■ 第八章 ■ 「氷の魔術師」
一人の守衛兵が濃紺色の礼服を着た人物の元へ駆けつけてきた。
{お館様。ノヴァ家のアムネシカ様が到着したそうです。如何いたしますか?}
お館様と呼ばれるこの男、ラディ・トッシーォ卿は冷たい目で報告に来た守衛兵を睨む。
「ひっ……」
守衛兵が身震いする。
瞬くの間に守衛兵の背後に回ったラディ・トッシーォ卿。
背後から抜き身になった剣を守衛兵の肩の上に当てて刃を首に向ける。
{ふ……のこのこ私の前にやってくるとはね。先ほどから待たせている客はどうしている?}
首に刃を当てたままラディ・トッシーォ卿は守衛兵の前に回り、口を開いた。
{もっ……申し上げます……先ほど宝物室前で呼び止めましたら、小用を足しに来た所だそうで。何事も無く部屋に戻って行かれました}
首に刃を当てられた守衛兵は滝汗を流しながら答える。
{……}
ラディ・トッシーォ卿は剣を持っていない方の手を顎に当てて考える。
(怪しいな。それではノヴァ家のお嬢さんと待たせている客を会わせてみるか?)
以後の決断がついたラディ・トッシーォ卿はニタリと笑みを浮かべて剣を納める。
{衛兵!これより客とノヴァ家のお嬢さんを例の場所へ案内して準備を進めたまえ}
最後まで背中を射抜くような冷たい眼差しで衛兵の指先の動き一つ一つ睨みをきかせる。
まさに蛇に睨まれた蛙。
{ははっ!ただちに!}
衛兵はピシッと背筋を伸ばして敬礼して部屋を退室していった。
{せいぜい楽しませてくれよ。ノヴァ家の小娘!}
待たされていたクランsilent一行の元へ執事が呼び出しの報せを伝える。
{大変お待たせしました。お館様がお呼びです。私に付いて頂けたらと思います。どうぞ}
丁寧に頭を下げてお辞儀する執事。
{承知した。行こう}
悠仁たちはお届け物を手に、執事の後をつけて行く。
一方、アムネシカの方にも招待の報せが入り、悠仁とはまた別の執事が付いて案内していた。
{ノヴァ家令嬢アムネシカ様。こちらでお館様ラディ・トッシーォ卿がお待ちです。しばしの徒労をお願いいたします}
{招待ありがとう存じます。卿への案内をお願いいたす}
馬車から降りたアムネシカはトッシーォ家の執事を先頭にして進み出す。
(おかしい。すんなり話が進み過ぎている。罠か?)
アムネシカは一瞬考えたが、目で見てから確かめる事にした。
着いた場所は大食堂であった。
20人位の人々がテーブルを囲んで食事出来る長さになっており、食卓には個人用のマットが敷かれており、その脇にはフォークやスプーンにナイフが並べられていた。
{これはようこそお越しになった。ノヴァ家アムネシカ令嬢。本日は貴女を歓迎しよう}
{これは丁寧な出迎え感謝しますわ。トッシーォ家当主ラディ・トッシーォ卿}
{本日はゲストを招き入れているのだ。紹介しよう}
トッシーォが「パンパン」と手を叩く。
扉が開かれて四人の人物が姿を現した。
{我がトッシーォ家にようこそ!私は当主ラディ・トッシーォという者だ。今日は貴殿ら四名を歓迎して食事会を用意した。ゆるりと召し上がってくれ}
執事に案内されてやって来た悠仁一行であった。
アムネシカは登場した人物を見て一瞬としたが、すぐにいつもの表情に戻す。悠仁の方は顔色を変えずただテーブルの方向を見つめるだけだった。悠仁の隣にいたクレハは場数を踏んでいるだけあって顔色は変わらない。だが、メリアーナは焦りを見せて悠仁に話しかけようとしたが、平常心を保っている悠仁を見ていつも通り振る舞う事にしたのだ。
[ステータス]
種族:ヒューマン レベル:貴族12 魔術4
生命力:264 魔力:169
(このトッシーォと呼ばれる男、アムネシカには劣るが魔術師スキル持ちだな。用心しよう)
心眼スキルで察知した悠仁は静かに振る舞う。
{ふむ……}
ラディ・トッシーォ卿はすかさず、アムネシカに向かって口を開く。
{そこの三名がゲストになる。同席しても構わないかね?}
ニャリとした表情を見せながらアムネシカの表情や仕草を観察している。
{構いませんわ。どういったお方なのか話して下さると幸いですわ}
悠仁たちと対面できて嬉しさを覚えたアムネシカは落ち着いて尋ねた。
{……まぁ、まずは座って食事にしよう。話はそれからだ}
ラディ・トッシーォ卿は悠仁たちも席に着くように促して食事を始める事にした。
テーブル上に運ばれてきたのは海鮮をふんだんに使ったコース料理のようだった。
一方、アムネシカのお皿の上にはふた切れのパンに、ベーコンが二枚とインゲン豆の和え物が少々であった。
悠仁たちの方には続いてボリュームが多く、美味しそうな料理が次々と運ばれてきたのだった。
{美味しいかね?}
ニタニタした表情を崩さずアムネシカと悠仁たちの方に問いかけるラディ・トッシーォ卿。
{え、ええ……}
ぎこちなく答えるメリアーナと対照的に無言で食べ続ける悠仁とクレハ。
(あからさま過ぎるこの扱いの差、どういうつもりなのじゃ??)
