とある公爵の独り言2
引き続き、とある公爵視点。
*
翌日の夜、帰った邸の一室で一人掛けのソファーに沈み込む。半ばずり落ちかけた体勢はいくらだらしないと言われても止められない。ほとんど天井に向かって手を伸ばすようにして、紐で簡単に綴じられた紙束を眺めていると「フェリックス」と呼ばれた。
紙束を避けて見ると、おれの奥さんが立っていた。日中は飾り立てて結っている髪を片方にまとめて流した姿だ。
真っ赤な髪にしろ橙の瞳にしろ、色彩は陛下と全く同じだ。そもそも性格的な部分も似通っていると思うので陛下の女版――と言うと、大まかには間違いなくておれの奥さんは喜ぶかもしれないけど、おれの気分的には微妙になるから止めておこう。だってそれだとおれがヴァネッサ様を好き=陛下も好きって式が勝手に出来上がりそうだ。
「だらしないわね」
「言うと思った」
それなら最初からするなと言いたげな視線を感じながら座り直して、背もたれにもたれかかると、「どうしてわざわざそこに座り直すのよ」と咄嗟では意味の分からないことを言われる。
「どうしてって、おれ元々ここに……」
「わたくしが来たのだから、一人掛けは止めなさいよ」
そういうことか。
部屋には他に並んで座れるソファーがある。ヴァネッサ様はそっちに座っておれに来るように目で促してくる。
「はいはい」
人前ではこういうことはないのに、自然に切り替わるんだろうか。おれは大人しく隣に移った。
「それは何?」
手にした紙束はそのままに隣に腰かけたので、ヴァネッサ様は目ざとくそれに気がついた。
おれが持っている紙束は、実は今日借りてきたばかりのとある国についての報告書だった。大体は目を通したそれをぱらぱら捲りながら、おれはちょっと尋ねてみる。
「ヴァネッサ様は、金の国の王族の魔法って何か知ってます?」
「金の国? ああ、例の使者の国の話。急にどうしたのよ」
「何となく、どんな国かと思いまして。おれ、全然知らなくて。――平たく言えば魔力が強く能力が高い者が王族なのはどこも一緒ですよね」
「そのはずね」
貴族の位もそうやって決まるのだ。国を昔から支え導く座にある一族が優れた能力を持つからこそ、とも言えるだろう。
「金の国、別名宝石の国」
おれが読んでいたのは、例の王女様の国のことが書かれた報告書。
金の国と呼ばれる理由は、その国の王位を守り続ける一族に伝わる髪の色のため。それとは別に国を称する名前が記されていた。他にも歴史書にも載っているだろう情報から、近年の状況に至る情報まで記されている。
「宝石の採れる鉱山が山ほどあるっぽいですね。それが他の国にも出回ってて、中でも価値が高いのが」
「王族の魔法による宝石」
言う前に言われて、おれはページを適当に繰る手を止めて隣を見た。
「なんで知ってるんですか」
「いずれ相対するかもしれない他の国のことは知っておかなければならないでしょ。常識よ」
「あらー」
「金の国はそれとは別で、極力戦わない、自分たちからは絶対に争わない主義だということで有名よ。それに金の国の宝石は有名で、質の良い一級品は大抵あの国のものよ。この国にだって十分出回っているわ。――でも、時折世に出る最も希少な宝石はもっと有名。ほら、これ」
指に通る指輪。示されたのは、指輪の主役の宝石。これほどまでに美しい光を宿す宝石は見たことがない、と思わせる赤の輝き。
金の国の王族にのみ許された魔法。何もないところから、もしくは何物をも宝石とできる。もちろん宝石は宝石でも、鉱山から採れる宝石と同列にしてはならない。美しさも別格。
価値は比較にならないほど高いという。実際の値段は知らないが、相当だろう。
「持ってるんだ。これからおれは何をプレゼントしても勝てない予感」
「馬鹿ね。自分で買うより夫に買ってもらったほうが嬉しいに決まってるでしょ」
「照れるー。それにしても、王族が魔法で作った宝石を売るとか斬新」
財源には困らなさそうだなぁ。まあ量産していたら価値は下がるか。でも、王族の魔法の宝石だからこそ滅多に出回らない。いや、出回ることがそもそもおかしいとは思うんだけど。
現在新しいものが出回っているかどうかは分からないらしい。昔の王族が世に出したものが、流れているとか流れていないとか。
「魔法で作ったものって消えないんですかね」
「消えるものなら出さないでしょう。詐欺よ。消えないからこそ、より価値が高いのではなくて?」
「あー、なるほど」
でも陛下の魔法の炎だったら燃やし尽くせるんだろうなぁとか考えてしまう。魔法のものなら、魔法で。
