渚 ~出主通学園の寮の自室3~
「渚お嬢様、夕食はどちらで召し上がりますか?」
メイドの咲子さんの声で私は現実に引き戻された。
「さ、咲子さん?!」
私は慌てて顔を上げる。
どうやら自分の中に篭ってしまって、うつむいていたみたい。
いつの間にか咲子さんが居間の中にいて、こちらを心配そうに見ている。
こんな風に気にかけてくれるのも出主通学園だから。
実家の人間の尊敬を集められれば、実家でも咲子さんは気にかけてくれるかな?
「ノックしてもお返事がなかったので、失礼ながら勝手に入らせて頂きました。ところで、渚お嬢様。夕食は食堂とこちら、どちらで召し上がりますか?」
考えなければいけないことがたくさんあるから、今は食堂で他人と顔を合わせたくないなぁ。
異世界のこと、これからのこと、ゲームのこと。
そう言えば異世界で生活していたからゲームの存在をすっかり忘れていたんだよね。
鬼畜系18禁乙女ゲーム『三月兎は狂ってる~聖痕学園~』の舞台である聖痕学園の高等部。進学できなかったからと安心していたけど、婚約者は同じままなのよね。私が悪役令嬢だと知った時にはこの婚約が決まっていた。さっさと婚約破棄されていればゲームから解放されたって思えるのにその気配はない。
私、出主通学園に通っているんだよ?
婚約者はそれ知ってるはずなのに。というのも、奴は私の妹と仲が良い。私と同い年だから妹とは6歳離れているのに、優秀な者同士話が合うのか仲が良い。
謎だ。
両親は婚約者のほうにこの学校に通っていることを隠しているらしいが、奴から奴の親のほうに私が出主通学園に通っている事実は伝わっていないらしい。伝わっていれば早々に破談になるはずだ。
俺様婚約者は何を考えている?
「部屋にする」
いけない。
考え事をしていたから、言葉足らずになってしまった。
咲子さんは気付いていないのか気にしていないのか淡々と答える。
「わかりました。では、こちらに運びますね」
「・・・ありがとう、咲子さん」
今の私にはこれくらいしか言えない。
まだまだ樽椎葉にはほど遠いなあ。
樽椎葉というのは出主通学園では銅像があるくらい偉大な人物だ。優秀な他者を使いこなす器とその技量を全校生徒が見習うレベル。彼の偉大な言葉「他力本願で何が悪い」は各教室に額に入れて飾られているほどだ。
もちろん、私も樽椎葉を尊敬している。
「いいえ、渚お嬢様。お礼を言って頂く程のことはしておりません」
「私、上手く言えないことが多いからって、咲子さんに甘えてばかりいるし・・・」
「そんなことは気にしなくていいんですよ」
そう言って朗らかに笑う咲子さん。
彼女のその笑顔が欲しい。実家でも見ていたい。
鼻の奥がツンとする。
「咲子さん・・・」
「いえね、渚お嬢様。お嬢様はまだ子供なんです。甘えたっていいんですよ」
まだ子供だから甘えなさいって、咲子さんは優しいことを言う。
でも、私はもう、異世界で15歳の孫(それも一番年上ではない)もいたくらいの人生経験は積んでいるのに。
そんなことを知らないとはいえ、咲子さんは甘えろと言う。
その言葉が嬉しすぎて、胸が熱くなる。
「出主通学園に来るまで甘ったれだったし、今も甘えているのに?」
「子供だったんです。これから大人になって甘えられなくなるんですから、今のうちだけでも甘えていてもいいじゃないですか」
咲子さんが言うほど、甘えられない人生ではなかった。
異世界にでは彼が甘やかしてくれた。勇者時代の仲間たちもそれなりに甘やかしてくれた。
でも、咲子さんの言ってくれた言葉が嬉しい。
「咲子さん・・・」
私は思わず咲子さんに抱きつく。
「渚お嬢様?!」
咲子さんは驚いたようだが、私の頭を撫でてくれる。
「泣かないで下さいよ、渚お嬢様」
私は泣いていた。次から次へと涙が溢れてきて、咲子さんに抱きついたままただただ泣いていた。
優しさと温かさが欲しかった。
ずっと欲しかった。
両親が与えてくれなかったもの。妹に私の分まで与えてしまったもの。でも、本当は幼稚舎に入る前ですら与えてくれなかったもの。異世界で初めて与えられたもの。
両親の優しさと温かさなんて異世界で与えられたものに比べれば、格段に質も量も違いすぎた。
それをこちらの世界でも欲しいと願うのはワガママ?
ワガママだというなら、この学校の中だけのものでもいい。
私は咲子さんの優しさと温かさに甘えて、泣きじゃくっていた。
咲子さんはそんな私の背中を泣き止むまで撫でてくれた。