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さようなら皆さん  作者: キリライター
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モラトリアム人間

 



 朝は憂鬱だ。


 その日の天気が良くとも悪くとも、気分はいつでも最悪だ。

 布団から出て服を着てご飯を食べて化粧をして大学に行く準備をする。たったこれだけのことが私には大仕事となる。

 だって布団、あったかい。幸せ。生きるのが面倒になる位にはとても幸せ。低血圧な私はカーテンを開けて日光を浴びた瞬間絶望的な気持ちになる。

 何もやることがない日は一日中カーテンを閉め切った部屋で、ご飯も食べずにスマートフォンをいじるか本を読んだりしてベッドで過ごすのが最高の幸せだ。

 でも大学生の私には毎日学校があるからそうもいかない。

 大抵の日はご飯を食べず化粧はマスクをして、テキトーな服を着て頑張って大学に行く。

 それでもダメな日は大学を休んでしまう。いわゆる自主全休というやつだ。

 けれど今日は特別な日だったので全部のことをきちんと済ませた。ちょっとお洒落な服を着て、化粧もいつもよりちゃんとして、時間通り家を出る。

 だって今日は、お隣さんとお出かけをする日なのだ。




 お隣さんとは、私が大学に入学して一ヶ月が過ぎた頃に初めて出会った。

 今日も一日頑張って生きたな、とアパートに帰ってきた私が自分の借りている部屋に戻ろうとしたら、丁度家を出るお隣さんと鉢合わせたのだ。

 初めて見たときは、なんてきれいな人なんだろうと思った。

 ふわふわとした髪に、長い睫毛。美しい黒のワンピースに、白い肌がよく映えていた。

 まるで物語に出てくるお姫様みたいだった。

 お隣さんが私の横を通り過ぎるとき、何か香水でも付けているのだろうか、ほのかにあまい香りがした。

 香りまで良い匂いだなんて、きれいな人はどこまでも完璧ですごいなと思った。

 お隣さんの良い匂いに動揺した私は思わず持っていたスマートフォンを落っことした。

 音にびっくりして咄嗟に拾えずにいると、気づいたら通り過ぎたはずのお隣さんが屈んで私のスマートフォンを拾っていた。




「落としましたよ」




 そういってお隣さんは私にスマートフォンを渡した。

 高くもなく低くもない声だった。




「あ、有難うございます」

「いえ」




 お隣さんは一度会釈した後、くるりと後ろを向いて再び歩き出した。

 一瞬の出来事だったのに、まだ胸がどきどきしていた。

 私のスマートフォン、画面が割れてなければいいな。というか指紋べたべただったかもしれない。

 後に残ったのは、ちょっとした羞恥心とお隣さんのあまい香りだけだった。

 スマートフォンを渡された時の、お隣さんの爪の先の黒いマニキュアがやけに印象的だった。

 思わず、自分の指先を見つめる。

 ネイルも手入れも何もしていない、短く切り揃えられただけの爪がそこにはあった。




 アルバイトをしている人間は、大抵マニキュアをすることが禁止されている。

 私の働いているアルバイト先でもそのルールが適用されているので、私はマニキュアを塗ることができない。

 休みの日に塗ることができたとしても、たった数日の為にマニキュアをするのが億劫なので、私の爪はこうなっている。

 部屋に戻ったら久しぶりに透明なネイルだけでもしてみようかな。アルバイトがあるのはまだ数日先なので大丈夫な筈だ。

 私の友達でも可愛いネイルアートを爪先に施している子は見かけるけれど、黒いマニキュアを塗っている人は初めて見た。そしてあそこまで黒いマニキュアが似合っているのも。

 黒いワンピースに、黒いマニキュアをした、白い肌のとってもきれいな人。

 あのあまい香りは一体どこの香水なのだろう。

 それとも家に置いている芳香剤なのか、彼女の使っているシャンプーの香りなのか。はたまた体臭なのかもしれない。

 お隣さんと初めて出会ったその夜、私は彼女について色んな想像を膨らませていた。

 イイトコのお嬢様。深窓のお姫様。歳上なのは確かだと思うが、一体何歳なのだろう。大人の様な少女の様な。

 自分の部屋で眠りに落ちる前にも、あのあまい香りがまだ匂う気がした。

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