言ったら、ヴァネッサ様は怒るだろうから言わないけど。
「でも、綺麗なだけの魔法ではないですよね」
宝石を出せる魔法、宝石とできる魔法。一見するときらきらした魔法だ。
だが侮ること無かれ。使いようによっては、美しくも残酷な武器となる。
金の国は領土争いを繰り返す国々の中で、珍しく気弱な国だと言える。平和主義な国。
でも、歴史の部分を見ているとどうもそんなに昔から平和主義ではなかったっぽい。
「戦っていた頃は、王族の魔法により敵兵の体から流れてできた血の海から全て宝石になったとかならなかったとか」
希少な宝石が驚くほど無価値になりそうな大盤振る舞いの光景でもある。
「昔の話でしょう?」
「今は攻められたときにのみ戦う守りの体勢みたいですからね」
平和主義で戦いを避けたがっている様子はここ百年くらい前からの流れのようだ。戦うのも自国を守るときのみ。
生き残るために、今回の同盟も決意したということなんだろう。
「おれはてっきり、何となく、気弱そうな王女様が来ると思っていたんだけどなぁ」
「勝手な想像ね」
「イメージは仕方ないでしょ。――昨日陛下が金の国の王女様を妻にする宣言なさったじゃないですか」
「そうね」
「ヴァネッサ様はどう思ったんですか?」
「わたくし?」
最初の頁に戻した紙束をテーブルの上に置いて、ソファーに斜めに座り直してヴァネッサ様を見る。
聞こうと思って、帰るまでタイミングを逃し続けていた。陛下の妹であり臣下のヴァネッサ様はどう考えているのか。
「わたくしはいいと思うわ」
「まあヴァネッサ様は、陛下が望むのならいいって感じですよね」
「あら、フェリックスは反対するの?」
「まさか。良いと思いますよ。わがま……選り好みの激し……お妃様に望ましい方が中々見つからなかった陛下が選んだんですから。それも王女様だ。戦で負かす国なら数あれど、同盟を持ちかけてくる国なんていないと思うと、負けさせた国より同盟の国からお妃様となる人を迎えた方がいいですよ」
「そうよ。わたくしだって、万が一平民か魔力の小さいような者を妃にすると言われたのなら反対するわ。でも家柄及び魔力良し、条件は良いわ。国内から迎えてくれるのであればその方が良いでしょうけれど、目ぼしい家の者はお気に召さなかったのだもの」
そうなんだよなぁ。前に、一定以上の貴族の令嬢が全員集められてお妃選びの場だって設けられたのに、駄目だったんだから。
「そうそう、ギリアン殿がこんなこと言っていたんです」
ギリアン殿と話した内容を言うと、ヴァネッサ様は「ああ……そうね」と納得した声を出した。理解したらしい。
「お兄様はきっと気の強い者が好きだから。今まで選ばなかったのは、お兄様の前で緊張せずに喋ったり、大胆な行動が出来る子なんていなかったじゃない」
「いやまあ、王様ですからね。気は遣うでしょ」
「使いすぎて、大人しすぎたのよ」
決め手はきっとその前、とおれの奥さんにして陛下の妹君は言う。
「お兄様はきっと、使者の一人に王女を指定したときには考えていたのよ」
「陛下が金の国で王女様に会ったときにですか? ……つまり陛下は肝の据わった、大人しすぎないむしろ気の強い人がいいんですね」
表面だけ掬ってまとめると、馬鹿ね、それだけじゃないわと言われた。
「魔法を恐れない者が良かったのよ。彼女にはその可能性があると思ったのではないかとわたくしは思うわ」
「?」
「わたくしたちの魔法って、とても暴力的よ。見た目からして、人には強烈な印象を与えると思うの」
真っ赤で、どんな炎より激しく燃え上がる魔法の炎。魔法であるがゆえに普通の火とは違い意志が宿り、本能的に危ないと感じさせる魔法だ。
「あのねフェリックス、自分の魔法を恐れる人と結婚したいと思う?」
「……気分の良いものではないでしょうね」
怯えられているのなら、気分が良いわけがない。魔法そのものを恐れられていれば、それ以上どうすることも出来ない。
ヴァネッサ様の言いたいことが読めてきた気がした。
「あの王女様は、陛下の魔法を見たにしては実に真っ直ぐ陛下の目を見る」
ギリアン殿の言っていたことも、ここでようやく分かった気になった。
一日経ち、正式な同盟のための話し合いに参加する王女様は陛下とも話す。目を見て、堂々と、自分の国のためにしっかり話す。緊張は見えても、恐れはない。
それは当たり前のようで、難しいことだ。
国を守ってくれる方とはいえ、陛下の力を見たことがあり、知り、もしくは噂だけで恐れも抱く民、機嫌を損ねないようにとする者が大半だ。陛下の妃候補となるべき貴族の令嬢も高位であっても、基本的には淑やかさと礼儀でほぼ黙りだ。話しても一言二言。
