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売りやすくするためにマーケティング。その5 ☆ステークホルダー・マーケティング

 可愛らしい姫の食事シーンをにこにこ(にやにや)と眺めて、肩の力どころか骨まで抜かれたミッツ。

 時間がないというのに、直ぐに仕事に熱中する様子はない。

 情報を調べるためには玉座に掛ける必要がある。すると、当然姫も密着するように腰掛ける。

 しかも、お子様ランチでテンションが上がっている姫は、その感動を伝えようとミッツに頻りに話しかける。

 背中をミッツに預け、後ろに倒した首は――意図していないだろうがコケティッシュに映った。

 そんな中、仕事に打ち込めるのか?


――答えは否である。


 ミッツはそう胸を張り、大声で宣言することだろう。


「ねーねー、あんなに美味しいものをミッツはどこで食べてきたの?」

「日本って所ですね。私はそこで住んでたんですよ」

「ミッツはわらわが召喚したモンスターなんだよ。住んでたとか意味分かんないね」

「そうですよね。意味わからないですよね」

「でも、でも、その『ニッポン』っていうのは美味しいものいっぱいなの?」

「美味しいものは、多いと思いますよ」

「行ってみたいなー。外に出れたらなー」

「外に出ても、どうやって行けば今は分からないですけど、なんとかするので任せて下さい」

「うん、お願いね。ミッツ」


 またも安請け合い。

 だが、とても嬉しかった姫は、ミッツにぎゅっと抱きつく。

 姫とミッツを比べると、体の大きさは倍近く違う。

 1mと少しの姫に対して、2mを超える大男のミッツ。

 だから、抱きついた姫の両腕はミッツの体に回らず、しがみついている格好になっていた。


――姫は、とても小ちゃくて可愛いなー!


 心の中で堪らず叫び出す。

 現在は2mを超える巨体なのだが、元は平均的身長の170cm感覚なまま。なので、姫がより小さく見えている――とか、そんな無粋な事は関係なく実際に姫は小さく可愛い。それは疑いようのない事実だが、ミッツのロリコン化が益々進んだことも間違いない。


「あー。早く行きたい。ね、いつ頃行けるかな?」

「なるべく早く行けるように頑張ります」


 すっかり、姫の中から消滅の不安は見て取れない。

 それどころか希望に満ちた、輝く瞳。


「私が作ったわけではないですけど、随分気に入ってもらえて嬉しいです。また明日別のものも用意しますからね」

「ありがとー! でもでも、見た目も可愛かったから、また『お子様ランチ』で良いかも。だけど、別のも気になるなー。どうだろー。あー早く明日にならないかなー」


 守りたい。

 姫の望む、明日を守りたい。

 ミッツの心に闘志が燃える。

 そして、ミッツもまた消滅の重圧(プレッシャー)は消えていた。


 十分にリラックスしたミッツは、現在の状況を思い返す。

 本日分を清算した残り寿命(ダンジョンエナジー)は、459DE。

 【跳び掛かる硬貨(クリーピングコイン)】と食事で、随分と減ってしまった。

 明日以降の維持費は182DE。依って、結果が出なければ3日目後に消滅することになる。

 解決すべき問題は、ダンジョンに冒険者が来ないこと。残り時間が少ないこと。

 解決方法として、『知らせること』を目的達成とするのではなく、購買行動に直接結びつける“プロモーショナルマーケティング”の実施を決定。

 それには、“戦略”・“手法”・“ツール”を用意しなくてはいけない。

 そこで、詰まっていた。

 ミッツは、圧倒的に知識が不足していたからだ。

 戦略を立てようにも、何処で、誰に向けて、具体的にどれくらいの成果を出す――何人の冒険者を連れてくるのかを明らかに出来ない。

 勝つための戦略目標が設定できないので、手法も定まらない。

 手法が定まらなければ、ツールの用意には取りかかれない。

 この世界のことも、冒険者のことも、ダンジョンのことも知らないのだ。

 だがいま、こうして冷静に整理することにより、知るべきは何かを知った。

 圧倒的な情報量のヘルプの海に漂っていた漂流者から、羅針盤を手にいれ船になったのだ。


 まずは世界、ステークホルダーのことを知らねばならない。

 ステークホルダーと云うのは、利害と行動に直接的、もしくは間接的な利害関係を有する者のことで、具体的には、顧客(冒険者)や|従業員《姫、ミッツ、モンスター》、仕入先、得意先(冒険者ギルド他)行政機関(教会や騎士団)、地域社会などのこと。

