ホント、ウソ。
ここで嘘を書いても、私は許される。
何故ならこの文はフィクションだから。
全てはフィクション。
私の見ている世界は、見方を変えれば嘘にもなる。
ここで真を書いても、私は許される。
何故ならこの文はノンフィクションだから。
全てはノンフィクション。
私の見ている世界は、見方を変えれば真にもなる。
虚と実を綯い交ぜにして私は世界を理解している。
きっとそれに例外はない。
私が本当に真実を捉えているのか。
私が本当に虚構を捉えているのか。
判別がつかないことのほうが、私は多いのだ。
ここで言葉を紡いでいる私は、おそらく実在する。
生物である限り、私というものの実在をはっきり認める必要があるらしい。
場面によって、私が、その曖昧な認識の中で決断を下さなくてはならないと言う。
物事ってのはそう割り切れるものでもない。
不安定で不確実で不平等な物事が本当に多い。
それでも、直感を信じ、理屈を捏ねて、理由を立てて、判断をするのだ。
決めるのだ。選ぶのだ。
虚を怖れず選んでいけば、実が見つかるのではなかろうか。
選ぼうが、選べまいが、時は過ぎいずれ終わるのだ。
などと人々は嘯く。
彼らは、自分の従っているルールに、他人を巻き込んでしまう。
そのルールの中で私は、おそらく実在しない。
ここで何を書いても、私は許される。
表現は、虚と実のどちらも抱きとめることができるから。