互いに互いを
翌日、昨日偶然出会ったのとは違いエステルがどこかの一室に行くことによりカーティスに会った。
しかしそもそもはエステルはとある女性の誘いを受けたのである。女性とは――初日に出会ったときに真っ赤な髪の色からとっさに予想していた通り、王の妹であったヴァネッサ・カッセロ。
午後の麗らかな時刻。訪ねてきた王の妹は挨拶もそこそこに、別の部屋にお茶の用意をしているからお茶会にしないかとエステルを誘ったのだ。昨日の赤の王のときと同じくエステルに断る理由はなく、むしろ彼女とは何らかの交流は図っておきたかったので二つ返事で誘いを受けた。
すると案内された部屋。エステルをここまで連れてきたヴァネッサと全く同じ色の髪がまず最初に目を引く男がいた。これもまた同じ橙色の目がエステルを見つける。
聞いていない。どういうことだこれは。
即座にヴァネッサを見ると、要約すると「お兄様の花嫁となる方だから、お兄様を退けて交流するのはどうかと思った」との答えが返ってきた。
……まあ別に困ることでもない。とエステルは勧められるがままに椅子に腰を下ろして『お茶会(赤の王は休憩らしい)』が幕を開けた。
ヴァネッサは明るくはきはきした調子の女性で、エステルは何となく親近感を覚えて話しやすい部類だと感じた。ヴァネッサは色々とエステルに話しかけながらも兄である王にも話しかけ、――そのわずか十分後である。指に通している指輪の宝石の話に及んでいた頃。
「ヴァネッサ様ー、時間通り呼びに来ましたよ」
「あらフェリックス、もう時間なのね」
「いやもう時間というか、おれはヴァネッサ様がこの時間になったらいかにも用があるように呼びに来――」
「フェリックス、お喋りはあちらでしましょう」
ヴァネッサは刻限だとかで詫びの言葉を残して退室した。
つまり残るのは――側に控える諸々の者もいるが――テーブルについているのはエステルとカーティスのみである。
まさかこんな風に二人にされるとは思ってもいなかったが、また会うこともあるとは心構えしていたので問題ない。
と、エステルの心構えも無駄になったと言えようか。カーティスは昨日の発言の真意について語ろうとはしなかった。言えば、普通だ。
彼はヴァネッサがいなくなった後は普通にエステルに話しかけ、所謂世間話をし始めた。
赤の国は、エステルの国のことを前もって調べていたらしい。話の中でエステルの国のことをよく知っていることが窺えたカーティスに驚いていると、そう言われた。
そうか、当たり前か。同盟を結ぶ予定の国であれば調べるかと思っていると、元々だと言う。
「国のことを調べなければ、優先順位がつけられぬだろう」
「それは攻める優先順位、ということ?」
「そうとも言える。ああ、誤解するな。順にとはいえ、全ての国を攻めようとは思ってはいなかった」
「……どういうこと?」
「こちらに牙を剥こうとしない国とはいずれこうなっていただろうということだ」
こうなっていた、と示したのはエステルといる状況だった。つまり、同盟の類いを結んでいた。
「しかしそのような国は珍しい。お前の国のみのようだ」
「他の国とは全部、戦をするつもりなの?」
「いずれ」
もう全てを決めてしまっているような答え方だった。
「今とてこの国は今白の国との戦の真っ最中でな、まずは国境を接する国を片付けてから他に手を伸ばす。――その際金の国を拠点にしたり戦地にしたりはせぬから安心しろ」
別にそれは気にしていなかった……と言えば嘘になる。
それにしても赤の国は今他の国との戦を抱えている国、また、国の王とは思えない雰囲気だ。こんなにゆったりしていてもいいのだろうか。緊迫感がない。余裕、ということか。
(……それにしても、本当に何の躊躇いもなく話すわね……)
エステルの方が求める以上の事を話されていいのかと思ってしまう。
口をつけた紅茶は舌に慣れ親しんだ味ではない。いつもは侍女であるリジーが淹れてくれており、こちらに来てからも部屋では彼女が淹れてくれているが、今は異なる。初めて飲んだ味は嫌いではなかった。
赤の王――カーティスはよく笑う男だ。
それが単独滞在二日目、またカーティスと向かい合うことになったエステルのそれまでを含めた感想。カーティスの笑みは他を嘲るようなそれではなく、気持ちの良いほどの笑顔。