 知らねばならないからといって、今直ぐ全てを知ることは出来ない。

 何よりも時間が足りない。

 まだ日付が変わるまで三刻(地球時間約8時間)あるとはいえ、全てを知るには少なすぎる。それこそ、一生をかけても全てを調べることは出来ないことは明白。ダンジョンのモンスターに外的要因以外の寿命がないのは別として……

 なので、調べるべきは明日の目的地――【オールスタット王国城下町ビギニンガム】

 冒険者やダンジョンに関しても同じこと。

 そこで必要な知識がまた見つかれば、枝葉を広げていけば良い。


 ミッツの目が、何度も何度も左から右へ、上から下へと動く。

 特に視界を邪魔していたわけではないが、気分として兜は外して足元に置かれている。

 だからその目には、ダンジョンコンソールから受けた光が映り込んでいる。

 それを見るのは2つの瞳。

 邪魔しないように、静かに、光る目をただじっと見つめている。


「姫……思いつきました」

「本当に⁉︎ とっても良いみたい」


 二刻ぶりにミッツが口を開く。

 それに、何かを発見した様子だ。


――『この世に売れないものはない』


 営業本部長の口癖。

 売れないのだとしたら、それは売り方が間違っている。と、口酸っぱく繰り返していた。

 そんな営業本部長の逸話がある。

 ミッツの店舗ではないが、店舗視察で張り切っていたのか知らないが、一方的で強引な営業をかけてお客様からクレームを受けた。それなのに『ここの店員は気合が足りていないから売れない』と帰り際に小言を残し、“結果を残せぬ口先老害”と言われていた人の言葉だ。

 だが、ミッツはその『売り方が間違っているから売れない』というのは正しいと思っている。『頑張れば売れる』という下らない精神論ではないが――


「大事なのはマーケティング戦略です。マーケティングと云うのは、“価値を提供して、効果的に受けてもらう”ということです。そしてマーケティング戦略は、簡単に言えば“有利に商品を売ろう”という考え方や仕組みのことなのです」

