かけがえのない友人
月曜日、待ちに待ったみんな大好き昼休みの時間である。ある生徒は授業終了と同時に開幕購買ダッシュをし、ある生徒は自販機の飲み物が売り切れる前に猛ダッシュし、またある生徒はどちらにも属さず悠々と弁当箱を開き既に食事を始める。
そんなのどかな月曜の昼休みの事だった。
「……は?」
孝介たちいつものメンバーは同時にアホみたいな声を漏らした。
「敦史お前今……なんつった?」
利人はなにか聞き間違いでもしたかのように敦史に尋ね返す。
「いや……風紀委員に入ろうと思ってて、さっき委員長と話をしてきたんだ」
「「………………」」
敦史のその答えに和明、孝介、利人は思わず無言になり数分とも言える長い長い時間が過ぎた。まるでそれは時が止まったかのように硬直する3人。しかしその隣で優也は「うまー」と幸せそうな顔で購買のカツ丼を頬張っていた。そのアホ面した優也の頭をぽかっと利人は殴った。いたっ、と大して痛くもない反応でそういうと何の話をしていたのか聞いていなかったのか敦史と和明たち3人を交互に見る。そこでまた1発利人はぽかっと殴った。
「お前、なんでまた風紀委員なんぞに!」
「そうだぞ?!あのスパルタ女、暴君女の傍でこき使われるんだぞっ!」
机を強く叩きずいっと敦史に顔を近づける和明と孝介。顔の近さに思わず敦史はたじろぐ。
「いや、まぁ……先生に委員会なにか入っとけって言われたから……そんなに厳しいものなのか?」
顔を近づける2人を押し戻して尋ねる。和明と孝介は互いの顔を見てため息を吐くと和明が説明しだした。
「元々、うちの学校は風紀委員なんてないって話をしたろ?」
その問いに敦史は頷く。
「うちの学校も去年まで……俺達が入学当初からあいつは入学と同時に風紀委員を作ったのも話したよな? っていうのも、うちの学校も結構有名校でバカから天才まで揃ってるわけで稀にその中に本物のバカ、所謂不良連中も混ざってるわけだ。 元々そいつら更生させるために風紀委員立ち上げ、それが去年の副会長……今年の会長殿にとても好評でな、他校の校長たちも大絶賛。それからというもの本来教師たちがやるべきである服装検査や持ち物検査は風紀委員に一任されたってわけよ」
ここまで聞くと大して厳しさは感じない。けれどこの後の和明の説明に敦史は身震いを覚えることになる。
「で、だ。こいつらの服装検査や持ち物検査がえげつないほど厳しくてな……例えばスカート丈が規定より1センチ短くても見逃しちゃくれねぇ。そこの綾瀬がいい例だ」
名を呼ばれたのが聞こえたのか奏依は和明たちの方を向いて笑顔で手を振った。おそらく本人はなんの内容か分かってない。絶対。
「出されたのは、反省文原稿用紙10枚だ。それが出来なきゃ苦手科目の課題を2倍だ。 更に服装違反やら繰り返せば3倍、4倍と増えてく」
その説明に笑顔で聞いていた敦史も次第に血の気が引いていき青ざめていった。そして敦史だけでなく周りでかすかに聞いていた生徒たちも青ざめていく。どうやら、彼女の徹底した厳しさにはほとんどの生徒が参ってるようだ。
「ちなみに俺はこれまで感想文を50枚以上は書かされた」
真顔で和明が言い放つ。その顔はもはやなにか悟りを開いてるように見えるほど清々しい真顔だ。
「俺は感想文10枚と家庭科の課題2倍」
「俺は……遅刻とか、服装検査引っかかって感想文15枚かな。遅刻だと5枚書かされるんだよね……」
「俺は一週間部室の掃除で許してもらったぜ」
孝介、利人、優也が口々に己の経験を語る。どうやらそれぞれが経験してるようだが、なぜ優也は一週間部室掃除なのか敦史は首をかしげる。
「お前ずりぃだろそれは!なんでてめぇだけ部室掃除で済まされてんだ、簡単だろうがそっちの方が!」
途端和明がギャンギャン喚き始める。そうだろう、誰よりも風紀委員の罰に経験のある和明からしたら一週間の部室掃除など簡単にも程があるのだから。
「えー、部室掃除の方がめんどくさいぜ?」
「感想文で時間潰すより掃除のほうが何億倍もマシだっつーの!!なんでお前だけ!?」
「しょうがないだろうな、なんせ優也は得意科目なし、全ての科目が苦手であの風紀委員長ですら頭を抱えるんだからよ」
まるで優也のことを代弁するように孝介が野菜ジュース飲み干しながら言う。本来なら怒るところだがこの優也本人は否定することなく笑顔で親指立てる始末。自他ともに認める和明に匹敵するほどの馬鹿である。
「でも感想文50枚書かされるほど俺和明より馬鹿じゃないと思う」
「言ったなこの野郎!」
「あ、てめっ!」