また、言葉を交わす度見えてくる彼の人柄はある種気持ちの良いものだと思えた。よく笑うからそう見え、見えていない部分があるからかもしれない。ただ今の時点ですでに、勝手に「力の強い大国」、「領土争いを行う国」というだけで作られていた傍若無人が含まれた人物像は崩れていた。
話してみると、話す時間が長くなるにつれて、普通の話をしていると話しやすい印象を受ける。
「お前と最初に会ったのは金の国と緑の国との国境だったが、お前はよく国境付近には行くのか」
「よく、というほどでもないけれど」
「何のために」
「何のためにって……」
決まっている。
「私の国は出来れば他の国と争いたくないと思っているわ。大陸を統一しようなんてしていない。自分たちの国を守れればいいの。……けれど周りの国はそうではなくて、私たちの国を侵略しようとしてくる。王族は国民を守るために力を持っていると私は思うから、王は城に、その他の者が共に国境を守るのよ」
「国が大切か」
「当然よ」
「その国を離れることは出来るのか」
「……え?」
「私の妃になるということは、祖国を出ることを意味する」
思わぬ方への話題の進み方に、エステルは大きく瞬きする。
「私はお前を妃にしたい」
エステルの頭が内容に追いつくより先に重ねられた言葉。前から、真っ直ぐに向けられる橙の目。
「この国は肌に合いそうか?」
「……合いそうかどうかは数日では分からないわ。この城は私の国の城とは造りも異なっていて、その他の造りも違う」
「当然だな」
「ええ。その辺りに数日で慣れるはずはないけれど、合わない、とは思わない」
正直な言葉だ。
城の造りだとかいうものは置いておいて、環境に拒否反応はない。水、食事、気候、そういった意味でもあり、周りの人間関係という意味でもある。
例えば、王の妹のヴァネッサ。少ししか言葉は交わしていないし、二人だけで会い、話し、言葉を交わす機会には恵まれていない。しかし嫌われている雰囲気はなかった。
他の臣下にしても、歓迎していない雰囲気はない。これは安心するべきことなのだろう。何しろ、エステルはこの国に嫁ぐのだから。
「それに、あなたたちは私の国を脅威から遠ざけてくれる」
同盟という名の元で、他国はエステルの国に赤の国の名も見ることとなる。赤の国が脅威から遠ざける力を持ち、エステルの国を守るのだと言っても良い。
「その国に嫁ぐことに躊躇いはないわ」
「私がどのような男でもか」
「私の国と同盟を結ぶことを決めたのはあなたでしょう? 国の王は国を示す。少なくともこの国は悪い国ではない」
「だから私も悪い男ではない? 分からぬぞ。単にお前が欲しいから、同盟を受けたような男かもしれぬ」
唇の端をつり上げて、そんなことを言う。
「…………万が一そうであるとすれば、そちらの方が余程意味が分からないわ」
エステル一人のために、一国と同盟を結ぶ意味。
「確かにな。例えばの話だ」
「ねえ、昨日から私のことをからかっていない……?」
「昨日から? 今のでなければ記憶にない」
今のはからかっていたのか。どうりで面白そうに笑っていると思ったのは気のせいではなかった。しかし昨日のことを問えば首を傾げられた。
「陛下」
「――時間か」
そうこうしている間に、傍らから遠慮がちに声を出したのは赤の王の側近。
「会議だ。これまでだな」
どうやら会議のため、ここで終わりのようだ。
「明日は室内ではなく外に出るか」
「え」
カーティスが立ち上がるので、立ち上がりかけていたエステルは聞き返す。
明日の、誘い?
「嫌か?」
「いいえ、嫌ではないけれど……白の国との戦の最中であれば忙しいのではないかと思って。私に時間を使っても良いの?」
確かにカーティスからの提案で滞在の延長が決まったが、エステルに構っていてもいいのか。時折、カーティスの元に耳打ちしに来る者は、その関係かどうかは分からないにしても何事か執務に関することなのだろう。大国の主が忙しくないはずがない。ましてや、戦を抱えているのなら。
「私はお前を知りたいと思っているから、お前と過ごす。お前と過ごしたいから、時間を共にする」
「私、を」
「心配せずとも、我が国の方が圧倒的に有利でな。余裕はある。お前がこの国に延長滞在している時間は限られているからな、時間を出来る限り使うのは当然だろう」
それで明日はどうすると、改めて向けられた誘いはもちろん受けた。
エステルがカーティスを知ろうとしているように、彼もエステルを知ろうとしているようだ。