アムネシカはどうしたものかとフォークを持つ手を止める。
{……}
{まさか私のおもてなしが気に入らなかったというのかね?ノヴァ家アムネシカ令嬢よ}
ラディ・トッシーォ卿は静かに話を続ける。
{してノヴァ家が当トッシーォ家に何の用でいらしたのかな?私と婚姻を結びたく縁談話を持ち掛けに来たのかね?}
{何を戯言を申す。用件に心当たりがあるのではないかえ?}
{ふっふっふっ……いけませんねぇ!!なんと大胆なお嬢さんだ}
トッシーォは拍手をおくりながらアムネシカを囃し立てた。
{手荒な事は好きではないが、ノヴァ家のご希望とあれば受けて立とう。それならば不服ではないかね?}
{これは見え透いた事を仰る。無論そのつもりで出向いたのじゃ}
これを聞いたトッシーォはやれやれと言わんばかり、手に持つフォークで肉の切れはしを口へと運ぶ。
{食後に指定する場所で相手しよう。現在はともかくランチを済ませてからにしないかね?}
{おおかた毒でも入っているのでしょう}
そう言って出されたものに一切手をつけないアムネシカであった……
アムネシカと同席すると思っていなかった悠仁たちは三人とも何も答える事は出来ず、ただ成り行きを見守りつつ軽く食事を済ませる程度にした。
気まずい空気が流れている中での食事は味気ないものであったが、トッシーォは満足そうに平らげて行く。
{私からのおもてなしがお気に召さなかったようだ。フフフ…… これより望みの場所へ案内しましょう}
薄暗い灯りに照らされる通路を抜けた石造りの広い空間に案内される。
屋敷の地下にこのような場所があったのか。高さはそれほどでもないが、訓練するには十分な体育館くらいの広さがあった。
{ここは?}
{気になるかね?察しの通り古くからある訓練所だ。ある程度の魔法の威力にも耐えうる。風穴開けようとしても無駄だがね}
ふふふ……
訓練所の造りを見て心躍ったアムネシカが笑みを含めた興奮を抑えきれずトッシーォの前に出る。
{どのようにしてわらわを迎え討って来るかと思えば、正々堂々と対決とは。最後に貴族らしい振る舞いで来るか?}
{フフフ……貴女様にはかないませんよ。この魔術対決受けて立つかね?}
トッシーォはアムネシカに向けて不気味な笑みを浮かべながら指差してくる。
(これは罠だ。だが、どのような罠なのかわからないと……)
この二人の対峙をじっと見つめられなかったのか、メリアーナが間に入って口を挟む。
{あのっ!私たちは?}
{こ…小娘、いや、メリアーナ殿。それは心配無用。結界を用意しますのでそちらで観戦して頂きたい}
水を差されたトッシーォはやや顔が引きつっていくのを覚えたが、冷静さを取り戻して視線を上からメリアーナに移して問いに応える。
(上に?上に何かあるの……?)
アムネシカも視線を上に移した。見たところ何の変哲も無さそうだが?あの上に何かあると思っていた方が良さそうだと感じた。
{私の方で結界を出しておきますわ。心配しないで}
アムネシカは悠仁たちに青白く光る結界をかけた。
{チッ}
とトッシーォが舌打つ。
{まぁいい。まとめて消し炭にしてくれる!}
指で印のようなものを結び、何やら呟いたトッシーォがアムネシカに手を向ける。
{喰らえ!フレイムロード‼︎}
トッシーォのてのひらから炎が伸びるようにして炎の道が出来てアムネシカを包み込んだ。
「アムネシカっ!」
悠仁は目の前の初めて見る元の世界ではありえない光景を目の当たりにして声にせずにはいられなかった。
傍にいるメリアーナやクレハも結界の中で動けず見守っているだけだった。
闘技場の中央に視線をやると、燃えさかってまだ消えない炎の道の中に黒い人影が見える。
すると、人影の見える中心部から色が変化し始める。
人型だったものが次第に大きくなっていって燃えさかる炎の道を侵食していったのだ。
赤黄色い炎が凍結によってだんだんと凝固して拡散していく。しまいには中央から砕け始めて粉のようになり、霧散していく。
あたり一面がキラキラと降り注がれるようで美しかった。
アムネシカがトッシーォの放った炎を凍結して霧散させたのだ。
{な……何っ⁉︎}
{ふふっ……この程度の炎でわらわを焼付くせると思ったか‼︎}
トッシーォの額から汗が滲み出始めて端正な顔が醜悪に引きつっていく。
やがて決意したかのように、自らの手のひらをナイフで切りつけた。
{小娘と思っていたが、これほどとは思っていませんでしたよぉ。ですがっ‼︎それもここまでですよぉぉぉ……}
狂ったように叫び出している。
切りつけた手のひらから鮮血がツツッと流れ始めている。
トッシーォは懐から出した水晶球を手に、もう一方の血にまみれた手を重ねていく……
{いけない!}
アムネシカは何を始めようとしたのかを察して懸命に次の行動を取ろうとした。
そこには醜悪にも勝ち誇った表情を見せるトッシーォが笑い続けている。
「フリージングウェーブ‼︎」
アムネシカは動きを封じるべく、冷気の波動をトッシーォに向けて放った。
その範囲は決して広くないが、人間一人を狙って動きを封じるには十分な威力であった。細く!長く!その波動が広がるほど距離が短く、弱くなっていくのだ。人間の頭程の大きさの塊を尾を引いて飛ばしているイメージといった方がいいだろう。この細長い波動がトッシーォに達したかと思ったその時、一瞬で人型に凍っていく。
さすがに水晶球は凍りつかなかったが、これで何とか動きを封じたはず……だった。
トッシーォの血によって穢された水晶球は虹色から薄暗い赤色に変色しており、この影響を受けた人型が変化を始める。
やがて変色した水晶は胸の中央に埋め込まれる形に吸い込まれていく。
人型は服が各箇所破れ、筋肉が肥大化をみせている。これに伴ってトッシーォは体に纏わり付いていた氷を一気に飛散させた。
こぶし大ほどの大きさの欠片がアムネシカを直撃したのだ。
{アムネシカっ!}
直撃を受けた事により、アムネシカが張っていた結界が解けたので、悠仁一行の三名は駆け寄っていった。
アムネシカはすぐに結界を張ったので直接的な切り傷などは無かったものの、その強い衝撃によって吹き飛ばされてしまう。
トッシーォは己の血を捧げて水晶球という媒体を経て人外の能力を持ってしまったのだ。
悠仁たちは勝ち誇ったように笑っているトッシーォを見つめている。
その姿は元の人間であった体格を遥かに凌駕し、皮膚と顔はどす黒い赤銅色になっていた。燃え盛るような炎色の瞳をぎろりと向けて来る。
それを察知したクレハが倒れているアムネシカたちの前に飛び出て構える。
{くっ!}
人外化したトッシーォの瞳から炎色の光線のようなものが飛び出てきたのだ。
間一髪で光線を防いだクレハの反応はさることながら、炎の魔剣を手にしていた事が大きく、防ぐことが出来たのだ。
{ほう!これは炎の魔剣ですか!面白い!まとめてかかって来ても良いのだよ。フフフ……}
光線を防がれた事にも動揺を見せず、むしろ喜びを見せている。
クレハが構えたのを見て、悠仁も距離を取ってトッシーォの方へと機を窺う。
クレハの隙の少ない連続した攻撃によってトッシーォに魔法を打たせない。
倒れていたアムネシカを抱擁していたメリアーナは悠仁の指示で出来るだけ後方の隅の方へ運び出している。
アムネシカは気を失っているようだった。悠仁は周囲を確認し、どうしたものかと思案する。
(あの化け物に業が通用するのか?どう戦えばいいんだ?)
