「そう、なのよね」


 簡単に見つかると思っていたのに。

 あれほどの力を持つのであれば、貴族では上位も上位に違いない。

 しかし後になって思い返すと顔も見たこともなければ、聞いたこともない。あの口の聞き方ではエステルが王族だと知らなかったようでもあったからますます面識はないのだろう。

 力を考えると、会っていてもおかしくない身分にあると思うのに会った記憶がないことは置いておいても、見つからないのはおかしい。貴族として上位であるのは間違いない。探せばすぐに出てくると思っていた。

 それが知っている者さえもいない。おかしい。


「緑の国の者だったという可能性はありませんか?」

「緑の国の人であれば、私を助ける理由なんてないわ」

「そうですよね」


 不可解な表情をする侍女とは別に、エステルが思ったのはもう会えないのだろうかということ。

 また会いたい。お礼なんて口実で、本当は――


(い、いけないわ! 私はこれからお嫁に行くかもしれないのに……!)


 それなのに、あの姿が瞼の裏から離れてくれない。せめてもう一度だけ会って、お礼だけでも言えたならいいのにと思わずにはいられず、不敵な笑みを浮かべる顔が浮かんでくる。

 自分に言い聞かせようと思っても……エステルは、あの場で助けてくれた男性に惹かれてしまっていた。

 一度、会ったのは短い間だったはずなのに。きっとあの瞬間、一目で。


(駄目よ駄目。で、でもお礼を言うために探すのはいいわよね。それに赤の国に嫁ぐと決まったわけではないし)


 けれど決まったらどうしよう、と今まではそのこと自体には別段気にしなかった思いが込み上げてくる。もう二日後には交渉のために赤の国へ行かなければならない。

 赤の国に嫁ぐ可能性があることは、こちらとしての可能性だ。赤の国がこの国の者を迎え入れるかどうかは未知数で、可能性も分からない。この国自体、それほど大きなものではない。

 それでも嫁ぐことになっても、そうなったならば勤めはしっかり果たそうとは覚悟を決めていたはずだった。

 それなのに……。

 深く息を吐いて、今度は自分で気がついて慌てて手のひらで口を覆った。侍女の方をこっそり見ると、目が合った。


「ため息の原因はそれだけでしょうか? エステル様」


 付き合いの長い侍女の鋭い視線にじっと見られて、エステルは冷や汗を流す。


「もしや、先日のその一件で落ち込んでいらっしゃるのではありませんか?」

「え?」

「援軍が来るまで砦に籠る選択をしたことは間違っていなかったと思います」


 どうやらリジーは、エステルが国境に向かったものの役に立てなかったことを悔やんでいるのだと思ったようだ。

 それはそれで間違いではなかったので、むしろあのときの油断を思い出して、エステルは唇を噛む。あの後、もしも魔法を使っていたとしても結果はどうなっていたか今となっては分からない。だが足手まといになる可能性はあの時点で十分だった。


「それに緑の国が動く気配はないようだとお聞きしました」

「……ええ。様子を窺っているようだってお兄様が言っていたわ」


 緑の国の新たな兵がやって来る前に、援軍は間に合った。緑の国は分が悪いと考えたか、新たに攻めてこようとはせずに今日まで来た。続けて攻めてこなかったことは拍子抜けだったが、今のうちというところか。


「エステル様」


 部屋に入ってきた侍女の一人の耳打ちを受けていたリジーを見ると、彼女は「陛下がお呼びのようです」と言った。



 *



 最近は特に前もって予定を入れておかなければ会う時間もないくらいのため、急に呼ばれたことに疑問を感じる。まさか、緑の国が何か動きを見せたのか。もしくは、他の国が。

 悪い予感しかない。

 急ぎ父の執務室へと向かうと、室内には父と兄と側近が何名かいた。皆揃って表情が思わしくない。

 しかし険しいかと言うと、別のものが混じっているような気がする。例えば、困惑。


「何か、あったのね」

「何かはあったことには間違いないんだが……父上」


 曖昧な言い方をする兄は、父に話を促す。

 父王は執務机につき、手に何やら紙を持って注視していた。


「お父様?」

「ああエステル……実は、赤の国から書簡が届いた」


 父の手元の紙が机の上に置かれる。

 赤の国からの書簡。二日後にはこの国を発ち、話し合うために向かう国が直前になって何を。


「何を言ってきたのですか」

「……同盟の使者には王女を加えるようにと」

「え?」


 心の底からの聞き返しだった。


「――私を? なぜ今になって」


 この国の王女は一人、エステルだけだ。しかし王族をと指定するのではなく、王女をとは範囲を狭めてきたではないか。

 しかも、今さら。


「直前に指定してきた意味は困らせたいのかどうか、推測しても分かりかねますが……あちらとしても同盟の証に両国の婚姻を視野に入れているのかもしれません」

「そうかもしれない」


 父の側近の一人、公爵が前置きをして述べたことに、父王が頷く。

 直前に指定してきた意味ではなく王女を指定してきた意味を考えるのであれば、予想はとても絞られる。こちらは可能性の一つとしてすでに視野に入れていた、両国の婚姻。

 目の前のやり取りを聞いて、同盟だけでなく、それも現実味を帯びてきた気がした。同時に、胸に僅かな苦しさが宿る。


「エステル、大丈夫かい」


 エステルの微妙な様子の変化に気がつき、心配の声をかけたのは兄。横から囁き、エステルに案じる目を向ける。


 兄に心配させてはいけない。周りの者にも、国にも。エステルは兄には頷き大丈夫だと返して、側近と言葉を交わす父王をまっすぐに見る。


「お父様、元から想定されていたことです。私が使者として向かうことも決まっていたことですから、何も変わりはありませんわ」


 笑ってみせた。


「それよりもこの流れであれば他にも何か要求されることがあるでしょう。守るものの線引きをきっちりしなければなりません」


 その通りだと父は二日後に迫る事項の最終的な詰めを再度行うことに決めた。

 このような弱小国と対等な関係を結んでくれるかどうか分からない。けれど努力した結果にどんな道になろうとも、出来る限り国にあまりに不利な無茶な要求をされないようにしなければならない。力を貸してもらう側なりに譲れないものはあるのだから。



 いつの間にか部屋に戻っていた。最終的な詰めにも途中まで参加して、言葉も交わしたはずなのに記憶が混ざって要領を得ない。


「……リジー」

「はい」

「少し、一人になりたいわ」

「承知致しました。……ご用があればすぐにお呼びくださいね」


 うん、とか何とか生返事すると意識の端で扉が閉まり部屋の中に他の気配がなくなった。

 静かで、物音がない。

 考えるにはぴったりだ。ため息をつくにも、ぴったり。

 エステルは目を閉じ、深く息を吐いた。

 遠くない先、祖国から離れる可能性が跳ね上がった。赤の国に同盟の証として輿入れする可能性も明確に出てきた。


(……予想していたことで、受け止めていたことよ。だから、この感覚は、違う)


 数日前に唐突に宿った甘いような感情。頭から離れない姿。

 恋をしていたのだろうと、今認める。頼りがいのある姿に意識を持っていかれていたのだ。「輿入れの可能性」が目の前に出てきて、諦め、そんな甘いものから目を覚まさなければならないと分かって、認められた。赤の国に嫁ぐと決まったわけではない、可能性の一つだとどきどき浮かれたりしていたのは紛れもない恋だった。


「しっかりするのよ」


 もう可能性だけだと目を逸らすことはしない。

 一刻も早く探しだして、お礼を言って、断ち切らなければ。


 ――それはきっと、一目惚れであった







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