それをきっと一目惚れと言う
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どこかで鳥が鳴いた。庭に鳥が迷い込んでいるのだろうか。高く澄んだ鳴き声は、よく晴れた日に似合うものだった。
太陽の光が届かない屋根の下、エステルは赤の王から目を離さずに、やがて呟くように言う。
「……言いたいこと、聞きたいことがあるわ」
「まずは?」
エステルは口を開きかねた。正直に言ってしまっても良いのかという懸念はあり続ける。慎重に言葉を選ばなければ――
「何を言っても同盟は破棄せぬと記した念書でも作るか?」
「結構です」
侮られているようでちょっと癪に触り言うと、カーティスは喉の奥で笑った。この王は初日からエステルのよく分からないところでばかり笑っている気がしてならない。
笑われたことは無視して、頭の中で最初に選び出した話を言葉を選びながら話し出してやる。
「あなたは、赤の王」
「そうだ。今更か?」
カーティスは首を傾げた。
今さらなんていうことは分かっている。同一人物。でも最終確認だ。
「私の国と緑の国の国境にいたのもあなた」
「そうだ」
「あのときは、助けてくれてありがとう」
ようやくの改まってのお礼だった。助けてくれた人と同一人物。何はともあれ会えたのだから、ずっと思っていたお礼を言わなければならない。
「構わぬ。当然のことをしたまでだ」
「……どうして、髪の色を変えてあの場にいたの?」
「同盟を結ぶ国が中々に危機的盤面にあると耳にしたものでな、どんな状況か見に行ったまでだ。何、こちらでの戦場から城に戻るついでだった。髪色を変えていたのは、行くなら王と分からぬように魔法で色を変えるべきだと言われたためだ。まあまあ意味はあったらしい」
エステルが気がついていなかったことを示しているのだ。
しかしついでにしては距離も方向もおかしい。赤の王が同一人物だと知ったときから生まれた疑問があった。
「……あのとき、まだ同盟は正式には決まっていなかったわ。今も完全に結ばれたわけではないけれど――その段階でどうして手を貸してくれたの」
「同盟予定の国を守ることがおかしいか」
問い返されたが、それは問いの形ではなくエステルの返答を求めていなかった。
「私はいずれ全ての国を統一する。折角同盟を結び対立せずに済むところを、先に侵略されてしまえば後で攻める対象に入ってしまうだろう。手間だ。それに、戦に勝ち統治下に入れた国も守ることと同じだ。『こちら側』の範囲に入ったもの入るものは関係はどうあれ守る」
平然と、当然のような口振りであった。
「これで答えになるか」
「え、ええ」
赤の国を統べる王の考え方は、エステルの予想や常識とは大きくかけ離れていた。
どんな理由があるかと勘繰り求めた理由は、言葉通りならば懐の広いものだったと言える。まるで『身内』だと言われたような気分に陥る理由だった。
確かに他に想像出来る理由もないのだ。恩を売るつもりにしては、同盟により力を借りる見返りを考えるとおかしい……。
納得して、頷くしかなかった。
「他は」
言いたいこと、聞きたいこと。他はないのかと促される。
そこでエステルは、同じくこの国で赤の王に会ったときから抱えていたものを次に出すことにした。
「改めて、初日の非礼をお詫び致します」
「非礼?」
「手を、払ってしまったこと」
「そんなこともあったな。構わぬ」
それだけか? と首を傾げられて、エステルは密かに息を吸う。
「これはそこまでの他意はないのだけれど、」
「前置きはいい」
「なぜ、私を妃に? あのような非礼をしたのに」
「なぜだと思う」