悠仁は下手に近付けずにいる。
クレハは場馴れしているのか、緊張した様子は無く対応を見せている。双剣を構えてトッシーォへ攻めたてる。それは稽古で見せたその動きよりはるかに速い。あれがクレハの本気なのだろう。
いや、本気にならなければ太刀打ちできない相手であるのがよくわかる。これに対して自分も何とかしよう!と思うものの、足が動かない。体が動かないそして抜刀せずにいる。
悠仁は人外となったトッシーォに恐怖を覚えて動けないのだ。これが悠仁とクレハとの大きな差であり、経験がものをいうわかりやすい対照図であった。
「動けっ‼」
悠仁は何とか気力を振り絞って足を!手を進めようとする。
[ステータス]
種族:魔人 レベル:貴族12 魔術12
生命力:781 魔力:438
集中してトッシーォを見つめていたお陰で心眼のスキルが発動した。
種族がヒューマンでなく魔人となっている。おまけにスキルも初めて見た時から三倍ほどに増えていた。
この種族で表されている通り、人間ではなくなってしまっているのは確かだろう。
注視されているのを察知したトッシーォは悠仁が動けない様子を見て魔力を込めた火球を放った。
(これはかわせそうにない。ならば、やる事は一つしかない)
悠仁は咄嗟に放たれた火球をかわすのに一瞬出遅れたのを感覚的に理解し、イチかバチかの行動に出る。
自分の師がよく見せていた「抜き打ち」という技。それはただ機先を掴むだけのものではない、最初のひと抜きで目前の全てを斬るのみ。
全身全霊を込めて全てを賭けて抜き打つ一振りを今こそ!動け!己の魂!
(今抜かずしていつ抜く!?)
そんな事は百も承知の事であった。だが、明らかに人間とは呼べない超常力を前に自信を失っていたのだ。
それでもやらなければ自分は死ぬ。終わるのだ。それは絶対に御免だ!やるしかない。
悠仁は心を無にし、ただひたすら無心になった。目の前を飛んでくる火球を見据える。
気が付いたら悠仁は刀を抜き打っていた。
目の前を飛んできた火球に向けて鞘から一瞬のうちに煌く光が放たれた。
その刹那、火球は綺麗に上下に分散するように分かれて悠仁の身を焼く事は無かった。
「ユウジぃ!」
後方からメリアーナの悲鳴が飛んでくる。無論ユウジの耳に届く事は無いが、叫ばれた気がしたのだ。
同時に、この一瞬の隙を逃さずにトッシーォを狙う刃が届いた瞬間でもあった。
トッシーォの左手首を斬り落とした赤い刃。
{グォォオオオ!!}
苦痛に顔を歪めて後退したトッシーォの手首からどす黒い血が滴り落ちている。
魔人化した事により、その血はタールのように黒くなっていたのだ。
クレハはこのまま手勢を緩めず攻めたてる。
片手になったとはいえ、魔人。魔法では連続で繰り出される攻撃に対処できないのを理解したトッシーォは抜剣してクレハの双剣を捌いていく。
剣捌きだけを見ても相当な手練れだというのを悠仁は理解し、気持ちを引き締めてクレハのカバーに入ろうと駆けつけていった。
トッシーォは刺突と斬る事を主としたレイピア使いであり、真っ直ぐに伸びた長い刀身を活かして距離を詰められないように捌きながら足を運んでいる。
クレハが攻めあぐんだ所を、悠仁はやや前傾して突っ込んでいく。
この頭部が大きく見えたという隙を逃さないよう、トッシーォはターゲットを変更して剣を突き立ててきたのだ。
その隙は故意に産んだものであり、悠仁は躊躇わずに右手に持つ刀の刀身を左手で添えてただ真っ直ぐに進み出る。刀と細剣が交差するかに見えたその時、悠仁の突き出した刀はトッシーォの中心線を捉えて貫いた。
対するトッシーォの剣は真っ直ぐ進んで来た刀に軸をずらされて、悠仁の右頬をかすめて突き出されていた。
師に何度も叩き込まれてきた事を守り、軸をずらす事無く真っ直ぐ素直に進んだのだ。
悠仁の軸が一センチでもずれていたら顔に突き刺さっていたであろうレイピアの刃。
握る刀の切っ先はトッシーォの胸に埋め込まれてた水晶を砕いて貫いていた。
その瞬間、予想に反して嫌な感触が手を伝わってくる。
胸を貫いていた悠仁の刀の先端が「パキッ!」と割れてしまったのだ‼
悠仁は信じられないものを見たように一瞬硬直する。
フォローに回っていたクレハは危機を察知し、悠仁を庇うように横から突き飛ばした。
弾みでクレハの右腕にトッシーォのレイピアが突き刺さる。
{くっ!}
突き飛ばされた悠仁は目の前で起きた一瞬の出来事で、我にかえる。
「クレハっ!」
折れた刀で構えつつ起き上がろうと体を起こした悠仁に向けて、トッシーォのレイピアの刃が突き出されようとしていた。
だが、悠仁の元へその刃が届く事は無かった。
目前にある刃を持つ人物の胸と足元に目をやる。胸からは氷の槍が飛び出ており、地面に根を張ったように氷漬けになっていたのだ。
「これ…は……アムネシカ?」
動かなくなったトッシーォの向こうにはアムネシカが片手を突き出して構えていたのだ。
{間に合っ……た……}
気力を振り絞って氷結魔法を放ったアムネシカは安心したようにその場で崩れるようにして倒れ掛かる。
側にいたメリアーナがこれを受け止めて悠仁に頷いた。
悠仁は気を抜けず、トッシーォに止めを刺す。やり過ぎと言いたくなるかもしれないが、ここで復活されて刺されたら死ぬのはこちらだ。用心するに越したことではない。
