呼び方
エステルが赤の国に残るにあたって、祖国の父王に話を通さなければならないと思い、魔法で連絡をした。赤の国なので一応許可は取った。
「残る……!?」
同盟の話の内容も話したのだが、食い付かれたのはそこだった。
鏡の向こうで、父が身を乗り出した様子が映る。どれだけ身を乗り出そうと、移動魔法ではないのでこちらには来られないのだが、今にもこちらに来そうなくらいだ。
「そちらに使者が帰り話が纏まったあとに、同盟を結ぶ書類を交わすために赤の国にまた戻ってきます。それまでです」
出来る限り早くに結ぶことが望ましく、また今回悩む条件は出なかった。それほど日にちは要さないはずだ。
「しかし、なぜ」
「赤の王の気遣いですわ、お父様。いずれ嫁ぐ国を見ていてはどうかと。今回話はすぐにまとまり、赤の国の中も経ない魔法道具での行き来でしたから」
「その話も改めてしなければならないのだから、帰ってきなさい」
「婚姻のお話でしたら、大丈夫ですお父様」
エステルはにっこりと笑って、父の心配を取り除く。その話は出発前の打ち合わせで結論が出ていたはずだ。婚姻を結ぶ可能性があり、本来は同意なんて求める必要はないのに意思を確かめてくれたことに感謝しながら、了承していた。
「あちらからの申し出を断る理由もありませんでしたから、断ることは失礼かと判断しました。相談する前に勝手な判断をしてしまい申し訳ありません」
「い、いや別に責めているのではないよ。ただうっ」
「失礼、父上」
父が鏡の範囲から消え、代わりに中央に現れたのは兄。父を押し退けたとは思えないほどけろりとした様子で、「やあエステル」と話しはじめてしまう。外から「いやまだちょっと」と父の声が聞こえるのもお構いなしだ。
「元気?」
「元気よ」
「それは良かった。それで、聞く限りでは移動魔法全部負担の裏も、力を持っている分有利な側の無茶な要求も無かったようなのだが、聞いた分で本当に全部か?」
「はい」
懸念していたこともなく、むしろ予想より簡単に早く話が決まった。念入りに確認をと思ったであろう兄は「……そうか」と安堵が混じるが意外そうな相づちの打ち方だった。
「赤の王はどのような人だった?」
兄は拍子抜けな決断を下したであろう王のことが、直接会っていないこともあるがなおさらに気になったのだろう。いくらか潜めた声で尋ねられたことに、エステルは考える。
どのような人かと聞かれて、即座に思い出すのは赤い髪といった容姿だが、答えるべきはそこではないはず。答えるべきは、直接会ってしか分からない生の人柄。
しかしエステルに答えられるまでの情報はなかった。読めない。何もかもが、表面だけを掬い取るべきではないと思わせられる人で、意図が読めない人。
印象だけで言えば、あとは堂々とした人だということくらい。
「お兄様、私はそれを知るために残りたいの」
エステルは、不確かな印象でしかないそれらを口にしなかった。けれど信用が出来ない人だとは言わなかったから、そのような人には見えなかったとは兄に伝わっただろう。
「そもそものエステルの目的の一つだったな。同盟もほぼ決まり。エステルが将来嫁ぐことも同時にほぼ決まり。あちらから言われたことだ。有効活用して、知ればいいと私は思う」
「ありがとうございます、お兄様」
「いいや。そんな機会は、嫁ぐまでこちらからでは与えてやれなかったろうから」
国内の貴族ではなく、他の国に嫁ぐとなれば婚姻のときまで会わないことにもなるだろう。その点、今回、婚姻そのものは決まったにしろその前に相手の国にいる機会が転がり込んできた。またとない機会。
兄は前向きに捉え、すんなりと同意してくれた。
「正式な同盟までそれほど時間はかからないだろうが、くれぐれも首を突っ込みすぎないように」
「はい、お兄様」
「父上、失礼しました。どうぞ」
席を空けられて見えた父は、少し落ち着いたようだった。
「お父様、心配しないでください。失礼のないように、この国の雰囲気を感じるだけです」