試すように聞き返されても、分かるはずがない。分からなくて、腑に落ちないから聞いている。
無言を返していると、カーティスは答えが返ってくるとは思っていなかったふうに話を続ける。
「私もそろそろ嫁取りをしなくてはならなくてな」
「……それだけ?」
「それだけだとすれば何だ」
「自国の人を、妃に迎えようとは思わなかったの」
カーティスがふっと鼻で笑った音が聞こえた。
「お前はそのような同盟の条件で決められたものに物言いをつけて同盟が解消されるとは思わぬのか」
「あなたが何を言っても同盟は破棄しないと言ったのよ。……あなたは、私たちの国が小さくこの国と比べると力も弱いと知っているはず」
「確かに」
「同盟の条件があれだけだったのは、どうして」
「なるほど、本当に聞きたいのはそこか」とカーティスは呟いた。
そうであるとも言える。人柄を知る云々もあるが、拍子抜けするほどに条件の無かった同盟の『裏』が知りたかった。それを知ることは、この王を知ることにも繋がるだろう。エステルはそう考えていた。
何を思い、考え、初日のあの場であのような宣言を放ったのか。
「条件は緩いか」
「緩いと思うわ。正直、私たちは厳しい要求があると予想していた」
「どのような国だと思われているのか」
カーティスは声を上げて笑った。けれどエステルは真剣で、目の前を見つめ続けるだけだった。果たして、王女の輿入れだけで果たして賄えるものだろうか。国の王族の輿入れが安いものだとは思わないが、もっと他に要求することができたと考えてしまう。
「良いな、誠に良い。物言いがはっきりしている。お前のその物言いは好きだ」
びっくりした。好きだ、と言われたから。
けれどすぐに自分を落ち着ける。部分的に反応していてはきりがない。物言いが好きだ、と言ったのだ。
笑うことを止めてもカーティスは愉快そうであった。
「お前はそうは言うが、当初の予定では何も条件はつけない予定だった」
「何も……?」
妃とする予定でもなかった、ということ?
力を請う側。貸す力に見合う見返りを要求するが妥当と言うものだろう。
「だが残念ながら、一つ条件を付け加えたくなった」
全く残念そうに聞こえない言い方をした男が橙の瞳を細めた表情に、どうにかカーティスの考えていることを読もうと徐々に注意深く見る目をしていたエステルの心臓が跳ねた。
「エステル」
ずっと前からそう呼んでいたように名前を呼ぶ声。
「お前が欲しくなったからだ」
「私――?」
「そうだ。お前とあの場で出会わなければ、何も要求することはなかっただろうな」
思い出すのは、炎の向こうから現れた姿。
あのとき、出会わなければどうなっていたのだろう。エステルは同じことを自分の身においてちらりと思った。
「今回、直前にお前を使者の一人とするように書簡が来ただろう。あれは私がお前を使者の一人に指定した」
「なぜ」
「なぜ」と「どうして」。こればかり口にしていると思った。だけれど仕方ない。
疑問点が多すぎて、そのどれもへの答えが予想外のものなのだ。
そして、本当の意味で理解し飲み込めた感じがしない。聞けば聞くほどに、なぜか『赤の王』『カーティス』という存在の考えが読めない。想像と違い過ぎたからだろうか。
「その目に惚れた――と言えば理由になるか」
混乱してきたエステルとは反対に、男は笑みをより深く、深くした。
「惚れた……?」
初めて聞く言葉だ、とエステルは眉を潜めた。惚れたとは。言われるのは初めてでも意味は知っている言葉だと気がつく。惚れた。つまり。示す意味は。
「か、からかっているの?」
「全く」
狼狽したエステルに、即答が返る。
だがエステルはこう思った。いいや、からかっているに決まっている!