「なんだかよく分からないけど、凄いみたい」

「まず戦略その1、“誰に売るか”です」

「それは、冒険者じゃないの?」

「それでは売るべき人の姿が見えません。どういう冒険者ですか?」

「え? えっと、えっと……レベルが高くて弱い魔術師?」

「……そういう人が、沢山居れば良いですけど……申し訳ございませんが探し出せないと思います」

「もう! 分かんない!!」


 癇癪を起こし、ミッツの太ももをバンバンと叩く。


「痛い、痛いです。……ちょっと難しいですね。では、順番に考えましょう。まず、お客様が商品を購入するとき、お客様はその商品自体が欲しい訳ではありません」

「ん? ん? 何言ってるのかなー。商品が欲しいから買ったんだよね?」

「姫、お子様ランチ欲しいですか?」

「欲しいー! 良いの? 明日まで待たなくても良いの?」

「ごめんなさい、明日まで待ってください。それより、何でお子様ランチ欲しいんですか?」

「え? だって、美味しいんだもーん。食べてたら幸せー」

「ですよね。姫は『お子様ランチ』が欲しいのではなく『美味しくて、幸せな時間』が欲しいんですよね?」

「え? 違うよ。『お子様ランチ』食べたい」

「ケーキっていう、もっと甘くて幸せになるお菓子があるんですけど、明日はどっちが良いですか?」

「両方が良い!」

「一個だけだったら?」

「んー。難しい問題だよー」

「ほら、ね」

「ん?」

「姫は『お子様ランチ』が欲しいんじゃないんです。より『美味しくて、幸せな時間』が欲しいんです」

「あー! ほんとだー」

「この、“商品を利用することで得られる利益や満足感”のことを《ベネフィット》と言います」

「ベネフィット!」

「そうです。冒険者もダンジョンやモンスター、宝箱そのものが目的ではありません。そこで得られる名声、強さ、お金が欲しいのです」


 なるほどーと聞こえてきそうな程の納得した顔を、姫が晒す。

 それに満足しながらミッツは続きを促す。


「では、【黒髪姫の薔薇のお城(姫のダンジョン)】は冒険者にとってどんなベネフィットを提供できますか?」

「トラップは失くなっちゃったし、モンスターはダメダメだったし……なんだろう? お子様ランチ?」

「あの秘宝はとても良いものですけど、売りにするにはコストがかかりすぎます。それに調べたところ、街には美味しいものが沢山あるようですしね」

「んー……」


 腕を組んでうんうん唸る姫。これもまた可愛らしいと満足するミッツ。


「そのダメダメのモンスター【跳び掛かる硬貨(クリーピングコイン)】が、このダンジョンを救うかもしれません」

「え!? だって、『冒険者から見れば特に旨味のあるモンスターではない』ってミッツが言ったんだよ」

「それはそうなのですが、視点を変えればそれほど悪くもなかったです」

「どゆこと?」

「次に考えるマーケティングの基礎は“差別化と強み”です。価値を提供すれば、それだけで買ってもらえる程甘いものでもありません。うちは同業他社(他のダンジョン)より低い価値しか提供出来ません。なにせ最弱のモンスターしか居ませんから。だから、同業他社(他のダンジョン)に負けないうちの強みで勝負するんです」

「最弱なのに強いの?」

「勿論です。【跳び掛かる硬貨(クリーピングコイン)】の“強み”は、“弱いこと”です」

 またミッツが何か言ってる。姫の半眼はそう語っている。

 当然ミッツはその目に気付き、背筋がぞくぞくと震えた。

「あれ、反論はなしですか? まぁ確かに……このままでは矛盾していて意味が分かりませんよね。なので、“マーケットセグメンテーション”と“市場ターゲティング”について説明します」


 姫は既について来れていないのか、完全に傍観モードとなっている。

 ミッツは、それを真面目に聞いてくれていると捉え、さらに饒舌に。


「マーケットセグメンテーションは、市場を細分化し、ターゲット顧客を分けること。市場ターゲティングは、マーケットセグメンテーションで分けた市場セグメントを選択するプロセスのことです。簡単に言うと“どんなお客様をターゲットにするか決める”ということです」

「あ! やっと“誰に売るか”のお話なんだね」

「そうです。“どんなお客様をターゲットにするか決める”というと、偉そうに聞こえるかもしれないですが、そんなことはありません。うちの強みを正しく評価してくれる顧客を定義しないと、提供出来る価値を必要ない人に提案しても意味はないからです」

「もっと簡単に言って!」

「お金がない人に高級な商品が売れない。逆に、高級志向の人は、チープな商品を持つことを嫌がる。そういうことです」


 湛えているのは、分かっていないという顔。


「姫は『お子様ランチ』が好きですよね?」

「大好き!」

「でも私は、『とんこつラーメン』の方が好きです。何故なら、お子様ランチでは量が物足りないからです。お子様ランチには甘いものも付いていますが、とんこつラーメンはしょっぱい食べ物です。両方あるとして、姫と私でどうやって分けますか?」

「お子様ランチはわらわ! とんこつらーめんはミッツ」

「そういうことです。分けるっていうのは、お客様によって求めるニーズが違うのだから適切な価値を提案するために必要なことなのです」

「じゃー、【跳び掛かる硬貨(クリーピングコイン)】が欲しい人に提供するんだね」

「その通りです。より正確に言えば、【跳び掛かる硬貨(クリーピングコイン)】でベネフィットを満たせる人に提供します」

「それって、どんな冒険者?」

「それは明日の仕上げをご(ろう)じろ。何度も言いますが、俺に任せてください」

「うん!」


 油断して自分のことを俺と称してしまうミッツ。

 しかし姫は気にせず満面の笑顔を返すのであった。

 そもそも、ミッツが勝手に気を遣っていただけなので、姫はどんな言葉遣いだろうと気になどしないのだが。

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