5−1 美香
彼が愛しい。彼が欲しい。それでも「血のつながり」という足枷は、私の心を、身動きも出来ないほどに縛り付けている。
真夜中、さらに勢いを増した雨は、再び雷を鳴り響かせていた。雷の夜に目が覚めて眠れなくなるのは珍しいことじゃない。でも今日は、一緒に寝てくれる人がいない。……たった一人を除いては。
私は枕を持ってお兄ちゃんの部屋の前に立っている。雷のせいで眠れなくなった私は、お母さんがいない今日、お兄ちゃんに一緒に寝てもらおうと思い立ったのだ。
台所での一件があってから、お互いどこかぎくしゃくしていた。特に私は必要以上に意識してしまい、まともに話もしない状態だったから気が引けるけれど、背に腹は代えられない。
「お兄ちゃん……起きてる?」
控え目にノックをして、控え目に声をかけたが、お兄ちゃんの返事はなかった。廊下の時計はすでに夜中の三時を指している。起きているほうが不自然な時間だ。寝ているのを起こすのも気が引けて、諦めて部屋に戻ろうかと思った時、窓の外が一瞬光るのと同時に雷が耳が割れるほどの音を鳴り響かせた。
「っ……!」
私は悲鳴にもならない声を上げた。恐怖で言葉も出ない。もしもあれが家に落ちたらと考えると居ても立ってもいられなくなって、私は意を決してお兄ちゃんの部屋の扉を開けた。
お兄ちゃんの部屋は、相変わらずきれいに片付いていた。勝手に入ったことに罪悪感を感じながらも、久しぶりなものだから部屋全体を見回してしまう。
部屋の隅にあるベットで、お兄ちゃんは眠っているようだった。起こさないように気をつけながらお兄ちゃんの近くまで行き、ベットの横に座った。お兄ちゃんは寝顔まで整っていて、まじまじと眺めていたら、なんだか目が離せなくなった。
――あの時、台所で、お兄ちゃんはまるでキスでもするように私の指先に唇で触れた。
私は一瞬で囚われたのだ。あの時のお兄ちゃんの目に、唇に。
思い出した途端に心臓がせわしなく鳴り始めて、顔が火照ってどうしようもなくなった。思わず手を伸ばすと、お兄ちゃんの見かけよりもずっとさらさらとした髪に触れた。瞬間、鼓動がより高鳴るのと同時に、私の中に色々な感情が生まれてゆく。
愛しい。切ない。好き。苦しい。
――怖い。
私は慌ててお兄ちゃんに触れていた手をひっこめた。そう、私はずっと、怖かった。
自分自身の感情――心に秘めた想い。でもそれがお兄ちゃんに知られてしまったら、その時点で私はすべてを失ってしまうのだ。「お兄ちゃん」も。「好きな人」も。それが、何よりも怖かった。
私は座ったまま、うつ伏せに上半身だけベットに預けた。規則正しい、静かなお兄ちゃんの寝息が耳に心地よくて、雷はまだ鳴り続けていたけれど、何だかほっとした。眠りに落ちてゆくまどろみの中で、お兄ちゃんが私を呼ぶ優しい声を聞いた気がした。