流星
井上靖さんの「流星」という詩がある。
中国で知り、とても感銘を受けたものだった。
自分こそ、やがて落ちてくるその星を己が額に受け止める、地上におけるただ1人の人間であることを、私はいささかも疑わなかった。
↑ ↑ 若い頃、日本海の砂浜の上で、一人マントに身を包み仰向けに横たわりながら流れる星を見つめ浮かんだ青雲の志。
そして、歳月は流れ……
目を閉じ煉瓦を枕にしている私の額には
もはや何ものも落ちてこようとは思われなかった
と詠う。
この二つの時間差が人生の厳しさを表現しているのだが、最初に描いた青雲の志とは立志出世を望むものではなく、聖賢の人になろうとする志のとなのだと解説がある。
聖賢の人とは内なる生命を常にあふれ出させている人のことであり、
ゆえに、青雲の志とは終わりがない――とする。
今ではめったに見ることのない流れ星。
当時の中国では、頻繁に眺めることができた。
大気汚染などまったくと言ってなかった時代だったから、それはもう満天の星空を毎日のように見渡すことができた。
真っ黒な夜空をナイフで切り裂いていくかのように流れ星が奔る。
ゆっくりと傷口を塞ぐかのように、漆黒の空に戻る。
こおろぎやふくろうのなく声を聞きながら、次から次へと現れる流星は例えようなくロマンチックでもあった。
春や秋の夜、カップルが公園などで星空を眺めている光景がよく見られた。
ちなみに中国人はほんとうに相手を大事にする。
もう見てられないほど、いちゃいちゃ、べたべたであるw
以前、見たときはハーレム作りたいとか、
そんなことばかりを願ったことを覚えている←おい!
もちろん、願いはかなわなかった。←叶うか!
人生は厳しい。←もう少しまともなこと願え!
流れ星を見たとき、すぐさま願い事を唱えられるか?
が、大事なのだそうで、どういう意味かというと、
常に心に秘めている想いこそがかなえられる夢なのだということだ。
逆にとっさに浮かばなかった場合、
その人はボーっとした毎日を生きているということに他ならない。
だから、今のうちにしっかりと遥かな想いを胸に刻みつけておくといいと思う。
そして、いつか流れ星を見たら――しっかりと願い事を言いましょう!