斬ったその首筋からは鮮血がほとばしる。
血の色が人間の証である赤色に戻っていたのだ。恐らくは、あの水晶を壊したことで戻ったのだろう。
辺りが静寂に包まれる。
トッシーォを討った事で守衛兵が駆けつけて来るかに思われたが、静かに一人の執事が歩み寄ってくるだけだった。
執事の手足は震えていたが、気丈に振る舞っているのが悠仁の目にも明らかであった。
{……アムネシカ様、クランSilent様……当主……様の亡骸はこちらで葬らせて頂きます。当主を人間として葬って頂き感謝いたします……水晶による束縛と呪いが解けたのです}
震える執事は会話を続ける。
{……このような時に不謹慎かもしれませんが、お望みとあれば入浴の用意を手配いたします。お湯に浸かって返り血を落とされては如何でしょか?}
執事がアムネシカに向けて丁寧に答える。
アムネシカは悠仁に目をやり、執事に視線を戻して口を開いた。
{言葉に甘えて身を清めておきたい。彼らも同様に手配を頼む。ゲストルームは同室で構わぬ}
{かしこまりました}
{それと質問があるのだが、大きい水晶球の在り処を知らぬか?}
{当主様が確保していた水晶の事ですね。客室に持ってこさせますので、まずはゲストルームまで徒労願えますか?}
{そのようにいたせ}
悠仁一行もアムネシカに付いていく形で執事を筆頭にゲストルームへ向かった。
執事は途中待機していた使用人たちに指示を出していく。
この館に最初案内されたゲストルームにたどり着いたとき、クレハは執事の前で抜刀する。
{随分と好意的だが、どんなからくりがあるんだい?時間を稼ごうっていう腹であれば承知しない}
刃を突き付けられた執事は内心怯えて跪いた。
{め……滅相もありません!当主亡き今だからこそ説明いたしますのでどうか刃を納め……ひっ……}
声にならない恐怖に引きつった顔を見せる執事。
これを制止するようにアムネシカがクレハの手を下げさせる。
{よい。話をさせて頂こう}
{何かあればここを吹き飛ばすつもりだが、覚えておくんだね}
{は……はいっ!改めて説明させて頂きます}
畏まった執事は会話を続ける。
{あれは十日ほど前でした。灰色のローブで全身を纏った一行とお館様が接触しました。わたくしめは席を外されていましたので詳細はわからないのですが、話をした後のお館様の雰囲気が尋常じゃなかったのを覚えています}
{灰色?他に特徴は無かったのか?}
{はい……顔を見せなかったので何者なのかはわからなかったのですが、三名いました。その数日後にお館様の元へ水晶球が届けられて、お館様の態度が豹変されました。魔人化してしまったら死ぬまで人間に戻れないと聞いています。人間として戻してくださってありがとうございます}
{そう……その灰色の人物についての情報を後日用意頂けると助かる。トッシーォは以前から腹黒かったが、魔人に堕ちるとはな}
その時、使用人が二名入室してきてアムネシカの前で跪いて頭を下げたまま水晶球を掲げる。
アムネシカは近付いたが、直接手には取らず水晶球に向けて手をかざし始めた。そして詠唱を初めると水晶球が氷の魔力に感応するようにぽうっと水色に輝き始める。
輝く水晶球は浮遊を初めて、このまま静かにアムネシカの手に吸い寄せられてゆく。
{これは本物のノヴァ家の所有する宝珠!確かに返して頂き感謝するぞよ}
目的である宝珠が戻ってきた事で安堵に息をつきたいのはやまやまだが、交代制で入浴を済ませて返り血を落とす事にした。
クレハは警戒心を解かずに浴槽にも剣を持ち込む。
最後の悠仁の番の時はクレハは着替えを済ませている状態で、周辺を警護するように見張っていた。
{なに、遠慮するな。いつ襲われるのかもしれないこの状況だ。安心してゆっくり浸かるといい}
「クレハ。ありがとう」
そこには一切の感情は無かった。
{ユウジは見かけよりもずっと大人なのだな}
「それはまぁ、あの後ですし」
{それもそうだな。落ち着いたら知らせてくれるか?}
「ああ。頼りにしてるよ」
クレハは浴室の入り口で背を向けていた。
全員の入浴を済ませて身なりを整えた後には、悠仁、クレハの腕、アムネシカの頭、と手当を済ませた。
太陽はまだ沈んでいない昼過ぎの午後。馬車であればこのままテノアの街に戻れると判断して、待機させていた馬車に乗り込み、港町ナトリをあとにした。
馬車に揺られながら戻る一行、アムネシカと悠仁はぐっすりと眠りについている。
{ふふっ。すっかり安心した顔で眠っているな}
{ええ。クレハさんもありがとうございました}
{まだ「さん」付けで呼んでいたのか。クレハでいいぞ}
{は…はいっ‼!あのっ……助かりました!}
{メリアーナも良くやったよ。二人とも魔法を使う敵は初めてだったのかい?}
{そうなんです。あんな攻撃初めてみました。魔法の戦いって凄いですね!クレハさんも……}
{クレハだ}
{はいっ……クレハさ…いいえ、クレハもあの炎を受け止めていて凄かったですっ}
{ああ、私のはこの炎の魔剣のお陰さ}
クレハはそう言って背負っている炎の魔剣の柄を撫でる。
{すごいなぁ。それって熱くならないんですか??}
{持ち主である私が魔力を放てば暖かい程度だね。それより、ユウジの刀折れてしまったな}
