過ぎ去る平和な時間
(暑い……暑すぎる)
青年が額から大粒の汗を流し、自分を囲む不良ともいえる連中を眺めた。
(こんな暑い日は、いろんなのが群がる……)
小さな羽音をたてて蚊が一匹通り過ぎると同時に、青年の汗が一滴落ちる。
「やっちまえ!」
不良のリーダーらしき男の叫びとともに青年は心の中で思った。
(ああ……ほんとに、面倒くさい……)
時は5月某日 午前08:12
ここフラレシア学園農業学科、2年Bクラスでは朝の部活が終わり生徒たちが教室に入って来る頃だ。
スタスタと、ひとりの黒髪の青年がサッカーシューズ片手にカバンを背負って教室へと入って来る。
「あ、おはよー」
「うっす、おはよ」
すでに教室に居た数名の女子生徒が青年に朝の挨拶をする。それに対し青年も当然のように挨拶を返す。
「ん?」
しかし、よく見ると教室にはもう一人居た。机に伏して寝ている男子生徒。すると、青年・市河孝介はその男子生徒の真横の席の机に荷物を起き、しかめっ面したまま教科書や参考書を机の中へと仕舞いはじめる。
しばらくすると孝介はカバンを片付けると、未だ爆睡している男子生徒の机の真横に立った。
「おい、和明。起きろ」
孝介が声をかける。
「ぐぅー……」
しかし、和明と呼ばれた特徴的な腰まで長くダウンに束ねた蒼髪の青年は起きる素振りはない。
「和明、早く起きないとあとであたふたするぞ」
まるで起きていることを知っているのか、はたまた寝ているのに話しかけているのか孝介は時間を見ると、あと10分で朝のホームルームの時間だということに気づく。このまま放っておくわけにもいかないため、和明の肩を掴みユサユサと揺らして起こそうとする。
「…………」
なにをしても起きない。
孝介は静かにため息をつくと、すうっと息を吸った。
「……ああっ!?あんなところに新発売スイーツのグランベリーケーキがっ!?」
がばっっっ!!
「なにいっ!?どこだ?!」
瞬間、和明の体は電撃にでもうたれたかのように起き上がり、凄い勢いである筈のないスイーツを必死に探した。
その必死に探す姿を教室にいた生徒たちが小さくクスクスと笑い、和明の真横で細目で見ていた孝介が再びため息を吐き、冷たく告げる。
「嘘に決まってるだろ、バカ」
「なん……だ、と……?」
世界の終わりでも見たかのような顔で和明は孝介を見つめ返した。
「貴様ァ!騙したなぁ!俺が甘い物大好きと知って……」
「やかましい、朝から寝てるお前が悪い」
軽くポカッと和明の頭を叩いて、孝介は彼の隣の自分の机に腰掛ける。
「ううっ……だからってスイーツで釣るなよ〜……普通におこしてくれたっていいじゃんか〜……」
「普通に呼んでも起きないんだよ。だから、スイーツで釣った」
冷たくそんなことをいいながらカバンから野菜ジュースを取り出して飲み始める。その隣では和明がブツブツと孝介に対する文句をいいながらカバンから参考書を机の中へと入れていった。
和明は1度眠るとなかなか起きない、1年生の頃からそうだが先生やクラスメイトがいくら呼んでも起きないし騒がしい教室の中でも構わず眠る。そんな彼を起こすために孝介が見つけたのは、スイーツや食べ物で釣るか力づくでぶん殴って起こす……ということである。ぶっちゃけ後者は流石に人としてどうかと思うので孝介は前者でのやり方を愛用(?)している
「朝から騒がしいと思ったら、なんだ、また和明は朝から寝てたのか?」
教室の後ろからの声が和明の名前を呼び、振り向いた。そこにはちょうど朝の部活終わりで教室に入ってきたクラスメイトの姿があった。
高校二年生にしては背が高い、金髪ショートの青年、和明と孝介のクラスメイトでありフラレシア学園の陸上部に所属する望月優也である。
「仕方ないだろ、眠いもんは眠いんだから」