立ち上がると和明は箸をとり優也のカツ丼のカツを1つとり、突然のことに対応の間に合わなかった優也の抵抗虚しくカツさ一気に和明の口の中へと放り込まれる。旨そうに頬張る和明を見て優也はこっそり和明の弁当からだし巻き玉子を奪いそれを食す。
「あっ、俺のだし巻き玉子!」
「お前さっき俺のカツ食ったろ!」
「お前はカツ何個もあるやん!俺のだし巻き玉子は1個だ!」
突如としておかずの取り合いで喧嘩する高校生2人。普通のひとからすれば子供の喧嘩としか見えないが、このクラスではこの2人の大声の喧嘩がとてつもなく微笑ましく見える。クラスの誰もが仲裁しようとはせずただ笑ってみていた。
「おーい、和明ー」
「んあ?!」
おかずを取り合っていた挙句互いの頬を子どものように引っ張っている和明は声をかけられ途端に変な声を上げた。
「機械科の生徒がお前に用だとよ」
クラスメイトの1人がそういうと誰だと首をかしげる和明に見えるように身体をずらす。教室の入り口に立っていたのは背の低い、そろそろ夏を迎えるというのにマフラーを巻いている白い髪の生徒。
「お、シロじゃん。どしたよ」
「……届け物、今朝、渡し忘れた」
男2人が取っ組みあってる姿をみたシロはジト目で和明に目をやった。慌てて離れる和明と優也。和明は服装整えるとシロの所へと急いだ。
「本……」
「あ、これね。あ、そうだシロ今週末さ……」
和明はシロと話すために廊下へと出る。一方の優也は今度は和明の弁当の唐揚げを1つ取って、再び食事を始めた。
「ま、風紀委員やるならいいんじゃねぇの」
ふと孝介が言う。
「実際、この学校の風紀委員は地域からも警察からも信頼が厚いしな。理名が警視総監の娘っていうのも関係してるし、あの正義感。実質風紀委員入ると教師たちからの評価も格段に上がる」
早々に弁当を食べ終えて片付ける孝介。「けどな……」と言葉を切るとカバンに弁当を仕舞った後、机に頬杖ついて静かに言い放つ。
「お前が風紀委員になるっていうなら……そのうち俺達の敵になる」
「……それは、どういう……」
今まで感じたことのない孝介の鋭い視線に敦史は思わず身を一歩引く。
「……あの……」
「ん?どしたの由佳」
遠くで彼らを見ていた奏衣と由佳たち女子グループは既に食事を終え、クッキーを食べていた由佳は奏衣に尋ねた。
「市川君が言ってることって……」
「あー……あれね。ま、そのうちわかるわよ由佳にも、ね。今日あたりわかるんじゃないかしら」
「…………?」
ぽんぽんっと彼女の頭からハテナマークが浮かび上がる。
(もうやだこの子かわいっ!)
小動物のようにクッキー食べながら小首傾げるその姿に脳内歓喜する奏衣であった。
「ま、あれだ。風紀委員やるなら頑張れよ」
「……お、おう…………」
孝介の言葉に訳の分からないまま敦史は残りの弁当に手をつける。しばらくして和明は1冊の本を抱えて戻ってきた。
「何その本」
古ぼけた汚い本に利人が視線をやる。表紙は英語で書かれており読めない。
「ブラム・ストーカーのドラキュラ。シロに貸してた、あいつこういう本好きだし」
「へー……って、お前そんな本持ってたのかよ」
意外な和明の趣味に利人が驚く。出会って初めて読書趣味があることを知ったのだ。
「失礼だなお前?!俺だって本は読むわ!」
「本は本でも漫画本かと思ってたな俺も」
しれっと真横で失礼なことを言う孝介。孝介の発言に少し腹が立ったのか手に持つ本の角で孝介の頭を叩く。がふっ、とその本の角を受けると机の上に蹲った。その様子に再びクラス中が笑いに包まれる。そんな中、敦史だけは孝介の言葉だけが頭から離れられずにいた。
(…………このクラス、なにか裏がある)
────16時を過ぎた頃の放課後。誰もが部活動へと勤しんでいた。
本校舎近く、この学園の中心とも言える噴水で理名は腰に手を当てて郁を待っていた。しばらくすると校舎の方から郁が隣に転校生の敦史を連れて歩いてきた。軽く会釈すると理名は敦史を見る。
「昼休みの時に言ったとおり今日は部活案内も含めて風紀委員として月1である部活動点検をするわ」
「了解です」
「どうせ同い歳なのだから敬語は要らないわよ。郁、どこから見に行った方がいいかしら」
敦史の返答を聞く間もなく郁へと視線を移す。郁は走る女子陸上部員を横目に「外の運動部から」と視線を理名に送った。そうすると理名は背を向けて歩き出しその後ろを郁と敦史はついて行った。
まず3人が見たのはテニス部。テニスコートまで歩いていくと理名は部長らしき3年生の女子へと声をかけた。
「あ、こんにちは委員長さん。部活点検?」
「こんにちは部長。ええそうなんです。なにか、問題や予算のこととかはありますか?」