{鍛冶屋マスターの所で直してもらわないとね~}
{……直せるだろうか……?厳しいと聞いた気がするが……}
{私に出来る事何か無いかな?}
{フッ……メリアーナは悠仁を支えてやれば十分さ。悠仁の耳になっているんだろう?}
{そうですよね……ありがとう!クレハ}
疲れ気味だったメリアーナはクレハの言葉で自信を取り戻したのか、笑顔を見せて元気になっていた。
テノア街へたどり着いた時は空が橙色がかって夕日になり、日が沈みかけていた。
乗ってきている駅馬車が上級馬車の、それもノヴァ家の紋章だったので御者が証を掲示するだけで二つの門をぐぐる。
色とりどりの庭園中の通路を通って、屋敷の玄関前に到着した。
暫くしてノヴァ家当主アルベルト公が館の中から迎えに出て来た。
周囲の使用人たちが跪く。
{無事か!?}
{お父様。ただいまですわ。無事回収してきました}
{おお!これはご苦労。それより怪我は無かったか?}
アルベルト公はアムネシカの安否を確かめた際、服が所々破れて頭部にも傷の手当を受けているのを目にし、怒気を滾らせる。
{お父様!心配しないで。わらわよりも先にユウジやクレハの手当を手配して欲しい。彼らに助けられたのじゃ}
アルベルト公は悠仁たちに向き直り、首を垂れる。
{ユウジ殿。クレハ。メリアーナ殿。娘を守って頂き感謝する。今日の出来事を聞きたいのだが、屋敷で泊まって行かれるか?}
悠仁は考えた。
(宝珠の事もあるし、灰色の人物の事も聞いておきたいな)
「お聞きしたい事もありますので、お世話になります」
悠仁は頭を下げて答える。隣にいたメリアーナも悠仁の言葉を同時通訳しながら頭を下げた。
{ユウジ殿。メリアーナ殿。頭を下げるのは私の方だ。使用人っ!客人たちを丁重にもてなせ}
アルベルト公は使用人たちの方を向いて客室などの手配をさせた。
{ディナーの準備が整い次第、お呼びする。それまで入浴したりすると良い。マッサージ師やヒーラーも付けるか?}
これを聞いたクレハが横から口を開く。
{私はヒーラーの方をお願いしたいが宜しいでしょうか?}
{Bランク冒険者クレハ殿だったな。手配しよう。三人とも、他に何か要望はあるか?}
「あと俺からは破損した刀の手入れと相談をしたいのですが、いつにしますか?」
{武器……か。後ほど部屋に行く。その時に聞こう}
「ありがとうございます」
{ユウジも本当にありがとう。後でわらわにも話聞かせてくれないだろうか?}
アムネシカはニコッと笑顔を見せてきた後に、少しふらついたので使用人に支えられて部屋に戻っていく。
悠仁一行も案内された部屋に入室してくつろいだ。
三人は荷物を取り出して、床やテーブルに並べる。
悠仁の破損した刀も大きくて洒落た丸いテーブルの上に乗せられる。
悠仁はいとおしそうに刀を見つめては手に取って、分解して手入れを始めた。
切っ先は折れて欠けてしまっているが、それ以外の破損は無い様子だった。折れてしまった欠片も回収しておいたので手に取って断面を観察したりしてぼーっとしていた。
すると、ドアが開かれてアルベルト公がもう一人の人物を連れてやって来た。
その人物はノヴァ家お抱えの鍛冶師であった。
{こちらはお抱えの鍛冶師だ。相談してみると良い}
{初めまして、ノヴァ家にご贔屓頂いております鍛冶師のハウズです。そちらの武器を見せて頂いても良いでしょうか?}
「ユウジ・モンマです。よろしくお願いします」
鍛冶師はテーブル上に置かれていた刀を手に取ったりして見つめて思案している。
{これは……アルベルト様。これは私の手に負えません。複雑な工程を経て造られた武器でございます。短くして使用するならば可能なのですが、折れた切っ先をくっつける事は厳しいです。申し訳ありません}
鍛冶師は信じられないという気持ちと、処罰されないだろうか?という不安な感情の混じった表情をしている。
{むぅう……それほどの武器なのか……その切っ先を他の素材にしてくっつける事は?}
{鋼では大変厳しいです。その上級金属となると伝説の金属しかなくなります}
{そう……か。わかった。さて、どうしたものかな?}
「この刀の今後については自分で何とかしてみます。ありがとうございました」
{ううむ……心許ないが、食後に武器庫を案内しよう。その中から使えそうな物を持っていくと良い}
{ありがとうございます!楽しみにさせて頂きます!}
悠仁の武器については食後にまた考えるとしよう。アルベルト公と鍛冶師が退室していった。ほどなくしてヒーラーが使用人に案内されて入室してきた。修道僧っぽい恰好をしているのかなと想像していたのだが、予想に反して貴族のドレスを着た貴婦人であった。
{私、ノヴァ家にお世話になっている三級治療士のアンリでございます。魔法の力によって治療させて頂きます}
三級治療士は主に、戦争などの戦傷の治療と疫病や一部の病気の治療や緩和などを主としている、階級(等級)が上がっていくほど重病や重症に対応できるようになっていくもので、ランクの高い者は極端に少なくなっていく。一番下の七級治療士は傷の化膿止め、止血に解熱や頭痛といった軽症で頻度の多い症状を治療できる。
三級治療士にもなれば、貴族や王室から声がかかるほどの待遇を受ける者が多い。