「ふぅ〜ん……具体的に昨日どんな内容のエロゲーしてた?」
「日本海沈めるぞてめぇ」
「ははは!冗談だ、冗談。そんな真に受けるなって、友達だろ?」
優也が和明の肩をバシバシ叩きながら笑っていう。
「わかってるよ、俺だって冗談だしな……って痛えよ!いつまで叩いてんだ!!」
いつまでも肩をバシバシ叩く優也に痺れを切らした和明が怒鳴る。その和明に対して優也は、おぉ怖い怖い、と笑いながら叩いていた手を引っ込めた。
「お前らうるせぇよ、朝なんだから静かにしろ」
孝介はそういうが、教室にいた生徒たちや教室の前を通り過ぎる生徒たちは笑って見ていた。というのも、これは去年から見慣れた光景だからだ。彼らのバカみたいなこんなやりとりは日常であり、毎朝恒例。だから最初こそうるさいと感じていた生徒たちも笑って見過ごせるようになっているのだ。
「さて、とそろそろ朝のHRだから準備するか」
和明が左手の時計を見ながら席を立った。それにつられて、優也も自らの席へと付き授業などの支度をする。
午前10:25分
地理の授業中の出来事であった。
「……zzz……zzz」
後ろの席に座る和明は見事眠気に耐えれずいつものように机の上に教科書開いて伏して寝ていた。
「先生、和明がまた寝ているのでどうしたらいいですか」
彼の前の席に座る女子が、プリントを後ろの和明に渡す際に地理の教師を呼ぶ。
「人の授業で寝てるとはいい度胸だ、よし市川。叩き起こせ」
「イエッサー」
孝介はそういうと席を立ち、自分の地理の教科書や参考書を持って和明の席の目の前へと行く。
「……和明、起きろ」
「……zzz……zzz」
応答なし。それを確認すると、スッ、と両手に持つ教科書や参考書を上に高く構えた。
「……授業中だぞ、起きろ」
「……zzz……zzz」
またも応答なしだ。瞬間、ぶんっと風を切る音の直後、和明の悲鳴が学園中に響き渡った。
午後12:30
生徒たちの待ちに待った昼休みが訪れる。クラスを気にせず、場所を気にせず、学園の屋上以外の好きなところで食事が可能なこの学園の昼休み。
しかし、和明たちいつものメンバーは教室で昼を過ごしていた。
「ちくしょ〜……まだ後頭部がヒリヒリする……」
食事中、和明は右手で自分の後頭部を撫でた。
「寝てるお前が悪いんだろうが」
隣でサンドイッチを頬張る孝介が冷ややかな睨み目で言う。
「だからってあそこまですることないか!?」
「いや〜面白かった……」
「優也は爆笑しすぎだよ、おかげで俺まで我慢できずに笑っちゃったじゃんか」
優也と、和明たちの同じくクラスメイトの愛田利人がため息を吐いて言う。
叩き起こされた際の和明の悲鳴にはクラスメイトのほとんどが大爆笑し授業中にも関わらず他のクラスから苦情が来た程である。
「あぁ、そうかよ……はっ!持つべきは最良の友だよホント」
いやみったらしさ抜群なセリフを吐くと和明は食べ終わったカラの弁当箱をカバンへとしまう。
「そう怒るなって……」
「お前はもうバシバシ叩くな!寄るな、散れっ!」
「お前……それ本気で言ってる?」
落ち込んだように優也は見つめながら言う。
「本気で言ってたらお前とこうして仲良く弁当食ってねぇよ」
「だよなっ!」
バシッ!
「叩くなっていったろうが!」
「なるほど……今の和明、あれがツンデレか」
「はっ倒すぞ、利人」
「すんません許してください」
即座に利人はイスをおり土下座した。
またも教室に今朝と同じような男女問わずの微かな笑い声が聞こえてくる。
見ているものたちからすれば、これはとても和ごましいものであった。
ときにはからかい、ときには笑いあい、そんな彼らがクラスや学年の和を保っていた。
そしてその場の数人が思ったことだろう……「願わくば、こんな時間だけが永遠と続けばいいのに」と。