未来を彷彿とさせる日々
次の日、昨日約束した通りカーティスと会ったのは庭の中の四阿ではなく城内の一階の広いテラスだった。庭を眺めてゆっくりできる場所。
「この庭はとても綺麗で素敵ね」
「庭師が整えているからな」
「……それだけ?」
「私は花を愛でる心は持っていないものでな」
どんなに鮮やかな花の色も圧倒する赤い髪をした王は笑った。
(本当によく笑う人……)
赤の王がこんなにも笑い、こんな風に笑う人だと他国の誰が想像できるだろうか。
そうして自然とゆったり過ごす回数を重ねると、心が緩んでくるようだ。普通に話していると、話し方のせいもあってか、義務的な要素がなくなっているような気分になる。
そして、そうやって自分が自然に近づいていくにつれ、押し込めていたはずの恋心が頭を覗かせているようだった。カーティスの笑う顔が向けられ、笑い声が耳を擽る度にどきっとする。
その反面、急に現実味が遠ざかって夢の中にでもいるような感覚に陥るときがある。きっと、惹かれた人が奇妙な関係性で前にすることになっているからだろう。
奇妙な関係性、という言い方はおかしいか。未来の夫。だからこそ不思議な気分になる。
エステルがぼんやりと見ていると、カーティスと目が合っていることに気がついて慌てて瞬く。彼は基本的に視線を外すことがない。
気がつけば目が合っているから、エステルがぼんやり見つめて、気恥ずかしくなっていることを誤魔化そうとお茶に手をつける。
「花は好きか」
「好きよ。私、自分の花壇を持っているのよ」
祖国の温室に、季節問わず花を育てられるエステルだけの花壇。花を花開くまで育てるのも、見るのも好きだ。
「他の国の庭となると、こんなにも違うのね」
城の外観だけならともなく、同じ花がたくさんの色とりどりの庭なのに、こんなにも違う。
「庭に出るか」
「え?」
「庭は案内されただろうが、全てを回ったわけではあるまい」
立ち上がったカーティスが差しのべた手。
エステルは瞬き彼を見上げると、「私が花を愛でる趣味はないにしても、この城の庭で最も見事な場所は知っている」とどうだという顔がこちらを見ている。
差し出された手をちらっと見て、エステルがそっと手を重ねてみると、手は軽く包まれる。
庭に出るまでの間、カーティスの横顔を盗み見た。微風に揺れる赤い髪、前を見据える橙の目。隣を歩いていることに、不思議な心地を覚える。
だから気がつけばとっくに外に出て、周りは花だらけだった。すぐ近くには誰もいなくて、少し離れたところに控えているリジーやカーティスの側近たちがいる。
「どうだ、見事だろう」
一本の道から足を踏み入れていたそこは、周りを大きな花壇に囲まれた場所で、花畑の中に立っているようだった。道以外は四方どこを見ても花。
見事。その一言に尽きるが言葉を奪われ、エステルは周りに目も奪われていた。見慣れない趣の庭は、お伽噺に出てくる妖精でも住んでいそうな現実離れした光景にも映った。
感じる現実も遠ざけてしまいそうな庭だったが、ここまで重ねられていたままの手に意識が戻る。ここに連れてきてくれたカーティスを探すと、橙の目は花は見ずにエステルを見ていたから、目が合った瞬間にその目から離せなくなる。
――出会ったときと、変わらない目だ。エステルは、この目と初めて目を合わせたときも目が離せなくなった。
異なる色、黄色が表れたのは目の前を強い風に吹かれた花びらが過ったから。
直後、前から手が伸ばされ、エステルの髪に触れる。すぐに離れた手にあった黄色の花びらが一枚、解き放たれて空に舞い、晴れた空によく映えた。
エステルが視線を一瞬空に向けても、戻した先にはこちらを見ている人がいた。
「……私を見ていて楽しい?」
尋ねると、カーティスは僅かに首を傾けた。
「何だ、見られるのは気になるか」
「そういうわけではないけれど、……その、いつ見てもあなたがこちらを見ているように思えるから、私を見るより花を見た方がずっと良いと思うわ」
誤解のない言い方を選びつつ言うと、カーティスは喉を鳴らして笑うから、エステルはちょっと恥ずかしくなる。だって、気がつけば視線はずっと向けられているから、意識してしまうと気恥ずかしさがあるのだ。
それに、エステルを見ていても面白くもなんともなくて、例えば今なら花を見た方がずっと良いと思うのは事実だ。
「花を愛でる趣味はないと言ったはずだ」
確かに、言われた。こんなに広く、その広さを余すところなく見事なまでな景観とされているのに、もったいない。本当にこの庭は城の主を表さない庭だ。本人が言った通り、完全に庭師が好みに仕上げているのだろうか。庭師の自由に。
「私にとってはお前の反応を見る方が面白い」
「……面白がっているの?」
聞き返すと、楽しそうな笑みが返る。
「面白い、と言うよりは興味が引かれる。それに言っただろう。お前の目に惚れたと」
風に巻き上げられていた花びらは止んだのに、髪に触れられた。髪を触られても感覚はないはずなのに、その指に掬われた自分の髪が視界に入って途端に鼓動が早鐘を打ち始める。
鋭さが勝る橙の目がエステルを強く捕らえて、離せないことも、影響しているのだろう。あまりに真っ直ぐエステルの目を見る目がふっと和らいだのはいつか。
「その目に映ることが、私にとっては何より得難いことだ」
「……え?」
独り言のような言葉は、引き戻された意識では捉えきれなくて。
けれど指からエステルの金色の髪を滑り落ちさせたカーティスは、「見飽きた景色を見るより余程面白いことは間違いない」と言葉とは反対にそこでようやく景色に目を向けた。
庭を散策して、並ぶ距離と横という位置に時折意識を引っ張られながら。変わらず向けられる笑みと、向けられる目に、いちいちどきどきしてしまいながら。
エステルはすっかりカーティスと交流を重ねていった。
次の日もお茶をして共に過ごし、話したり。赤の国に来たばかりのばたばたとした忙しさ、驚きや緊張は嘘だったかのような日々のみだけを送ることになっていた。
互いの国の状況についても話したけれど、ほとんどは他愛もないことを話したように思える。
政治的なことが絡まない会話と穏やかな雰囲気。先にこのまま過ごした光景が続きそうだと思わせる時間だけが過ぎていった。
毎日カーティスと会い、話していると、数日なのにそれが当たり前のようになった。
その中でエステルが知れたことは、カーティスのある意味裏表の無い性格。よく笑い、思ったことをそのまま口に出しているような、そんな人。同時に、全てを思うままに行動しているようで、その中に優しさも感じられる人。
それから――