治療士を前に、悠仁は頬の傷を診てもらう事にした。化膿しないよう治療魔法をかけられる。かざされた手は直接触れていないが、暖かく何とも言い難いが優しい感覚が頬に伝わってくる。
続いて、クレハの右腕を診てもらっていた。レイピアによってえぐられるように貫かれた痛々しい跡が次第に小さくなっていく。これが治療魔法か!ファンタジーだな。その代わり、治療士の額から滝のような汗がにじみ出ている。確かに気軽に何度も唱えられる類ではなさそうだった。
治療を受けたクレハは腕の感触を確かめる。先ほどまでの傷が嘘のように消えていたのだ。
全員が治療を終えた時には風呂の用意が出来たという知らせを受けていたので男女に分かれて入浴してきた。
それからマッサージを依頼していたので悠仁は手足を中心に旋術してもらう事にした。
30分ほど受けていたのだろうか、全身の筋肉がほぐされていくのが気持ち良くていつの間にか眠っていたようだ。スッキリ出来た皆の所に食事の知らせが届いたので案内されてアルベルト公の待つ食卓に着く。
全員を労わるように暖かい料理が用意されていた。スプーンを当てればぽろぽろに崩れそうなほどに柔らかそうな白身で包まれている半熟卵。香料などで味付けされて美味しそうな刺激臭を漂わせる澄んだ色のスープ。鴨肉のような肉をスライスして半円を描くように並べられている。その対には地方の旬である果物のオレンジを鴨肉と同じく半円に並べられている。肉にはオレンジ色のソースがかかっており、さっぱりした食感を期待させられる。主食としてプレッツェルのように細長いパンが編まれている物が出されていた。
{一同、かけたまえ。話は娘のアムネシカから聞いた。この度全員無事に帰って来れた事を感謝したい。遠慮なく最高の料理人に作らせたディナーを愉しんでほしい}
アルベルト公は悠仁とメリアーナ、クレハの目を見て普段から険しい顔つきを綻ばせてみせた。
当主であるアルベルト公の挨拶から乾杯の杯が掲げられる。
「乾杯‼}
{乾杯!}
皆が乾杯した時、自然と顔が笑顔になってゆく。
テーブルに並べられた料理に手を付けながら談笑したりしてディナーの時間を満喫した。
{ユウジ殿。この度は偵察だけでなく娘の救出と宝珠の奪還までしてくると予想していなかった。よりによって魔人が出てくるとは。思慮が足らなかったとはいえ、娘やそちを危険な目に遭わせてしまった事はお詫びしたい}
アルベルト公が神妙な顔になって礼を述べてきた。
「……」
{……}
{魔人……か。あれが出現したのも何か背景があるのかもしれない。私は魔人と対峙した事は初めてではないが、安易になれるものではなかったはずだ。}
クレハが癒しを終えた傷口を押さえながら答える。
{そうだな。私の方からも調査をさせるよう手配は済ませておいた。数日中には連絡が入るかもしれない。もしかしたら何も見つからないかもしれないが……。そち達には正式にギルド依頼として追加報奨を出しておこう。これとは別に進展があった時、またそち達を頼りたいと思うがよろしいだろうか?}
{私はユウジが請けると言ったのなら構わない。魔人相手となると三人だけでは厳しいかもしれないが……}
クレハは悠仁の顔を見ながら答えた。
「クレハ……乗り掛かった船だ。必要性を感じたら受けるつもりでいる」
{フッ……それでこそユウジだ。ユウジならきっとやれるさ}
クレハは右隣の席にいる悠仁の肩をポンポンと叩いた。
{あのっ!私もユウジ達と一緒に行きたいです!}
痺れを切らしたかのように向かいに座っていたアムネシカがアルベルト公の方に向かって答える。
{バカな!アムネシカよ。それは許す事は出来ぬ。泥だらけになり、食事も水もままならない状況で愚痴りもせず森の中や砂漠などで野宿出来るというのか?}
突然のアムネシカの告白に驚きと苛立ちを隠せないアルベルト公がフォークとナイフを置いて叫んだ。
{お父様!魔人相手になればわらわの魔法も役立つはずです!ユウジと一緒なら愚痴らず我慢します!}
アムネシカは立ち上がってアルベルト公に向かって剣幕をたてる。
「……」
{……}
{かけたまえ}
{は…はい。ごめんなさい}
アルベルト公とアムネシカは共に冷静になり、グラスを開けて喉を潤す。
{見苦しい所を見せてすまなかったな。しかしアムネシカを危険な場所に送るわけには}
{お父様。それなら何故トッシーォの所へ送り込んだのです?}
{それは……交渉で済むと思っていたのだ}
{今更ですっ!今後はユウジとPTを組んで冒険をさせて頂きますっ!}
{……私の非だ。今更止めても聞かないであろう。だが外界に疎いアムネシカが自ら行きたいと言い出すとはな。ユウジの事を思ったより気に入っているのだな}
アルベルト公はアムネシカと悠仁の顔を見比べる。
その視線に「ハッ」としたアムネシカは赤面して口を開く。
{そ……そうじゃ…わらわはユウジの事をとても気に入っておる…}
これを聞いたクレハが「えっ!」と思い、悠仁とアムネシカの顔をまじまじと見つめる。
「それって……?アムネシカはユウジの事を……?」
「そ……そうじゃ。恥ずかしいから何度も言わせないのじゃ…」
「わーっ!ダメです!アムネシカでもユウジは譲れませんッ‼」