「う、うん。……その、エステル、体調は崩さないように」
たぶん言うべきことは全部言われてしまったのだろう。流れで受け入れざるを得なかった父は、一言言うのが精一杯である様子であった。
「……」
魔法が途切れ、鏡はただの鏡の役割を果たしはじめたため、自分自身の顔が見返してくる。
「エステル様、赤の王とすでに会っておられたことは仰られないのですか?」
「ええ」
傍らに控えていた侍女が、小さく尋ねる。
エステルは赤の王と会っていた事実を他の誰にも言っておらず、唯一話したリジーには口止めをしていた。
「いいのよ。何か問題があったわけではないのだから、ここで妙な波を立てなくてもいいの」
いいのよ、ともう一度心の中だけでも呟く。もう決めた。
「リジー、私ね、助けてくれた人のことが好きになっていたの」
「――それは赤の王のことでしょうか?」
「そうよ」
侍女は突然の告白に言葉を失ったようだったが、エステルは鏡を見つめたまま、自分自身の考えを今一度確かめるように話す。
「同盟の証の婚姻だとは分かっているわ。でも、どんな人か知りたいのよ」
打ち解けようとかいうことではなく、目的は一つ。ただ、赤の王を知ること。
*
翌日、エステルと侍女を残して金の国の一行は国へ戻っていった。
残ったエステルはというと、単独での赤の国滞在一日目の午前中、城の中や庭の案内を受けた。とは言うものの、当然城も庭も広い。よく晴れた太陽の下を長時間歩くわけにもいかないので、庭は城から見るに留めるくらい。
庭一つとっても祖国とは全く景色が異なる。
太陽の光を浴びて鮮やかになる生け垣の黄緑と、生け垣を彩る大輪の花が素敵だ。城の雰囲気とは時に主――つまり王を示す鏡ともなる。それは王が庭にこだわることもあり、または庭を作る庭師が王を表すものとするからだ。
しかしこの庭は赤の王を連想するには……何というか穏やかすぎるような気がした。庭に興味は持たなさそうで、庭であの王を表すことは出来なさそうなので、このようになったのだろうか。
勝手な感想を持って庭を眺めていたエステルは、庭の中に目立つ色を捉えた。
「……あれは……」
呟きが聞こえたわけではないだろう。しかし緑の葉越しに僅かばかりに見える赤色が動き、明らかにあちら側もエステルに気がついた様子だった。
目が合っているかどうかも分からないのに目を離せないでいると、その方向から壮年の男が現れた。流れるように軽くお辞儀をし、エステルに直接話しかけることはせずに侍女に何事か用件を述べた。
侍女が振り向く。
「エステル様、赤の王から四阿へのお誘いのようです」
奥にあるのは四阿で、やはり見えたのは赤の王。誘いを断る理由もなく頷くと、やって来た男が道案内を勤めてくれるようだった。
石で作られた道の上を行くと、なるほど、全容を表したのは優美な場所。汚れ一つない白い柱。屋根の下には四角のテーブルと椅子。椅子の一つに座している王の赤い髪は、周りの造りが白いからこそよく目立った。
「来たな」
「お招き頂きありがとうございます。赤の王」
簡単に挨拶をしてみれば、赤の王の笑みが僅かに薄くなる。
「まずその堅苦しい呼び方は止めにしてもらおう。エステル・ラウレアス」
名前を呼ばれて、初めて名を口にされたと知った。ここまでは「金の王女」と呼ばれていたからだ。
「私の名はカーティス・ガルローザ。カーティスで良い」
それで呼べと、先にエステルの名を呼んだ赤の王を見ても冗談で言っている節は見当たらない。エステルは図りかねながらも口を開く。
「では、カーティス様」
「『様』は不要だ。それから畏まった話し方も結構だ。対等に行こうではないか」
エステルは戸惑いに若干眉を寄せる。呼び捨てでいいと言い、話し方も砕けよと言う。対等にと言われても、相手の立場も自分の立場も考えるとおいそれとは出来ない。
「それは出来ません」と礼儀的に断ろうとすると、その前に「どうせ夫婦になる身だろう」と赤の王が笑った。