敬語を使う理名に少し敦史は驚いた。しかし、当然だろう。委員長といえど同じ同学年。基本委員長ならば3年生が務めるものだが、彼女ばかりは例外らしい。先輩に敬語を使うのはさほどおかしなことではない。
「そうだねぇ……テニスボールとか新しいラケットを注文するから予算が足りるかどうか……。もうここで使ってるラケットたちは使えるんだけど練習にならなくてさ」
「わかりました、それでは少しだけ今月分の予算をテニス部はあげておきますね。少々確認をしても?」
「ん、いいよ」
テニス部部長はそういうと3人を連れてテニスコート近くにある専用部室へと移動する。その中で彼女はテニスラケットの状態や部室の綺麗さ状態を確認し、郁は手に持つボードに理名の指示通り予算上げなどの事柄を記入して行った。
「それではこれで、他にも回るところがありますので。今年の最後の大会、頑張って下さい」
深くお辞儀して理名はそういうと照れたようにテニス部部長の女子は頭を掻く。
「ありがと。今年も全国行けるように頑張るよ。君も風紀委員長頑張ってね」
それを言い残して部活動へと女子生徒は戻っていった。それを見送り郁の書いた事を確認すると、すぐに次へと向かう。
「あ?ンだよお前か……」
理名の顔を見た途端孝介は溜息を吐いた。その反応に理名は不満なのか睨みつけるが孝介は見てないふりして手元の部活用の水筒からスポーツドリンクを飲む。
「で、お前がいるってことは……月末だしあれか、部活点検か。なんで敦史がいるんだよ」
「部活案内も兼ねてよ。珍しく部活してるわね市川君」
腕を組み見下すように顔を微かに上にあげて孝介を見ると孝介は軽く舌打ちをする。
「俺だってたまにしかサボらねぇよ、週一か、週二でな」
「まず部活をサボるというのが論外よ。顧問の安村先生に頼んで反省文書かせようかしら?」
「感想文や課題程度なら簡単だ。学年1位舐めんなよ」
そう言って理名に向けて親指を立てる。理名はその野蛮さに鼻で笑うと腕を組む姿勢を解いた。
「部長さんは?」
「先輩たちは安村先生たちと一緒にセントラルシティのトレーニングジムだぞ。今日はぎりぎりまで帰ってこないとさ」
靴紐を結び直しそういうと垂れてくる汗をタオルで拭う。
「よお、郁。元気か」
立ち上がり挨拶する。
「そこそこだよ、相変わらず元気そうだね孝介は」
「まぁな」
「……なにか、サッカー部内でのトラブルや予算のこととかはあるかしら、副部長」
呼び方を改め、孝介に尋ねる。彼は二年生でこのサッカー部のエースであり既に副部長を任されている。3年生たちがいない今は彼が今日の部活を束ねてるようだ。
「トラブル……つっても、あれだな。昨日から練習用のサッカースパイクをなくした奴がいたな。マネージャーに聞いても見てないっていうから誰かどっかに持ってたか……そこらだろ」
「場所は?」
ボードに書き込みながら郁が尋ねる。
「西側のサッカーゴール近くのベンチ、だったはずらしい。本人も疲れてたあまり曖昧らしくてよ」
「ん、了解」
「それは先生に報告して風紀委員たちで朝のHRで呼びかけてみるわ。他にはなにかない?予算のこととか、購入予定でなにか予算あげてほしいとか」
「いや、特にはない。トレーニングジムの使用料も安村コーチの自腹だしな」
あらかた孝介は説明すると時間を見る。すると孝介は、またなといって足早に練習に戻っていった。
「部室のチェックはまた明日にしましょ、部長が居ないようだし」
その後も野球部、陸上部、馬術部、生物研究部と様々な所を回った。
「あとは何が残ってるんだ?」
敦史が尋ねる。
「あと二つね。ここは……結構乱暴な奴が何人かいるから注意しなさい」
歩きながら理名がそう促す。
「残り二つは同じ場所で部活をしてるんだ。農業学科棟から少し歩いた所に馬術部の馬やファームクラブの山羊、豚がいる近くに何も無い平原があるんだけど……」
「……ああ、あのなんか無駄にスペースがある広い野原か」
ふとパンフレットや転校してくる際にみた航空写真のを思い出す。農業関係のスペースで無駄に広いところが二箇所あり、一つは馬術部の練習場であり山羊や豚が、牛を放牧するためのスペースがある。そしてもう一箇所、なにに使うかわからない場所があった。
「その部活って?」
歩きながら答える郁からは意外な名前が出てきた。
「クレー射撃とアーチェリーだよ」
「……発射」
ライフルを構えた少年の掛け声と共に遠くの方で円盤が発射される。数秒後、円盤がいい高さまで飛ぶとシロはそれ目掛けて発砲。見事命中すると円盤は砕け落ちる。
「ここがクレー射撃部ね。本来なかなかクレー射撃のある学園は存在しないけどここフラレシア学園理事長の趣味がクレー射撃で、数年前に導入されたの」
