満を持しての登場 その4 ☆マーケティングミックス・STP分析
日が明ける。
姫の食事の用意から始まる、ミッツの1日。
何度使っても、自分が食べたことがある食事を複製してくれる【思い出の食品庫】の便利さに唸ってしまう。
一人暮らしをしていたくせに碌に料理が出来ないミッツは、その時にこれがあれば、どれだけ楽だったかと思いを馳せる。
「いや、この体の方が凄いか。そもそも食べなくても寝なくても大丈夫なんだから、もっと自分の時間を持てたかもしれないな」
家には帰って持ち帰りの仕事をして寝るだけ。
休みの日だって、いつ連絡が入るかわからないので心休まる時はない。常に怠さが伸し掛かっていた。
思い出すだけで、げんなりする。
「姫の笑顔見て、癒されよ」
美味しそうに、楽しそうに食べる姫の顔を思い浮かべる。
それだけでも、心は浄化される。
実物はその何倍も素敵だというのだから、モチベーションは止まるところを知らない。
朝一からこんな幸せな気分で仕事が出来るなんて、最高の職場に移れたことをミッツは感謝せずにはいられない。
鼻歌を歌いながら、料理の完成を待つこと30秒。
出てきたのはピザ。トマトソースの赤とバジリコの緑、とろりと溶けたチーズの白がとても美味しそう。
「たぶん姫もこの葉っぱ嫌いだろ」
完成されたバランスなのに、ミッツはちょちょいとバジリコを退ける。
「これでよし」
全く良くないが、ミッツの記憶の復元であれば、確かに美味しいものの記憶ではない。
それに、姫は完成系を知らないので問題無く食べられる。
因みに、退けられたバジリコだが、ミッツが自分の口のなかに処分している。
その辺に捨てるというような、罰当たりなことはしていないので安心してほしい。
楽しい姫の食事が終われば、朝礼の時間。
本日の目標の確認。情報の共有。気合いを入れるために大きな声で挨拶を交わす。
マリルは地下2階と3階を徘徊。姫はいつも通り部屋で大人しく待っていてもらう。
いつもならこれで命がけ(物理)の仕事に向かうのだが、夜に用意しておいた地下3階を承認してもらうことも忘れていない。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
二人に見送られたミッツは、一人【ビギニンガム】に向かう。
◇◆◇◆◇◆◇
「(クエストが失くなったから、何か他の方法で集客しないと不味いかもな)」
クエストのおかげで、2日間で大量の動員があり、ダンジョンエナジーをたっぷりと稼げた。
両日とも必要ダンジョンエナジーの倍を稼ぎ出しので、設備投資に1日分を回しても本日までは余裕がある。
とはいえ、到底のんびり出来る余裕ではない。
設置されたトラップとモンスターが増えた【黒髪姫の薔薇のお城】の維持費は約1200DEに増えた。
ミッツも1つレベルが上がったので維持費と復活費用が増えたが、維持費3DEの復活費用30DEという誤差程度。
本人が強がって1.5倍に増えたと息巻くと、マリルに素直に賞賛されて落ち込むという藪蛇なこともあったが、その話はまぁしなくても良いだろう。
「マーケティングミックスを使って、ちゃんと考えた方が良いか……」
マーケティングミックスとは、マーケティング戦略の効果を高めるため、取りうる複数の手段を組み合わせた戦略、計画の実施。
売り手側視点の4P、買い手側視点に立った4Cというフレームワーク――※分析、問題解決、戦略立案等の概念的枠組み――がある。
これを使い、より効果を見込める戦略を立てようと意気込む。
「まずは、戦略を決めるために必要な要素を抽出しないとな」
そう独り言ちて、門に向かう道から逸れて、潅木に凭れかかるように座る。
マーケティング戦略に必要な要素とは、“戦う領域”“戦い方”“差別化”“収益”の4つ。
本来であれば“セグメンテーション”、“ターゲティング”、“ポジショニングで分析するSTP分析等を使用するのだろうが、ミッツたち【黒髪姫の薔薇のお城】が狙える顧客は一般人かレベルの低い冒険者のみ。
それに、分析するほどのデータを持っていない。
「あー、考えたら、やらなくてはいけないことが山ほどあるな……」
街とダンジョンの調査と言ってしまえばそれで終わりだが、その数と広さが膨大すぎる。
全部自分で集めるとなると大変な作業だが、有効性のあるデータだけでも集められればなんとかなる気もする。
実際、店長をしていた時は、会社からその手のサポートは一切受けられず、自分の足でそれなりに集めていた。
「でも、今はやる暇がないなー。卵が先か、鶏が先か……」
効率良い収益を得るために戦略を先に立てるのか、戦略を立てるのに時間を割くのか。
それを考えて、ミッツは頭を掻き毟る。
「無理。一旦棚上げ」
考えても答えなんて出ないので、――というよりも、考えることが面倒になって諦めた。
立ち上がり、鎧についた砂を払う。
「今日は、対象レベルの冒険者を2組、12人キャッチする」
明確な目標を立て、また門に向かって歩き出す。
途中で、マリルがいないとレベルの確認が出来ないと気付くまでは。
「なんでこんなぐだぐだになんだよ」
会社で働いていた時のような閉塞感に包まれ、弱音を吐く。
朝に感じた幸福感はいったいどこに行ってしまったというのか。
「一旦帰ろ」
結局すごすごと、【黒髪姫の薔薇のお城】にミッツは戻ることになった。
しかし、それも仕方がないこと。
最近何かと上手くことを進めていたが、佐藤満博とはそんなに優秀な男ではない。
追い詰められた状況故、火事場の馬鹿力を発揮していたにすぎない。
そして緊張とは、本来長期間持続するものではない。
このぐだぐだは、緊張が切れたサイン。
そのことに気がつかなければ、危険になる状況。
だが、冷静に自分のことを分析するというのは難しい。
ミッツは、気づいているのだろうか。自分が今正に、崩れていっている崖の縁に立っているということを。




