5.Bring it on down
嵐のように吹き荒れる灰色の大群。
一匹ずつ斬り殺していては本体に隙を突かれる。
美寿は柄を握り直し、ヒルをかわして直接人型に刃を向けた。
(触手合わせて気をつけるのは3点。片手に何か抱えている...?)
触手と片手。その攻撃を避けながら人型の急所を突く作戦だ。
だが、突如左肩に猛烈な痛みを感じた。幾つものナイフを一度に突き刺されるような激痛。
黒眼を動かして左を見ると、小型ヒルに肩の端を噛みつかれていた。
一気に血の気が引き、ヒゲ兵士の死に際が脳裏を過る。
彼女は躊躇せずに日本刀を肩に押し当て、肉を削ぎ落とした。血がどっと溢れる。
(くそ...本当に厄介だこのヒル群...)
美寿は防弾ベストに付けていた手榴弾のピンを抜き、人型に突進した。
触手の攻撃を紙一重でかわし、奴の股へ滑り込む。その瞬間に手榴弾を落として美寿は跳んで爆破から身を守った。
轟音と共にヒルの残骸が辺りに散らばる。煤汚れた頬を拭って、彼女は再び刀を構えた。
土煙の中から現れたのは片手と脚を吹き飛ばされた人型。
「...」
勝てる。美寿は確信する。
だが、這い蹲る人型の後ろから半人型のヒルが三匹現れ、こちらへ突進してきた。
(三匹同時。仕留められるか...?)
身体の殆どが巨大な口部の化物。この刃は効果があるのだろうか。美寿に一抹の不安が残った。
左の腕が痺れる。意識も朦朧としてきた。脚がふらつく。
美寿は必死に目の前の敵に集中する。
だが、敵との距離感さえももう把握できないほど疲弊しきっていた。
____転ぶ。
三匹同時に。
何かが彼等の脚を捉えた。
よく見ると、アンカーが地面から30cm上を横に張られていた。
(さっきは無かったのに...)
「ざまぁねぇな。こんな虫に殺されるなんざ。おおよそ生きるセンスがないんだろ」
笑いを含んだ声に人を煽ったような言動。
ミストだ。
彼はいつもと顔色一つ変えず馬鹿にしたように眉を釣り上げる。
腰に据えたハンドガンを取り出すと、一匹のヒルに弾を撃ち込んだ。
マインスロアー。
放たれたグレネード弾は一定時間に達すると爆発し、ヒルの身体が半壊して爆散した。
彼の装備は火力のあるものが多かった。ミストは初めてヒルを見せられた時から気づいていたのだろう。ただの銃弾では試練を突破できないことを。
「ミスト...」
「覚えてたのか。名前。だが、この程度の任務で死にかける奴に覚えて欲しくはねぇな」
美寿のすぐ目の前に仁王立ちし、彼女を見下す。本当に実力主義が過ぎる男だ。左手に持ったマインスロアーを人型ヒルに放って爆発させた。
何の興味もない。
彼はただ、対象を殺すだけの機械のような瞳をしていた。
ヒルの身体の肉片が顔に飛んでくる。それを払い退ける気力さえ美寿は無かった。
彼女が最後に目にしたもの、それは。
可愛らしいテディベアー。
爆発によって吹き飛ばされた顔が目の前に転がり、美寿を覗き込む。
そのテディベアーが付けていた首輪に、小さなメッセージカードが付いていた。
彼女はそれを見て、とても遣る瀬無い気持ちになったのだ。
なぜなら
お誕生日おめでとうと書かれていたから。
彼もまた、サンタのように誰かから必要とされていた1人の人間だったからだ。
____
第一訓練。
10名中6名死亡。4名生存。
目を覚ますと見慣れない天井があった。瞼を擦って身体を起こそうとすると痺れるような激痛が肩から全身にかけて迸る。
「つ...ッッ!!」
肩の肉を削いだことを忘れていた。
爆風による打撲も何箇所かあるようだ。
(それにしても...嫌なモノを見た...)
あのグロテスクな容姿やヒルの大群よりももっと恐ろしいモノ。
彼が人間だったという事実。
愛する誰かに人形をあげようとしていたこと。
恐らく、彼は善良な一般市民だったのだろう。ある日突然その時が来た。【マザー】の犠牲になる日が。
幸せは地獄と一変し、死ぬという方法でしか自分を救うことはできなかった。
「起きたか」
後悔に耽っていると、ベッドの横から野太い男の声がした。
「教官...私は第一訓練で合格できたのでしょうか」
声が思うように出ない。掠れている。
「どちらとも言い難い。ミストが君を応急処置して出口まで担いでいなければ君は死んでいただろう」
「ミストが...?」
意外だ。当然の如く見捨てると思っていた。
「うむ。ルーナ・スカーレットとアダム・ヤングは迷宮で三日三晩鬼ごっこをしていたらしい。情けない事だが、あのヒルの群れの中延々と走り続けたことは評価しよう。...どうした」
教官は美寿のきょとんとした顔を見て問うた。
「私...何日か寝ていたんですか...?」
「4日目になる。ほれ」
彼に渡されたボトルの水を口に含むと、全身の気怠さが抜けていくようだった。
身体が欲しがっている。干からびた土が雨を吸収するように一気に水を飲み干す。
「...辞退する気になったらいつでも言え。お前さんは姉のことに気負いしているかもしれないが...無理にトールクラスへ行く必要はない。最近は物騒だ。トールクラスでも命を落とす案件が出てくるかもしれない」
「お気遣いなく。私は私の道を歩きます」
「...そうか」
教官の心配は杞憂に終わり、ゆっくりと病室から出て行った。
「まだ...届かないのか...」
白軍に挑戦して初めてわかる厳しさ。
彼はどんな境遇で闘っていたのだろう。
そして自分は本当に彼を超すことができるのか。
ガタン...。
扉の開く音が、彼女の自問自答を途切らせた。小学生くらいの女の子が入ってきて心配そうな目をしている。
長いブロンドの髪に緩くカールをかけていて、年齢に沿わず豹柄のコートを着ている。
「...イヴ」