「へー……すげぇ」
「ん?興味あるのかい?」
今まで何処の部活を見ても大して大きな反応を見せなかった敦史がここで初めて歓喜にも似た声を上げると郁はそっと尋ねた。
「え、まぁ……少し」
「ふーん、でもやっぱり男だから銃に憧れるよね。俺もやりたかったけど金がなくて……ははは」
笑いながら郁がそう言った直後、太陽が隠れたように大きなもので郁が日陰となってしまう。
「えっ?」
びっくりして敦史が声をあげる。彼を太陽から覆い隠すほどの大きな巨躯の男性が郁の後ろに立っていた。するとその巨躯は動きだしがっしりとした筋肉モリモリの腕が郁を抱きしめる。
「ん〜〜っ!!マッスル!!」
「ぐへっ!!」
その巨躯から野太いバリトンボイスが辺り一帯に響き渡る。
「神崎くん、言ったじゃないかね。やりたければ先生がいくらでも支援をするとッ!!」
「ぐがっ!」
頬をひくつかせその筋肉の巨人を見上げる。既に郁はこの威圧感に驚き足ががくがくしていた。
「ラルゴ教諭、もうそのへんに……」
「ん?おや、これはこれは風紀委員長の成城くんじゃないかね。君がいて郁くんが居るということは……おお!」
今日が部活点検だという事に気づいたように納得する。しかしその衝撃で彼は腕に力を込めてしまう。
「ふぐっ!? …………」
ついに郁は本当に気絶してしまった。それはそうだ、それは死ぬ。絶対。敦史は少し距離を離すよう一歩後ろに下がった。
「なるほど部活点検だな。わざわざご苦労様だ。本来なら教師がやるような事を君たち風紀委員にやらせてしまって済まない」
「いえ、このぐらい構いませんよ。それより……郁が……」
少し困ったような顔をしてラルゴ教諭という筋肉モリモリの巨人の腕を指さす。「おおっとすまないすまない」と言って郁を離すと気絶してる郁の耳元で猫だましのようにパン!!と手を鳴らせばその大きな音に驚いたのかハッと郁が目を覚ます。
「……起きたかね? 郁くん」
にっこりと満面のスマイルで手を差し出すながら問いかけ郁は苦笑い浮かべながら返事をして彼の手を取り立ち上がる。
「ところで、こちらの青年は?」
目をぱちくりさせて郁にこれまた太い人差し指で指さす。
「この生徒は先週転入してきたばかりの……」
「えと……宮崎敦史です。先週このフラレシア学園に転入してきました」
礼儀正しく敦史は深く頭を下げて挨拶する。だがその顔は目の前の巨人に驚いているということが理名には視線で読み取れた。
「こちらは、ラルゴ・ボスコノヴィッチ教諭よ。この学園の体育教諭の1人であり普通科では英語の教師、私の所属する文化学科ではビジネス学とドイツ語を教えてるの」
紹介されるとラルゴはぬうっと距離を取った敦史のすぐ目の前へと近づいた。しばらく見つめ合い
「こんにちは宮崎君。御紹介に預かった、クレー射撃部とアーチェリー部の顧問でもあるラルゴ・ボスコノヴィッチだ。ラルゴ教諭と呼びたまえ」
彼は教師らしい面構えを取り手を差し出し握手を求めた。手を伸ばすとその大きな手を握り返してよろしくお願いいたしますと一言添えて握手する。
(凄いな……俺の両手を片手で包み込んでる……ゴリラか……)
「ところで」
「はい?」
「君はクレー射撃に興味はあるかね」
ずいっと厳しいラルゴの顔が一気に目の前まで近寄ってくる。
「え、あ、はい……まぁ……」
おどおどしながらも本心を伝える。その途端ラルゴの顔は満面の笑みへと変わる。
「そうか、そうか興味があるか!はっはっは!」
そんなに嬉しいのかラルゴは無意識か意識かぎゅっと握手していた敦史の手を強く握る。
(い、いてぇ……)
痛みに耐え笑顔を保つ敦史。
「ラルゴ教諭、本題に入りたいのですが……」
「おお、そうだったそうだった。すまないね、成城くん。先月は至ってトラブルも無い、ただ少しばかり予算の方を上げて欲しくてね」
敦史の手をぱっと離せば敦史はヒリヒリする自分の右手を摩った。
「新しい散弾銃の購入ですか?」
「というよりライフルの購入だ、以前使っていた奴を知人に買い取ってもらったが新しいのを1丁買うのに少し予算が足りんのだ」
「わかりました、明日書類を持ってきますのでその時に細かいところをいつものように記入して生徒会に提出ください。弾薬の方は?」
「うむ、弾薬は今月分は不要。先月大量に購入したばかりでね」
仁王立ちしながら口髭をびょいーんと引っ張っていうラルゴ。この様子を見てた敦史は益々この先生が分からなくなってきた。
「アーチェリーの方は大丈夫ですか?」
「うむ、そちらはなにも問題はないから予算上げも矢の発注も不要だ」
「あーーー!!ちくしょうっ!!」
「ん?」
