4−2 達也
自分の心をコントロールできるのなら、こんなに思い悩むこともなかったのだろう。あの夢を見た時から――、否、それよりもずっと前から、俺の中のおかしな感情は成長し続けている。
湯船につかりながら、俺は小さく息を吐いた。風呂というのは体を洗ったりする以外に何もすることがない。
思い出してみても、玄関で美香が見せたあの表情は、やはり夢で見たそれと似ていた。
――俺の願望がそう見せただけかも知れないのだが。
美香ももう高校生なのだから、あんな表情をするのも普通のことなのかもしれない。でも、美香にあんな表情をして俺の名前を呼ばれたなら、俺は自分の気持ちを抑えることができるだろうか。
心の奥底に閉じ込めた「秘密」。美香を愛しいと思うからこそ、美香を妹として大切にしたいという感情と、美香の“女”の一面を知りたいと思う感情が、俺の中に同居している。
ひどく、浅ましいと思う。こんな思いを抱くのは間違っていると。例えその感情が抑えきれないほどに大きいものであっても、それを無理にでも抑えつけるしか方法はない。俺は湯船からあがると、頭を冷やすために冷水のシャワーを浴びた。
風呂から出て居間に入ると、美香はテーブルについてぼんやりしていた。俺が部屋に入ってきたことにも気が付いていないようだった。
不思議に思いながら美香の前に立つと、やっと気づいたのか美香は元々大きな目をさらに大きくして、盛大にびくりとして見せた。……そんなに驚かれるとは思わなかった。
「美香、どうしたの。なんかボーっとしてたけど。考え事?」
「う、うん、ちょっと……」
「ふーん?」
美香は困ったように苦笑しながら視線を巡らせている。この間から、どこか様子がおかしい。何か悩んでいるなら力になってやりたいが、美香も言いたくないことがあるだろうし、それ以上聞かないことにした。
とりあえず座ろうとすると、テーブルの上に料理が並んでいるのが目に入った。そこそこな出来栄えからして、買ったものではなく手作りだろう。だとすると……。
「これ、美香が作ったの?」
「あ、うん。そうだよ! お兄ちゃんのために頑張ったんだよ」
「すごいね。ありがとう」
俺は美香の頭を撫でてやった。料理が苦手でいつも失敗している美香がここまでのものを作るなんて、並大抵の努力ではできなかっただろう。実際、美香が以前に作った料理と比べると雲泥の差だ。
「あ、あの、わたし……その、えっと……、そう! リンゴあったからむいてくるね!」
頭を撫でていると、美香は真っ赤になってどもって、俺の手を振り払うように慌てて台所に駆け込んで行った。料理を褒められて照れたのだろうか。それにしてもあんなに焦ることはないだろう。
――そう、まるで、俺が触れるのを拒絶するような――……。そこに考え至って、俺の中に黒い感情が渦巻き始める。美香に拒絶されること、それだけを恐れて今まで自分の感情を隠してきた。それなのに。
「いたっ……!」
座ってぼんやりと料理を眺めていると、すぐに台所から美香の声が聞こえてきた。
「どうした?」
台所まで行って声をかけると、美香の指先から一滴、血が出ていた。包丁で切ったのだろう。
「あ、大したことないの。ちょっと、指切っちゃって。絆創膏あったかな?」
「手、かして」
俺は血を流している美香の手を取った。手をそのまま口元に運び、美香の指先の血を舐めると、美香は驚いたのだろう、持っていたリンゴを床に落とした。
ごとりと音を立てて落ちたリンゴが転がっていく。まるで俺のようだ、と思った。美香は今まで以上に顔を真っ赤にして、戸惑っている様子だ。美香の手からかすかな震えが伝わってくる。それでも、手を離す気にはならなかった。
「っ……、あ、あの……お兄ちゃん?」
“お兄ちゃん”と呼ばれて、現実に引き戻された気がした。俺は妹に一体何をしているのだろう。自暴自棄になっていたのかもしれない。俺はぱっと美香の手を離した。
「……舐めときゃ治るよ」
そう言って俺は美香に背を向け、台所を出た。