AIDMAの法則。その1
翌日。
といっても、太陽が昇り光の時間になっただけで、それほど時間は経過していない。
ダンジョンに潜る冒険者も、基本的には朝から動き出す。
冒険に時間なんて関係なさそうなものなのだが、属性の名を冠した時間が影響している。
あれは便宜上そう名付けられた訳ではない。
そのまま属性の強弱に影響する時間を示したものなのだ。
水は土に呑まれ、土は風に曝され、風は火を大きくし、火は水に消される。
そのように、強い属性が前の時間の属性を上書きしていく。
モンスターは闇系に適性が高いのが多く、夜は冒険者にとって不利に成りがち。
更に冒険者は生き残ることが優先なので、最も攻撃に適した火の属性が強化される火の刻の戦闘、特に不意打ちによる事故を避ける為、なるべく明るい時間――“光の時間”から行動を始める。
ここ数日天候に恵まれ、この日も気持ち良い一日になりそうな予感を伺わせる空。
家々からは焼いたパンや煮込まれたスープの香ばしさが漂い、板石を詰めて敷いた中央通りにもポツポツとだが往来がある。
完全武装で大きな荷物を背負い、ダンジョンへと向かう冒険者の一団。
朝早くから作業に出る農夫。
そんな人たちを相手に店を出す露天商。
営みが始まり、徐々に騒がしさと忙しさが広がっていくオールスタット王国の城下町ビギニンガム。
そんないつもの日常に、誰にも気づかれぬまま異物が紛れ込む。
漂う匂い、色や形が不揃いの建築物、行き交う人々――異物は、その全てに感動していた。
その目に映る、異国情緒豊かな景観に息を呑む。
見飽きていた無機質な灰色のコンクリートジャングルとは違う、温かみを感じる風景。
その異物――ミッツは、外門を潜り真っ直ぐに北へ伸びる中央通りに立って身震いしていた。
「すげぇ……」
陽の下で見た、石壁の迫力。
雑多だが、生命力溢れる町並み。
それに、映画かゲームにしか出て来ない格好の住人たち。
正にファンタジー。
「やべぇ、テンション上がる」
恥も外聞もなく、このまま大声で叫んで走り周りたい。
それくらいに興奮していた。
「さて、取り敢えず目的地に行くか。観光は……早く出来るように頑張ろう」
ミッツは遊びに来たのではない。姫との約束――ダンジョンに冒険者を誘い、姫を救う――それを果たすためにこの街に来ているのだ。
気合いを入れ直し、北に、舗装された道を歩き出す。
人間の領域に侵入を果たしているミッツだが、どのように入って来たかというと、堂々と門番に認められて門の内に入って来た。
かと言って決して正攻法などではなく、紛れもない奇策。
鍵は、ミッツの首に下がっているネックレス。
そのペンダントトップ、それは冒険者であることを証明する名刺サイズの金属板――冒険者証。
何故そんなものを持っているのか。
それは、またも命を支払ったから。
ダンジョンにはイベントアイテムを作成する機能《イベントアイテム作成》がある。
それを利用し、【落とされた冒険者の証】というものを用意した。
内包する情報も書き換えが可能だったので、もともと記録されていたものを編集してそれらしくしている。
その対価は50DE。
決断するのは簡単ではなかったが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
だが決して、ミッツにはハイリスク-ハイリターンのギャンブルに身を投じた気持ちはない。
必要な出費。情報を得た上で、そう判断した。
門があるのは街の南端。この南区は様々な店が並んでいて、宛ら商店街のようだ。食べ物を売っている店が並んでいて、ミッツが見たこともない形の果物や、食べられるのか疑問に感じる濃い青紫色をした見た目は肉っぽい串焼き等を売っていた。
キョロキョロと周囲を見渡しながら歩く。ただそれだけなのにとても楽しい。
このまま街を見て回りたい。遊びに来たのではないと分かっていても、その気持ちは止められない。
だが、命が懸かっているのだ。自制をするのは難しくない。
欲望を振り切るように小走りに進む。
数十分駆けると、程々に人が集まっている広場に出た。
この広場は病院、教育機関、銀行を兼ねた重要な施設である教会だけでなく、冒険者の管理会社のようなものである冒険者ギルドが面していた。
それ故、様々な人がこの広場には集う。
特に今の時間はダンジョン出発前の冒険者が多く集まっている。
ここがミッツの目指していた目的地――否。
この集団を目当てにして、ここに急いで駆けつけたのでは無い。
それでも後ろ髪を引かれながら、広場を素通りし街の東側の地区に向かっていく。
周囲の色が木材の茶色一色になり、粗末な建物、土がむき出しの地面、襤褸を纏った人々が増えて来たところで、ミッツは走るのを止める。
がちゃがちゃと金属の鎧が立てる雑音は、その者達にとって異質。
だが、畏敬の対象でもある。
そんな鎧姿のミッツに、自然と注目が集まる。
兜は街中で付けてはいけない規則なので顔は見えているが、張り付いたような笑顔は得体が知れない。
囲む人々の顔には、警戒の色が示される。
聞こえぬように、それでも皆が皆こそこそと話し合う姿は、ミッツに自分のことを話していると感づかせるには十分だった。
立ち止まりキョロキョロとミッツが周囲を見渡せば、ざわりという音を最後にピタリと静まる。
青いマントを着けていない。
そこのことから騎士――この国を護る軍隊や警察のようなもの――ではない。
しかし、貴族の私兵や冒険者がこんなところまでやってくる理由も分からない。
緊張感が場を支配し、今にも誰かが弾ける。――その時、ミッツ動く。
背中から、ぬっと先が平たく大きくなっている長柄を抜く。
どこからか、ひっと引きつった短い悲鳴があがる。それを皮切りに響めきが広がっていく。
「あー、びっくりさせてごめんなさい。これは武器じゃないです。どうか落ち着いて!」
その響めきで、ミッツはようやっと周囲の反応に気付き、声を上げる。
だが、手遅れ。
逃げ出す者、腰を抜かす者。蹲って祈る者、泣き叫ぶ子供。
忽ち広がる地獄絵図。
「違います! 大丈夫です!」
ミッツは大声を出し、周囲を宥めようと奔走する。
喧々囂々。其処彼処で騒ぎ立て、がやがやと五月蝿い。
ミッツの行動が引き起こした阿鼻叫喚から数分が経過。
泣き叫ぶ者は流石に居なくなっていたが、ミッツの周囲は未だ荒れていた。
しかしそれは、先ほどの恐怖とは違った、熱を持った騒がしさだった。
その原因は、やはりミッツ。
恐怖を撒き散らした、長柄と思われていた物である看板が、今度は期待と不安を与えていた。
それは看板の文字が読めないことから来た、何が書いているかわからない故の期待と不安ではない。
ここにいる全員、小さな子供も文字が読める。
だいたい5歳くらいまでに教会で読み書きは出来るようになっている。といっても、学校のように教えてくれるわけじゃない。
お金を払い共通語の読み書きのスキルを祝福してもらうのだ。
金が無ければ『このケチな背教徒め!』といって追い出されるが、このスキルに関しては国から補助金が出ているため、非常に安い価格で受けられるのでほぼ全ての人が有している。
この世界では、知識や技術とは学ぶものではない。祝福により与えられるものなのだ。