突如、クレー射撃部の方から怒りにも似た叫び声が響いてくる。見れば部員の1人がとなりの部員に怒鳴りつけていた。それを見ていたラルゴは何事かと思い歩いていく。その後ろを理名と郁が付いていくため敦史もついて行った。
「一体どおしたのかね、香織くん。そんなに喚き散らして……」
「どーしたもこーしたもシロの奴に勝てないんだよっ!」
教師相手に一切敬語を使わないその女子生徒は地団駄を踏んでギャンギャン叫び出した。
「香織は……集中力が、足りない……だから、ライフルは、向いてない……」
シロはヘッドホンを外してライフルにセーフティを掛ければ銃床を地面に置きそう呟いた。よ、と挨拶する郁にシロは手を軽く上げて返事をする。
「げっ、成城!」
「……私が居るとなにか不都合でもあるのかしら、香織さん」
「けっ、なんでもねーよ風紀委員長殿」
彼女は理名の顔を見るなり先程の孝介と同じような反応をして視線を外す。
「スカート、短いんじゃないかしら。明日までに直して来なさい、でなければ反省文10枚を……」
「うるせぇ、どんな風に着ようがあたしの自由だろうが」
再びそのつり上がった目を理名に向ければ睨みつける理名を香織は睨み返した。
耳打ちして敦史は郁にこの2人は仲が悪いのかと尋ねる。
「あはは……まぁ、ね……」
「香織は……制服違反、課題未提出、授業中の居眠りとか……いろいろやってる……厳格な、理名とは……反りが合わない」
ゆったりまったりとした口調でそういうと近くにあるテーブルまで歩きライフルからマガジンを引き抜けば弾薬を込め始める。
「全く……これこれ2人とも、喧嘩するほど仲が良いというがそう睨み合うんじゃない。レディならばもう少し穏便に話をだね」
このままでは喧嘩しそうな勢いを察したラルゴはその巨躯で2人の間に割って入り落ち着かせる。
「喧嘩するつもりはありませんよ、ラルゴ教諭。私はこれでも冷静です、そこの口より先に手が出る彼女とは全く違います」
「ンだとてめぇっ!!」
「……はぁ……」
仲の悪い2人を見てラルゴはつい溜息を吐く。そんな中、喧嘩するふたりを横目に敦史の視線はシロの手元のライフルばかりを見ていた。その視線に気づいたのかシロがおっとりとした表情で首を傾げる。
「君は……和明のとこの……転入生、名前は……えっと……………………なんだっけ」
ずこっと、つい敦史はコケる。そのおっとりとした彼に敦史は自己紹介をする。思えば名前や存在は知っていても実際会って話をするのは初めてで名前を忘れるのも無理はない。互いに自己紹介を終えると敦史はまた手元のライフルを見た。
「……これ、おもちゃ……ちがうよ……?」
きょとんと無邪気な子どものような表情で言うシロ。
「いや、知ってるよ……レミントンのM700、だよな?」
ライフルを見て名前を尋ねてみる。それにシロはこくこくと頷いた。
「持ってみるかね?」
後ろからラルゴが敦史に言う。更にその後ろの方ではまだ女子2人は睨み合い郁はなんとか2人を仲裁していた。
「名前がわかるとは、銃に興味が?」
「ええ、少しだけ……」
ライフルを手渡されると敦史は特に慌てる様子もなく落ち着いたようにそれを持ち、その様子にラルゴは驚きシロはじーっと見ていた。
「ん……スチールバレルですか……どうりで軽い訳ですね」
「ほう、わかるか。シロくんは背も低いからステンレスバレルだと重すぎて持てないんだ。本人はそれでいいと言うのだが安定性に欠けるし心配でね」
ラルゴの説明に少し不満ながらもこくこくと頷くシロ。
「どれ、クレー射撃を体験してみるかね?」
「え、いいんですか?」
「もちろんだとも。文月くん」
ラルゴは近くにいた男子部員に声をかけた。
「準備してあげてくれたまえ」
「了解っす」
「シロくん、少し扱い方を教えてあげなさい」
こくりと頷くと彼は敦史の真横に行き使い方を教え始める。
「ここはボルト……ここを引いて、装填する……撃つ時左手はここを持って……」
途中、シロは説明をやめた。敦史はどうかしたのか首を傾げシロを見た。シロは少し離れると彼の全体を視界に捉えるように見つめはじめる。
「君……経験者?」
ふとそう尋ねられる。いいや、と首を横に振る敦史。
「なら……サバゲーマーでしょ。……クレー射撃、経験ないのに、持ち方がまるで本職……指も、トリガーにかけてないし……まるで、手馴れてる……」
おっとりとしながらも冷静なその観察眼に敦史は図星突かれた顔をする。当たったことに気づいたシロは更に続ける。
「君が……興味、持ったのは……クレー射撃、じゃなく……銃が好きだから……電動ガンやガスガン触ってきて、本物に憧れた……」
「…………」