「最初に会ったときには、大層気安い口調だったはずだが?」
「――それはあなたが他の国の、それも王だとは思ってもいなかったから」
思わず言い返すと、「気安い口調」という突っかかりたくなる言い方はわざとだったのか、赤の王はニヤリとした笑みを口元に描いた。
その笑みに、エステルは覚悟を決めた。――なるようになれ。
「分かったわ。カーティス」
「それで良い」
思いきって言った際のエステルの緊張を知らない様子で、赤の王は満足そうに頷いた。それからまだ立っているエステルに気がついて、座るようにと促した。
座る位置は向かい側。そんなはずはないのに、今までいた距離よりも近く思える。
――ああ本当に調子が狂う。笑うのは卑怯だわ
冷静にあろうとする部分を無視して、どぎまぎする心があるからもう仕方ない。そもそもこの国で再会したときから自分だけ平然として、自然な様子で今のように自分のペースに乗せるところも卑怯だ。
負けん気が発揮されて口調は私的なものに、呼び捨てしても平然として、むしろ満足そう。完全にあちらのペースだ。
エステルは椅子に座る動作の間で、懸命に落ち着こうとする。落ち着け。落ち着いて、冷静に。
この際開き直るしかない。期間は限られているのだから、こうして会えた機会を大いに利用しなければと密かに気合いを入れて相手に向き直ろうとすると、机の上に広げられているものが目に入る。
一目で地図と分かる紙に、チェスの駒がもっと小さくなったようなものがいくつか。それに綴じられた紙束がそれぞれ王の前に広げられている。
「私、邪魔ではない?」
直感的に広げられているものは、他国の者が見ていいものに思えなかった。ただ地図を広げているはずがないのだ。
現在、赤の国は白の国との戦を抱えていると聞いた。あるいは他の国とも。
「本当に見られて困るようなものは広げぬ」
気になるようなら片付けるが、と言う赤の王――カーティスにエステルはいいと首を振る。招かれたとはいえ、邪魔をしているのはこちらだ。
「それに、こんなところで無防備ではないかと私は思うのだけれど……」
それはここで執務らしきことをしているその内容よりも、場所。
護衛らしき人物は二人。エステルの元に来て、案内をした壮年の男ともう一人は若めの男。そういえば、と壮年の男の方は初日に王と会った場所にいたのではないだろうかと朧気に引っかかった気がしたが、定かではない。
また、四阿を囲むような生け垣は王がここにいることを隠すにもぴったりだが、刺客が隠れるにもぴったりだ。極めつけは、外だということ自体が問題に思える。
あまりに無防備で、注意が足りない。当然城の警備は厳重だとしても、完全などということはないし、命を狙われてもおかしくはないはずだ。もしものときは考えるものだろう。
父王に側近含め護衛が何人もついている光景を思い出しながらエステルが言うと、前からは吠えるような笑い声が響いた。
驚いて見ると、笑ったのはやはり赤の王で彼は突発的な笑い声はほどなくして収まったものの、笑いの滲んだままで後方にいる壮年の男に話しかけた。
「無防備か。最近滅多に言われぬことだな、ダリオ」
「私としましては今でも言わせて頂きたいことですが」
「天気が良いから外に出る。それの何が悪い」
ふん、とカーティスは鼻で笑う。
「近づくことを許した者以外が近くに来れば分かるように魔法を張り巡らせてある。刺客が来ようとも、まず刃物を使おうにも圏内には来られぬし魔法を使おうとしたならばその瞬間地に這うことになっているだろうな」
不敵な様子で、エステルの指摘を一蹴したカーティスは指先で弄っていた駒を置いて椅子の背にもたれかかった。
橙の目が、一直線にエステルを捉える。ほぼ同じ目線で射ぬく。
「何やら言いたいことがありそうだな」
たくさんある。この国に来てから、言い出す機会が見えなかったこと、確かめたいことがたくさん。
明日(12/14)から少しの間更新を止めさせていただきます。すみません。再開は月曜(12/18)からです。