アムネシカとメリアーナの戦いが勃発したのだ。
「あっははははっはははっ!」
ぷくーっと頬っぺたを膨らませる二人を見たクレハが横で大笑いしている。
{……ぅおっほんっ!}
アルベルト公がせき込む。
{わかった、そち達なら安心してアムネシカを任せられる事がわかった。同行を許可しよう}
{お父様っ!ありがとうございますっ!}
{ただし、執事は付けない。身なりや恰好も貴族だとわからないよう、変装してもらう事にするがこれが出来ないのなら無かった事にする}
{それで良いのでしたら構いません!}
{……全く……ワガママ娘め。して、ユウジ殿の方は如何であろうか?}
「俺の方はアルベルトさんが許可したのなら大丈夫です」
{お世話になっている宿屋に宿泊しているのですが、その点はどうしましょうか?}
悠仁に続いてメリアーナが宿泊について尋ねる。
{宿屋か。わらわも皆と一緒に過ごしたいのじゃ。無論泊まるに決まっておる}
{でしたら女将さんに空室が無いか聞かないとね。他にも冒険者ランクはお持ちでしたか?}
{冒険者ランクは持っていないのだ。どうすればもらえるのじゃ?}
{後日案内しますけどよろしいですか?}
{わかった。ふふっ…冒険者か……今から楽しみじゃ}
アムネシカの冒険への憧れと悠仁たちの冒険談で話は盛り上がり、食が進んだ。
随時美味な料理が次々と運ばれてくる。
(そうだった。確か、出されたお皿「すべて」の料理を全部食べようとしてはいけないんだったな。この世界での食事マナーを忘れていた)
悠仁はだいぶお腹を空かせていたので、むしゃぶりつく様に飛びつきたい気持ちを押さえるのに精いっぱいだった。
食べ過ぎてお腹が痛い!という状況になるのは避けたい。
{どうした?おかわりはいくらでもあるぞ。ハハハッ}
と腹の中を見透かすようにアルベルト公が料理を急かしてきた。
気に入った料理は数皿平らげるが、それ以外も平らげようとしてはいけないという事だ。
元の世界の一部の国でもこういった風潮はあるが、この異世界のマイノーヴァ地方も一緒という話であった。全ての地方が同じ風潮とは限らないはずだ。
日本人として数十年育って来た悠仁にはそのマナーはなかなか浸透しないものなので、こうして時々思い出しては残す流れになるのだ。
この世界に来て一か月くらいになるが、まだ慣れるものではない。
(それにしてもやっぱりもったいない!!)
腹いっぱいの食事にありついて落ち着いたところで、アルベルト公が武器庫の話を持ち出してきた。
{ユウジ殿。これから武器庫に皆で行って見てもらいたいと思ったのだがどうか?}
「行きます行きます!是非お願いします!」
悠仁は目を輝かせて即答する。
悠仁が童心にかえって嬉しそうにしている様子を見てメリアーナがクスッと笑う。
「ユウジってホントに武器が好きなんだね!」
「それは男の憧れなんだしさ。興奮するなって言うのが難しいっていう話だよ」
クレハもアムネシカも悠仁を見て可愛いと感じてしまう。
案内された武器庫には兵士数百人分の槍や剣、そして弓矢といった兵士用の武器が陳列されていた。
{ユウジ殿。こちらだ}
アルベルト公は厳重に鍵のかかった小部屋の鍵を開けさせる。
4畳半ほどだろうか。決して広くない小部屋であったが、一般の兵士用の物とは「全くモノが違う」のが素人目で見てもわかるほどであった。
話によると、上級金属であるミスリルで造られた武具であることが分かった。
この世界でのミスリルの概念は硬いと言われている鋼と等々の硬度を持ち、特性として磨けば銀のような光沢を持ち、同じ体積で比較すると鋼のほぼ三割減の重量だそうだ。
異世界に生まれてきた悠仁にとって「ミスリル」という名はゲームや映画などでよく耳にしていたので知っていたが、架空の金属という扱いであった為興奮をおぼえる事となった。
「ここに刀のような武器はあるのでしょうか?」
悠仁は無理を承知で尋ねてみた。
{どこか遠くの島国に伝わると言われている悠仁の使っている武器か……刀はさすがに無いが、サーベルは如何かな?}
アルベルト公はミスリル製のサーベルという細身の曲剣を取り出す。
悠仁はパッと見てある事に気が付いた。
サーベルは基本、片手で使用する武器である。柄と鍔には手を保護するための護拳が付けられている物が多い。
悠仁はサーベルを手にして振ってみる。まず居合抜き。そして横納刀。ここまでは日本刀とほぼ一緒で使えた。その最初のひと振りだけでアルベルト公やクレハは「おおっ!」と感嘆の声をあげる。
日本刀のものと違い、サーベルは刃を下向き(前向き)に納める。対して太刀と呼ばれる刀は刃を上向き後向き)にして納めるのだ。馬上での使用を想定した大太刀になると馬のお尻に当たらないよう逆向きに刀を差すのだが、馬上戦をするわけではないので、普段から差している向きでサーベルを差していた。
最初に差した時はアルベルト公やクレハから「逆向きだ」と指摘を受けたが、悠仁は普段からの向きに差す事にした。
悠仁は要望を続ける。
「このサーベルの柄を長くし、手を覆うガードを無くして欲しいのです」
{……だそうだ。鍛冶師ハウズよ。出来そうか?}
{ははっ。その刀と呼ばれる武器のように加工する事は可能です。ただ、装飾もこのままでとなるとお時間を頂く事になります}