「安心、して……僕も、サバゲーマー……サバゲー、大好きなん、だ……」
途端シロの表情は和らぎ口元はマフラーで隠れていて見えなかったものの目は同じ趣味に出会えた喜びで笑っていた。
「先生ー!用意できましたー!」
クレーの発射台近くから先程の生徒が叫ぶ。敦史はラルゴを見るとラルゴはレーンへと案内し、立たせる。レーンからは他の生徒たちは立ち退いて敦史は1人レーンに立つ。理名たちやラルゴ、他の部員たちの視線が一気に彼に集まった。
「装弾数は6発!今から発射されるクレーを狙い確実に撃ち落とせ!準備が良ければ合図を!」
真剣な視線と態度で敦史の数歩後ろに立つラルゴはまっすぐに立ち、相変わらずのバリトンボイスを大きく張り上げる。
「…………はい」
レバーを引き、薬莢を装填する。一息つき、合図を送る。
(なんということだ……初めてのクレー射撃だというのにこんなに落ち着いてるとは……まるであの少年のようだ……)
顔は真剣だが心の中では驚きを隠せず、つい敦史の合図を遅れて聞いたラルゴは発射台へと視線を向けて手を上げる。
シュッ
クレーが発射され敦史のレーンに重なった瞬間、発砲。
「…………」
見事命中。
「……次!」
次のは外れ、クレーは地面へと落ちる。その後立て続けに3枚が命中せず落下した。装弾数は6発、残り2発だ。
「…………」
発砲。再び見事命中し敦史は即座に装填をする。その手際の速さにはラルゴも、他の生徒達も驚いていた。
その後最後の1発も命中し、結果は五分五分と言ったところだ。
理名と郁は用事を終え、敦史は貴重な体験を終えて次は野外の部活を見に行くことにした。
理名たち3人が立ち去り、シロと香織は3人の後ろ姿を見送った。
「……あいつ、射撃の腕があるとはな」
ふと香織は言葉を零した。一部始終を見ていて初心者ではないと直感的に理解したが、あの腕前は凄いものだと彼女自身も驚いている。
「悪い人じゃ、無い……けど……風紀委員に、入ったから……油断、できない……」
「そうかもな……」
「ふむ……彼はもしかすると素質があるのではなく訓練したのかもしれんな」
後ろからドスドスとまるでキングコングのように歩いてくるラルゴ。その表情こそは落ち着いているが未だに驚きを隠せずにいた。
「訓練ねぇ……どこで訓練したのやら……」
相変わらず敬語を使わず、興味なさげに香織は欠伸を漏らすと散弾銃担いで再びレーンの所へと戻っていった。
「……先生、彼のプロファイルは……」
「うむ。1度目を通したが、彼の祖父は軍人だ。第二次世界大戦を経験している。両親は普通の何処にでもいる親だが恐らく祖父の遺伝か、はたまた訓練されたかだな」
顎に手を当て彼ら3人が去っても尚その方向を見つめるラルゴ。
「……少し、詳しく調べて、見ます……それと、今夜……」
途端シロのおっとりとした顔は険しくなり、いつもより暗い気配を帯び初め声が小さくなる。
「ああ、彼から聞いている。指示通りあの3人を連れて行くといい。確か場所は……」
「タイムビッグブリッジ付近、海岸近くの……25番倉庫駐車場……」
「よかろう、今日は早めに帰りなさい。彼も行くのだろう?」
「うん……だから、アレを……」
「わかった。後で君はあの部活に顔を出すだろう、ならついでに鍵を彼に後で届けてあげたまえ」
ポケットからキーケースを取り出すとそのうちの中から一つ抜きシロに手渡す。受け取るとシロは胸ポケットへとしまった。
「トラックは後でいつもの場所に配置しておく。それと、報告だ。彼らがこの街に今夜来る可能性が浮かび上がった、常に注意をしなさい」
「了解、です……」
口元をマフラーで隠れるように首を埋め込めばライフルを担ぎ、ラルゴに肩をぽんと叩かれれば部活へと戻っていった。それを見送ったラルゴは今度はアーチェリー部の所へとドスドスと歩いていった。さながらゴリラのように。
次に3人がやって来たのは、本校舎。
「ほんとなら農業棟と体育館から行きたかったのだけど……生憎近いのは本校舎だから。さっき電話して他の風紀委員たちに代わりに工業棟と農業棟、体育館、講堂には彼らに頼んでおいたわ。この後私も委員長会議が6時からあるし、ね」
少し先程よりも足早に理名は廊下を歩きその後ろを2人も追いかけていく。
「あら、理名。いらっしゃい」
茶道室と書かれた教室のドアをノックし、出てきたのは艶やかな桃色の着物を着て髪には赤い真紅の簪を刺した大人の雰囲気を醸し出す美しい女子生徒がお淑やかな笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは、優香。部活点検に来たの」
慣れ親しんだ口調と珍しく見せる笑顔で理名が言う。