根拠も何もない考え。混乱と、聞けば聞くほど考えが読めない――容易に飲み込めないような並外れた考えをしている男の掴み所のなさへの不信感から来るものであるだろうか。
また別に、エステルの勝手にどきどきする部分がそんなことあり得ない! と叫んでもいた。
「私はお前のような者を待ち、探し求めていた。そして見つけた」
「――――なに、を、言って」
どうして――またどうしてだ――そんなに真っ直ぐに見てくるのか。身に覚えのない言葉を言うくせして、冗談やからかいの欠片もない目をしてエステルを見るのか。
全く、分からない。積み重ねられた理解の及ばない言に、頭は処理待ちを起こしているところなのだ。否、それらを抜きにしても分からない事か。
橙の目を直視できない衝動が生まれながらも離すことができない状況で、カーティスがまた口を開く。
エステルは瞬間、もう今これ以上口を開かないでと思った。理解する時間やら何やらを与えろと言うのだ。半ば訳が分からない状態になったエステルはそのままいくと本当に口を塞ぐなどという平素ではあり得ないことをしたかもしれない。
けれど、他国の王の口を塞ぐという王族としても淑女としてもとんでもない暴挙は成されることはなかった。
「陛下、西の砦から伝令が――」
一人、生け垣の向こうの道から何も知らなき者が何か報告をしかけ、乱入したのである。
腰を浮かせかけていたエステルははっとそちらを見ると、赤の国の者であろう男と目が合い、逸らされる。
「失礼致しました」
慌てて頭を垂れたのは、王に対して。
これまたはっとしてエステルが視線を前に戻すと、一転して興が削がれたような表情のカーティスが頬杖をついて現れた者に目だけを向けている。
「急ぎか」
「は、どうやら動きがあったとかで……」
「良かろう。すぐに行く」
何かあったらしい。カーティスはここから出るようで、立ち上がった。
「エステル」
「――な、何かしら」
ほっとしかけていたような感覚でいたエステルは、つっかえてしまって内心羞恥にまみれた。
何とか表情には出さず、かといってつい先ほどまでのことが頭に過ってどう見たものかと迷う。一方、つまらなさそうな顔をしていたカーティスがゆっくりと再び口元に弧を描いたので、エステルはびくりと小さく体が揺れる。
「何にしろ、退路は断った。これから限られた期間だが、その先もあるからな。ゆっくり互いを知ろうではないか」
不敵な、ある意味不穏な笑みを残して赤の王は臣下を伴い四阿から出ていった。
曲がる道により、生け垣の向こうに姿が消えるまでしばらく。赤い髪が見えなくなって、エステルは胸を押さえた。
「――な、何なの、一体……」
どれが本心で、本物で、信じてもいいものなのか。全部、信じてもいいものなのか。
結局流れに飲まれがちだったエステルの思考では判断しかねた。
*
真っ暗な寝室は、エステルが慣れた部屋ではなく、もちろんまだ赤の国のものだ。
今日は朝から夕方まで晴れていたから、外を見れば月が出て星が見えることだろう。しかしエステルが横になっている部屋には月明かりも何もなく、もう誰もが眠りについているであろう時間帯。静まり返っている。
エステルはというと、中々寝つけないでいた。他国に来てベッドが変わったが、エステルはベッドや枕が変わることで寝つけなくなる体質ではないのでベッドの変化は原因ではない。赤の国に来てからも、懸念等はあったにしろここまで眠れないことはなかった。
原因は今日、カーティスと話したことに違いない。
緑の国との攻防の地でのこと。同盟を結ぶ予定である国の様子を見に来て、ちょうど危機的状況にあったために手を貸した。同盟によりエステルの国が得るであろうものの対価に、本当は何も要求する予定ではなかった。
あの後から改めて思い返して、嘘は言われていなかったと結論が出た。大体、優位であるあちら側が嘘をついて良い顔をする絶対的な理由が見当たらない。だから破格の言であったとしてもひとまず信じる以外にはないのだ。
だが、もう一つ。
――「お前が欲しくなったからだ」
――「その目に惚れた――と言えば理由になるか」
あれは何だと言うのか、エステルには混乱がもたらされるのみ。それまでと同じような判断基準がまるで機能してくれない。
あれは嘘?
聞き間違えではなく、また本当であるとするならば――言葉の意味は。深く、深く考えようとしても答えは一向に見つかる気配はない。
「どういう意味なの……」
その夜、エステルは握りしめたシーツを顔まで引っ張りあげて、眠れない目を覆った。