渚 11月26日 ~誓いは忘れるもの~
今日は食堂だから早く出ないと、眺めの良い席の取り合いに参加するつもりだった私は、居間から玄関に出るところで筋肉の壁に遮られる。
なんだ? と思ったら、出主通学園での生活に欠かせないあの人だった。
「渚お嬢様」
憤りの篭った低い声の持ち主は、すっかり忘れていたボディーガードの沼津さん。
一応、お嬢様なのでメイドやボディーガードがいるのも当たり前なんだ。学内だから安全だなんて、そんな甘い考えじゃ、いざという時に煩わしく感じてしまう。と、いうことで出主通学園ではボディーガードを常時付けておくことを求めている。こうして雇われたのが大学生の娘さんのいる元自衛官の沼津さん。
今は機嫌が悪いけど、結構良いおじさんなのだ。多分、ここを卒業したら縁がなくなるかもしれないけど。
草薙家の落ちこぼれである私は出主通学園卒業後、花嫁修業という名の軟禁生活を結婚するまで送ることになる。私の婚約者である紫堂のお坊ちゃんが結婚したくなるまで、そういう生活になることはわかっている。
嫁入り前は自宅軟禁。嫁入り後は私の身の保障は紫堂家預かりだから、出主通学園でボディーガードをしてくれた沼津さんとはあと1年くらいでお別れ。その後、沼津さんは草薙家の関連会社にでも再就職が決まっているのだろう。6年間も落ちこぼれの世話をしていたのだから。
ついついマイナス思考に陥る私。
「私の話は聞いていますか?」
「すみません。聞いていませんでした」
私の返答に額に青筋を立てる沼津さん。
落ちこぼれの上、迷惑かけてごめんなさい。
「一体、どこにいらしたんですか? 授業が終わって園芸部に向かうと仰っていたのに、教室から出てこないと思ったら、なんで自室にいるんですか? 舐めてるんですか? 挑戦しているんですか? 私に?」
沼津さんを舐めたら死亡フラグ立つじゃないですか?!
挑戦しようものなら瞬殺だよ!
元軍人(40代)さんと一般人(それも10代の小娘)で勝てるわけがない。
「ちょ、ちょ、挑戦だなんて、滅相もない。無理です。無理無理無理無理。沼津さん相手にしたら、私死んじゃいます。死亡フラグが100本以上立ちます」
「何も言わずに姿をくらますのは、その覚悟があったからでしょう?」
「ないです、ないです、全ッ然ないです!生まれてこのかた、そんな覚悟持ったことないです! ごめんなさい! 生まれてきてごめんなさい! 生まれてきたこと謝るから許して下さい!!」
今ならスライディング土下座する!
咲子さんにもスライディング土下座すれば良かった。
深く反省するから、殺気は止めて下さい。
チキンハートな私の心が死にます。死んじゃう。
誠心誠意を込めて私は謝った。
「で、どこにいたんですか?」
どうやら沼津さんは怒りを一時的に収めてくれたようです。
でも、その質問に私は完全には答えられない。
私だってわからないんだから、答えようがないでしょ?
異世界に行っていて、気が付いたら自室にいたんだから、どうしろっていうの?
誰か教えてよ・・・。
「・・・自室?」
「何故疑問形なんですか? どうやって自室まで戻ったんですか?」
「・・・超能力? 瞬間移動とか、空間魔法とかそういった類の」
「はあ?」
凄まないで。怖いから、殺気も収めて下さい、沼津さん。
本当だから。本当だからそんな馬鹿にされて激怒すんのは止めて下さい。
「まとも答えてくれますか?」
「異世界」
「はあ? ふざけないで下さい!!」
元自衛官の怒号。
滅茶苦茶怖いんですけど。
「ひいっ!! 飛翔!」
思わず私は宙に逃げてしまった。
だって、沼津さん怖いんだもん。
天井近くでガクブルしていた私は沼津さんの次なる攻撃に怯えていたわけだけど――追撃が来ない。
しばらく追撃に身構えて待っていたが、追撃はない。
恐る恐る目を開けると、顎が外れるんじゃないかと思うほど唖然とした沼津さんがそこにいた。
「沼津さん?」
近寄って声をかけてみる。
モチのロンで逃げるために距離は開けてだよ。
逃げ切れる距離を開けておかなくてはいけないことは、前衛だったレグルスとの長年の付き合いで学んだことだ。
「もしもーし。大丈夫ですかー? 沼津さーん」
「・・・飛んでる」
うん。
飛んじゃったね。
テヘッ☆
飛行魔術使っちゃったね☆
また魔術使っちゃったよ☆
どうするんだよ、私。
腹黒神官アルゲディ並みの知性がない私はどうしたらいい?
沼津さんをどう言いくるめるんだよ。
アルゲディじゃないから私には無理だよ。
コミュ障なトゥバンでもできない相談だよ。あ、魔術で記憶操作するかも。
記憶操作する魔術の使えない私は説明するしかない。
どう説明するんだよ、コレ・・・
本日2回目の魔術使用の言い訳(誤魔化し)はどうしよう・・・
レグルス・・・俺様戦士。勇者時代のナギサの仲間。
アルゲディ・・・腹黒神官。勇者時代のナギサの仲間。
トゥバン・・・内気魔術師。勇者時代のナギサの仲間。
ボディーガード・・・元軍人やら元格闘技(裏とかの人も)をしていた人々。元警官だとしたらSATかSPぐらいの訓練をしていないと出主通学園側が許可しない。