「ええ、わかってるわ。貴女が郁くんと一緒に来てるのは大抵それが理由ですものね。お客様来てるけど……どうぞ、入って」
優香は3人を招き入れると自分は座敷へとそっと足音立てずにあがった。
茶道室の中はとても美しく和風な彩り。ドアをくぐれば御丁寧に下駄箱が近くに配置されており床は少し高く座敷になっていて部屋の奥には窓、壁には掛け軸が綺麗に飾ってあった。
思わず見とれている途中奥を見ればそこには優香が言ったとおり既に先約がいた。その2人もまた着物を着用して片方は灰色の着物を、もう片方は黒い着物を纏っている。
「おや……これは、成城さん」
「はーい、理名ちゃん。お久しぶりね」
奥に座る美形な顔立ちをした2人が笑顔で理名の名を呼ぶと郁と敦史にもその笑顔を向けた。灰色の着物を着用した男子生徒は手に三味線を持っており、その隣で座る男子だというのに女のような美しさを持ち、女言葉の生徒は逆になにも持たずそこに座っていた。
「どうぞ、ゆっくりしていって下さいませ」
3人の方へ座布団を敷くとそこへ座るように促す。それに3人は従い右から理名、郁、敦史の順で座った。理名と郁が正座で座るためそれに釣られて敦史も正座の姿勢をとる。
「珍しいわね、3人揃ってお茶をしてるなんて。他の部員たちは?」
「ほかの人達はもう一つの部室でお茶を楽しんでるわ。もう少しで戻ってくると思うけど……私たちが揃ってるところ見られたらうるさくなりそうね」
お茶を静かに点てながら静かに微笑み返事をする優香。
「そう、なら早めに退散する事にしましょう……紹介するわ、彼女は八凪優香。農業科造園部の生徒で、ここの茶道部の部長。私の幼馴染みなの」
「八凪優香です、宜しくね宮崎敦史くん。名前は聞いてるわ、興味があるなら是非とも茶道部へ」
茶を点てる手を一旦止め頭を下げて挨拶をする優香。優雅なその挨拶につい敦史とテレテレしながらお辞儀をした。
「そこの三味線をもつ彼は神村雅。茶道部兼、和楽器部。農業科食品科学部に所属する2年生」
「よろしくお願い致します、敦史くん。どうぞ、雅と気軽に呼んでくださいませ」
三味線抱えながら軽く頭を下げ、それに返事するように敦史もまた頭を下げる。
「その隣は、鮫島シエラ。雅と同じ食品科学部に所属してて、日本人とアメリカ人のハーフよ。そして見てわかるように、彼女はオネェなの」
「どーもー。あたしの事はシエラって呼んでね、敦史ちゃん」
「…………」
彼ら3人のなんともフレンドリーな笑顔か。その笑顔になんだか敦史は自然と恥ずかしい気分になってくる。
既にこの3人は自分の事を知ってるようで、自己紹介は不要かと思ったが自分も深くお辞儀して再度自己紹介をした。
「礼儀正しい御方です、そうかしこまらず普通に接してください」
「そうよ、雅ちゃんのこの敬語はデフォルトなのよ。誰にでもこんな畏まってるんだから」
「そういうシエラは皆にフレンドリーよね、先輩にも」
「当たり前じゃないの。皆仲良しがアタシのポリシーよ。まぁ、仲良くなれそうにない子にはそんなにフレンドリーじゃないんだけどね」
「シエラも優香もいろんな御方に人気ではないですか。シエラはフレンドリーですし、優香は誰にでも面倒見のいいお姉様気質。みんな違ってみんないい、ですよ」
3人はそんな世間話をしていると互いにクスクスと笑いあいそれを見ていた理名は微笑みながら溜息吐いた。
「相変わらず仲が良いのね、貴女たち3人は。見ていて和んでしまうわね……さて、和んでも仕方ないわ。話の本題だけど……」
微笑んでいた理名はその笑顔を消して再びいつも通りの厳しい厳格な顔へと戻る。なんとも仕事とプライベートの切り替えが上手いのか。テンションの切り替えが激しい和明とは大違いだ。
「特に茶道部は問題はないわ。予算の方も少し不安なところはあるけどまだ様子見なの」
話しながらしばらくして3人分のお茶の用意が出来ればそれぞれに差し出し、お茶菓子は切らしてるけど……と言葉を添えた。
「なにか……あったのかしら?」
「実はね、6月か再来月の7月あたりに雅の和楽器部と茶道部とでお茶会を開きたいの。農業棟東側にあるあの大きな御神木の下でね」
「なるほどね。するとしたら七夕あたりが望ましいかしら……」
話を静かに聞きながら敦史と郁は邪魔にならないよう茶を音立てずに飲み、ゆっくりと座敷の上に置く。
「理名の言う通りその日あたり、やりたいの。費用や色んなものの用意は私たち3人でやりくりするから……そして開催するか否か、今日の会議で聞いて欲しいというわけ。委員長会議には重要職員たちも集まるでしょう」
「そうね。じゃあ……分かったわ。今日の会議で聞いてあげる」