「柄に装飾?それは不要です。手が滑りにくいように革や糸などで巻いてあれば大丈夫です」
{それであれば急げば翌日には出来るかと思います}
{ならば早急に仕上げよ!報酬は倍出す}
「よろしくお願いします」
{かしこまりました。では再度その刀の柄の確認させてください}
悠仁は折れた刀を分解して鍛冶師に渡した。
他に、ミスリル製の丸いバックラーを見つけたのでこれも手に取ってみる。
「メリアーナ。これはどうだい?軽いんじゃないかと思うよ」
メリアーナも手に取ってみた。
「ホントだ。思ったより軽い~!これなら大丈夫。でもいいのかな?」
{好きなだけ持って行っても良いぞ?}
アルベルト公が笑いながら答えてきた。
「いえいえ!このバックラーだけで大丈夫ですっ!」
メリアーナは大貴族を前に固くなって畏まってしまう。
その他様々な武具を手に取りながらチェックしていたが、悠仁の目に適う物は無かった。
強そうに見える武器でも不慣れな物を使うよりも手慣れ親しんだ物を使うのが安心できるし、自然な事だろう。
何よりもお世話になっている鍛冶屋に発注している品々もある。アルベルト公が贔屓にしている鍛冶師で出来ないと言われている刀を打とうとしているのだから、鍛冶屋マスター・ロルグの打つ刀が気になっている。鍛冶師ハウズにお願いしたミスリルのサーベルが仕上がってから鍛冶師ロルグの所へ行ってみようか。
悠仁は今後の予定を大まかであるが決めた。
武器防具を見終えた所で引き揚げる事にした。アルベルト公は早急に仕上げさせるよう、鍛冶師ハウズに柄などの加工を依頼。悠仁の破損した刀も参考用にと貸し出している。
夜が更けてきたので各自で寝室に案内される。
客間とは別にベッディングの用意が整えられた寝室があり、そこで休むことにした。
部屋は二室用意された。この三人をどう分けて行こうか?と悠仁が考え始める。
「ユウジ、メリアーナ。先に失礼するよ。あとはゆっくりな」
クレハがメリアーナに向けてウィンクして一室に入室していった。
「……っ!」
メリアーナは赤面して悠仁を引っ張って隣の部屋に入室していく。
二人とも気が抜けたのか、吸い込まれるようにベッドに潜り込んでいった。
初めての魔人との対峙、魔法を使う敵との戦闘、アルベルト公以外の貴族との接触。これだけでも精神がすり減らされる思いだった。特にメリアーナは緊張の連続で眠気を強く感じている。駅馬車の中で寝ておかなかった事をちょっとだけ後悔したメリアーナであった。
悠仁の方は駅馬車でぐっすりと眠ってはいたものの、魔人との対峙で精神力をすり減らされていたのだろうか一種の倦怠感を感じていた。これが常人であればただ対峙しているだけで、力を奪われて倒れてしまうだろう。下手をすれば死にも至る。
二人はただ何も言わず、いつものように優しく口づけして目を閉じた……
*******
真っ暗な暗黒の宇宙
「……」
「……」
ただ一人、悠仁が無限に続く空間を飛ぶかのように彷徨っている
「……」
「……!」
遠く彼方から一筋の光が向かってくる
「ユウジ!」
光は意思であり、全く聞こえないはずの悠仁の頭の中に直接語り掛けてくる
「ユウジ!」
(水簾!)
光が近づくほど脳に語り掛けて来る会話が鮮明になってゆく
「あなたにもうすぐ会える!」
悠仁はその語りかけてくる会話に答えるように返事を続ける
(どこにいるんだ?)
「ユウジ……南の滝で待っている…」
(南の滝?それはどこだ?)
「待っている…待っているわ……」
「……」
(ま…待って……)
弱くなっていった声がかすれていき、前と同じく声の主は光とともに闇の彼方へと吸い込まれて行った……
ご無沙汰しています雪燕です。
前章から一か月を要してしまいました。毎年何故かこの時期は体調を崩してしまいまして、寝込む日が多くなっています。応援叱咤の言葉を頂きながら「八章」となる「氷の魔術師」をお届けする事が出来ました。魔法を使った戦闘と刀や武器を使った戦闘のバランスを取りながら書くのが大変でしたが、戦闘シーンの描写は如何でしたか?
八章のアルベルト公の屋敷にて、悠仁がサーベルについての注文をつけているシーンを書きました。日本では明治維新前後に官軍の指揮官用として配備された様子ですが、日本人の持つ精神的な存在としての刀を切り離すことは出来なかったようです。
幾多の戦乱などを迎えてサーベルは軍刀へと変化しているのですが、その時の形状は鞘を抜けばほぼ日本刀。柄や柄巻きから刀身の形状に至るまで日本刀そのものだったのです。
そのサーベルから軍刀へと変化している「精神的な存在の姿」をファンタジーの世界で書かせて頂きました。
「ここが違うよ!」「ここは変だよ」という叱咤指摘など今後多数出てくるかもしれません。ですが、私は素直に耳に入れて受け止め、可能な限りアレンジしたり応用させていって設定を確定していきたいと思います。
本作品の意見やキャラクターについての感想など些細な事でも受け付けていますので、お待ちしております!
次章では予告になりますが、ずっと声だけの存在だった「水簾」を登場させるつもりでいます。お届けは4月上旬~半ばを予定しています。体調に気を付けますので引き続き応援してくださると幸いです!
雪燕