社畜、アクロバティック転職_その2
「な、なんじゃこりゃあ!」
いつからそんな物を身に纏っていたのか、重さも何も感じていなかった。
動転してわたわたと満博が動くと、ガチャガチャと金属が擦れる音が鳴る。
「ちょっと、いきなり大きな声を出さないで。びっくりしたでしょ」
幼女は迷惑そうに耳を押さえている。よっぽどこの子の方が煩かったと思ったのだが、大人気ないので満博はそっとしておく。
幼女は余程びっくりしたのか、ガバッと立ち上がり、アホ毛がビーンと天を指す。
それを見て、満博は答えに行き着いた。
――これは夢だ。
「妙に意識がはっきりしているしリアリティもあるけれど、明晰夢ってやつか……」
終電時間の座席足元の温かな空気とリズミカルな揺れと、明日は24日ぶりの休日ということで安心し、どっぷり夢の中に落ちてしまったのだろう。
そうと分かれば、こんな所おさらばだ。こんな可愛い幼女の夢を見るなんて、俺はどうかしてしまったんだろうか。幼女趣味なんてないんだけどな。
と、妙に納得しこの夢から今すぐ覚めるのは勿体ないと後ろ髪を引かれつつも、満博は思いっきり自分の顔面を殴りつけた。
――ガギャン!
激しく金属と金属が打つかり合う音が響き、グワングワンと満博の耳の奥を揺らす。
驚き、両頬を手で押さえると満博に硬質な手触りが返る。
兜。そこには頭をすっぽりと覆うフルフェイスタイプの鉄兜が装着されていた。
驚いた満博は勢い良く、それを引き抜く。
まじまじと観察すると、小さい覗き穴がいくつか空いてあるものの、とても視界が悪そうなもの。
しかし、視界は狭まることはなく普段と何も変わっていなかったため、全く気づけなかった。
もう一度被ってみても、やはり視界は何物にも邪魔されない非常にクリアな視界。摩訶不思議。
「やっぱり、頭が悪いだけのモンスターなのでは!?」
混乱している満博を、可哀想な人を見るように幼女が見る。
一言言い返そうとしたが、満博は言葉が出なかった。
夢から醒めなかったことで、目の前で起こっている不可思議が怖くなったのだ。見知らぬ場所と理解できない状況。泣きたくなる。
「お嬢ちゃん、ここは何処なんだ? なんで俺はこんなところに居るんだ?」
震える小さく情けない声で、地面に膝を着き小さな幼女に縋り付く。
大人として、男として情けない。
しかし、今ここには満博以外にはこの幼女しか居ないのだ。
体裁など気にしている場合ではなかった。
「ここは【黒姫の薔薇のお城】、わらわのダンジョンよ。……って、なんでわらわが召喚したモンスターにこんなことを説明しなきゃいけないの!? もうヤダヤダヤダヤダ――」
幼女は吠えた。息が続く限り吠え続けた。
限界に達した時、一際大きな声で最後に「ヤダ!」と叫ぶ。
しんと静かになり、幼女は俯き、ぷるぷると震える。
一雫、幼女の目から涙が溢れた。
「どうしたの? 大丈夫?」
慌てた満博は声をかける。
幼女の涙が居た堪れなくて胸を締め付けた。満博も泣きたいくらいに不安だったのだが、そんな意識も吹き飛び無意識に幼女の涙をそっと指で掬い取った。
「大丈夫じゃない! もうすぐ消えちゃうかもしれないのに……神様が『特別なモンスターが召喚出来る』って言ってた召喚チケットからは変なソードマンが出てきちゃったし、もうヤダ!」
言い終わると、堰が切れたようにわんわんと涙を流しながら泣き出す。
満博は子供と触れ合う機会が無かったので、こういった場合どうしていいか分からなかったが、少しでも落ち着いて欲しくて頭を撫でながら泣き止むのを待つことにした。
本当はすぐにでも聞きたかった。先ほどの質問の答えを。何故泣いているのかを。『もうすぐ消えちゃう』という意味を。
暫く満博がさらさらの頭を撫でていると幼女は落ち着いてきたのか、泣き声が小さくなり鼻を啜る音が多くなった。
ぐしぐしと小さくぷにっとした拳で目を擦っているので表情は見えず、話しかけていい状況になったのか窺い知れない。
もしタイミングを失敗して、またわんわんと泣かれるのだけは勘弁して欲しい。
だがいつまでも待てるほど満博も心に余裕がなく、思い切って声をかけた。
「何か俺に出来ることがあるかな?」
幼女の頭を撫で続けたまま問いかける。
満博も余裕がない。かと言って、こんな状態の幼女を放ったらかしにしたまま、自分のことを優先出来るほど非道な人間ではない。そんなこと大人として、男として、絶対に許されないことなのだ。
ここが夢だろうが現実の世界でなかろうが関係無い。この子に笑ってほしい、力になりたい。
満博の心は、そんな気持ちで満たされていた。
「ソードマンに何が出来れるっていうのよ。もうわらわはこのままダンジョンエナジーが尽きて、ダンジョンと一緒に消えちゃうの」
幼女は力が完全に抜け、ぺたりと座り込む。
そんな幼女の脇の下に手を差し込み抱え上げ、そして玉座のような真っ赤な革張りで金で装飾された豪華に設えられた椅子に座らせる。
「姫。俺がなんとかするから安心してくれよ」
幼女の涙が止まり、目が大きく開かれる。
勢いに任せて言い放っただけだが、これ以上ないくらい格好良く決まった。
満博の自己評価は高かった。
満博が幼女を姫と呼んだのは、ただなんとなくだ。ただなんとなくだったが、妙にしっくりきた。まるでそう呼ぶのが自然で当たり前なように、口からそう出てきたのだ。