陛下は彼女たちを退屈そうに一瞥して、もう見ない。臣下であれば言葉も交わすが、それだけ。
それと比べると、金の国の王女様は真っ直ぐだ。見慣れないからかとても眩しく感じるくらいに、挑むようにも見える目はとても意志が強い。
「わたくしだって、フェリックスがわたくしの魔法を恐れないからとても安心する」
「何言ってるんですか。おれはもうヴァネッサ様とはかれこれ…………かれこれ……まあ気がついたときからの付き合いでしょ」
「台無しね」
年数をとっさに出せなかったのは悪かったとは思っている。
とりあえずですよ、とおれは続ける。
「おれはあなたのことをよく知っている。誰よりも知っている自負がある。魔法はそれはすごいなと思いますけどね、恐れる理由がない」
恐れるはずがない。その魔法がどれほど人を葬り去る力があろうと、力が掌握されている限り、その人に意思に依る。
おれは無意識の底から分かっている。この人はその魔法でおれを傷つけない。どのように思い、その魔法を使うのかおれは知っている。
「おれはヴァネッサ様のことを愛していますから。それが全部じゃないですか」
人の本質は魔法だけでは計れない。
「フェリックス……」
「まあ愛は盲目というところもありますか。多少ヴァネッサ様に雑なところがあってもそれで乗り越えられると言いますか――」
「本っ当に台無しね」
「いてっ」
叩かれた。ちょっと照れくさくなって冗談混ぜただけなのに、ひどい。
おれは背中を肩を擦り擦り、話を陛下の方に戻す。
「一つ不思議なんですけど、陛下には小さな頃から一緒だった人とかいなかったんですか?」
ゆくゆくは結婚相手にするために、慣らしておくと言うのも変な言い方だが、幼い頃から会わせておくなんていうことはざらにあるだろうに。
「いたわよ。……元々はね」
何かあったんだろうなと分かる声音と様子だった。
「知らないの?」
「え? おれですか?」
「当時結構問題になったのよ」
「……えぇー記憶にないですね」
自分に関係のない周りに興味はないというか……関係がないと思っているので、全然知らない。ヴァネッサ様のことは小さな頃から記憶が残っているのになぁ。というかヴァネッサ様とのことしか記憶に残ってない。おれは自分で思っているよりこの人のことを愛しているらしいと変なタイミングで実感した。
「幼い頃だから最初から一人に絞らずにって、初めは何人もいたのよ」
最初は何事もなく普通であったらしい。子どものときだから、そんなものだろう。けれど崩壊は意外と早くやって来た。
「あるとき、森へ行くことになったの。王都の近くの小さな森ね。子どもを集めて、交流させるための遠出。フェリックスも行ったはずよ」
「本当ですか?」
「ええ。……そのとき青の国だったかしら、刺客が襲いかかってきてお兄様が魔法で燃やしたの」
ああ、とおれは思い出した。
確かに、そんなことがあった。実際の現場は覚えていない。おれは、馬車に酔ったかで、それ自体は目撃していないのだろう。
「さすが陛下……っておれは思いますけど、子どもの頃ですよね」
「そうよ」
「周りも子どもですよね。子どもが見るには衝撃的な光景だったっていうやつですね」
周りも陛下も同じような年齢だったとしても、陛下のことなので人格形成は早めに固まっていたと予想される。今聞いた話が幼い頃の話なのに、刺客を御自ら焼き払うくらいだ。
どのような光景だったのか。人が跡形もなく燃やし尽くされる圧倒的な力が奮われたのは間違いない。
「その一件で公爵家や上位侯爵家の令嬢は怯えてしまって、もう全滅。成長しても今の通り。噂も流れて、印象が根付いてしまったでしょうね。彼女たちがいくら気が進まなくてもお兄様の方が望めば今頃誰かと結婚していたのでしょうけれど、お兄様は望まなかったわ。――でもあれでもお兄様は妃選びは期限付きで伸ばしているのよ」
「待っても出てこないときは出てこないですからね」
いつかは結婚してもらわねば。出来れば早くに。
「わたくしは現れて欲しかった。王だからって、王だからこそ望む権利があるじゃない。国を守る反面で、落ち着ける場所は必要だわ。気の許せる者が妃にならなくてどうするの」
「そうですね」
「わたくしにフェリックスがいるように、彼女がお兄様にとってそういう人であってくれればいいと思っているわ」
今日は時々挟む感じで褒められて照れる。
「まぁ様子見ですね」
金の国の王女様は、うちの国に滞在することになったのだ。