理名は了承した胸を伝えると茶に手を伸ばして両手で持ち上げれば左手の上に置き3回回せばそれを飲み、しばらくして、ふぅと一息ついた。
「結構なお手前で……」
そう呟き更にもう一度それを飲む。
「お粗末さまです……」
なんとも優雅な様だろうか。この2人にはついつい見とれてしまう。理名にも茶道の心得があったことにも驚いたが彼女たち2人が揃った瞬間のこの美しさ。
「びっくりした?」
郁はふと敦史に尋ねる。
「まぁ、それなりに……綺麗だな」
「わかるよ、その気持ち。俺も初見は驚いたさ」
郁も当初はとても驚いた。入学当時この2人はとても仲が良く、理名が風紀委員を立ち上げたいという願いを後押ししたのはこの優香であった。去年にも何回かこの2人が揃ってお茶をする所を見たことがあるが何度見ても美しい。
「……そろそろ行かなきゃ」
茶を置くと理名はゆっくりと立ち上がった。
「あら、もう行っちゃうのかしら?つまらないわねぇ……もう少しゆっくりして行きなさいな」
他の所へ部活点検へ行こうとする彼女をシエラが呼び止める。
「ごめんなさい、シエラ。ゆっくりするのはまた今度のときに。他の所にも行かないと……」
「全く。理名ちゃん、そんな急ぐことないでしょ。ココ最近貴女働きすぎよ。今朝も服装点検で朝から来て、郁から聞いたけど昨日の夜色んな事があったらしいじゃない」
いろんな事、とは理名がクライマー達に遭遇し結局は掴まれられずじまいだった昨夜のあの事件である。
「それに部活点検は今週中だし、なにも今日明日で終わらせることは無いでしょ。今日はここでゆっくりして行きなさい。出来ないなら、アタシはあんたとはもう話さないわよ」
「う、っ……」
その言葉に途端、理名の顔は困った表情になる。彼女にとってこの学園で理解してくれる10人にも満たない友人の1人。それを失うのは彼女にとっても苦しい事なのだろう。
「……わ、わかったわよ……」
シエラの強い視線と言葉に抗うことはできず仕方なしに理名は観念してもう一度先程の座布団へと座った。
「それでよし。会議の時間までここでのんびりして行きなさい。まだ1時間以上もあるんだから」
シエラはそういうと茶を飲み、無くなったのかそっとその茶碗を優香へと渡した。
「優香、あの子たち3人のお茶も無くなったみたいだしお代わりお願い出来るかしら?あとアタシと雅にも」
シエラにそう頼まれると優香は了承したように低くお辞儀をする。
「雅、せっかくだし1曲……お願いしていい?」
「ええ、構いませんよ。いつでも」
雅は笑顔で頷くと近くに置いてある銀杏型の撥を手に取り三味線下部を支えながらもう片方の三味線の上部をもつ片手で器用に音を調整していきしばらくすると用意が出来たのか姿勢正しく座り直して三味線を持つ。
そして、空気も止み音が静かになった瞬間から雅は三味線を引き始めた。
静かな三味線の音色がこの部屋全体を包み込んだ。シエラは袖から江戸時代の演奏家のようにすっと篠笛取り出すと歌口に当て三味線を奏でる雅の音色に合わせ吹き始めた。
美しい三味線と篠笛が奏でる風のようなその音色はとても美しく軽快だった。まるで大昔、江戸時代……いやそれを更に遡り鎌倉時代……その時代の貴族たちが集まり、和風な屋敷で、庭で楽器を奏で楽しんでいるような気分に次第に理名や、敦史、郁は包まれていく。
やがて茶を点て終えたのか再び3人にお茶をゆっくりと優香は差し出した。その仕草もまた様になっている。理名たち3人は茶を受け取ると作法に従いそれを一口、飲む。
すると、入り口の方で着物を着た女子生徒が1人チラリチラリと覗いている。他の部員たちが戻ってきたのだ。それに気づいた優香はその扉に向かって微笑み、ちょいちょいと手招きをする。手招きされた茶道部員たちは足音ひとつ立てること無く部屋に入り理名たち3人の後ろに正座で座っていく。
敦史は振り向くといつの間にか居た部員たちに驚くも軽くお辞儀をして挨拶し再び前に向き直った。振り向いた時にわかったが、茶道部の人には男も混ざっていて更には全員礼儀正しく、作法もしっかりして静かに耳をすませて雅とシエラの演奏を聞いている事だ。全員が聞き入る中、敦史もまたキョロキョロするのを辞めて演奏へと耳を傾ける。
彼らの音色は外にまで響く。去年から数回ほどこの部屋で何度かそんな事をしたが誰もがこれを聞くとついつい部屋を覗きに来る。この美しい風のような音色に惹かれて──。
優香は音色を聞きながら壁の上部分にある開いた窓の外へ視線を移した。
空は蒼く、美しい。太陽に向かって鳥が羽ばたいていく……。そんな事を想いながら時間はまるで遅く感じるというのに刻一刻と、流れていった。