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「ひみつ」  作者: 名無し
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30−1 美香

 

 あれから、お兄ちゃんは何事もなく無事引っ越していった。それ以来、平和な毎日が過ぎていた。静かで寂しい家の中、迎えた週末。私は何もせずにベットでごろごろしていた。お母さんも出かけてしまい、誰もいない家の中。空っぽな私。一人きりの週末。味気がなくて、何の意味もなくて、ただ、何もする気が起きず、週末が始まってずっと寝ていた。


 お兄ちゃんが居る時は何も気がつかなかったけれど、一人だと家がとても広い。そして冷たく感じた。全く安らがない。


 寂しさを紛らわそうと、私は何度もお兄ちゃんに関する記憶を探ろうとする。けれど頭のどこかで拒否しているのだ。思いだしてしまえば、もう戻れなくなる。愛しさと哀しみの渦から。ふ、と私は自嘲気味に笑った。かよちゃんが私を抜けがらだと言ったのも無理はない。こんな自分、大嫌いだ。


 思わず、涙が出そうになって、私は助けを求めるように、無意識に呟いていた。


「お兄ちゃん……」


 すると、お兄ちゃんの私を呼ぶ声が聞こえた気がした。お兄ちゃんの私を呼ぶ甘い声の音色、やわらかいまなざし、あたたかい腕の中。必死に思いださないようにしていたけれど、脳裏に焼きついていたそれらは、本当に突然に思い出されて、心の中の痛みに対応できず切羽詰まった私は、がばりとベットから体を起こした。いないとわかりきっているくせに、家の中を必死で探す。あの人の、面影を探して。


 流れ出る涙を抑えるすべも知らず、私はありとあらゆる部屋のドアを開けていく。けれどお兄ちゃんはどこにも見つからない。そうして辿り着いたお兄ちゃんの部屋を開けると、そこは空っぽな部屋だった。まるで私の心の中を見せつけられたようで、私は顔を歪め、更に躍起になって探した。


「どうして、いないの……」


 やがてすべての部屋を探し終えてから、呟いて、廊下に座り込んだ。涙が次から次へと溢れてきて、心が痛くて仕方がなかった。強くなれる、気がしていた。けれど駄目だったのだ。一人じゃ強くなれない。お兄ちゃんが居るからこそ、私は強くいられたのに。


 その時、はっと思いだして、私はまだ探していなかったベランダへと駆け込んだ。するとそこに、あの日の二人が見えた気がした。夏休み最後の夜。星空の下寄り添って、交わした言葉。大切な大切な、お兄ちゃんのくれた言葉。


 ――俺のたったひとりも、美香かな


 思いだしたとたん、胸に切なさが押し寄せるように流れ込んできて、私は瞬きをすることも忘れ、目を開いたまま涙を流した。

 かよちゃんの言ったことの意味。


 ――本当に、美香と離れて、その人は幸せになれたの?


 私は何をしていたんだろう。資格がないとか、もう遅いとか。大事なのはそんなことじゃない。私はお兄ちゃんのそばにいなくてはいけなかった。私のため、そしてお兄ちゃんのために。私がお兄ちゃんをたったひとりだと想うように。お兄ちゃんだってきっと、私をたったひとりだと想ってくれていた。同じ想いを抱え、そばにいたいと願った。私の幸せは、お兄ちゃんの幸せになり、やがてひとつになっていく。その願いは、重なっていたはずだったのに。


 ――守ってあげて? 堂々と胸を張って、逃げないでちゃんと向き合うの


 夏木さんの言った言葉が蘇った。私も、お兄ちゃんを守ってあげないといけなかった。お兄ちゃんが私を優しさで包んでくれたように。お兄ちゃんが、私を守ろうとしてくれたように。手を離すんじゃなく、突き放すんじゃなく、逃げるんじゃなく、すべての重さを、二人一緒に背負う覚悟を。お兄ちゃんのそばにいる決意。お兄ちゃんを愛し続ける想いの強さを。


 夏木さんのように、強く、なれるだろうか。


 もう一度やり直したい。私は、私たちは、間違って、迷ってばかりだったかもしれない。兄妹であるが故に、こうして手を離してしまった。けれどどんな困難が待ち受けていても、一緒に居ることがどんなに難しいことでも。奇跡を信じたい。その後に続く未来を、幸せを。生まれたときからそばに居て、必然的に惹かれあったたったひとりの手を、二度と簡単に離したりしない。


 その時急に、ポケットに入れていた携帯電話が鳴り響いた。メールの着信音。開いて見てみると、それはお兄ちゃんからだった。会いたい、と一言だけ。けれどその一言ですべてが伝わる。お兄ちゃんが今、泣いている気がした。居てもたってもいられなくなった私は、家を飛び出した。


 家の中にこもっていたし、ベランダに出た時は必死だったから気がつかなかったけれど、外はすでにうす暗くなっていた。

 私は急く自分を必死で抑えながら、お兄ちゃんに電話をかけた。お兄ちゃんはワンコールで出た。


「お兄ちゃん!」

『美香?』


 数日ぶりに聞く受話器の向こうの声すら、愛しかった。私はまた込み上げてくる涙にも構わず、お兄ちゃんに訊いた。


「今どこにいるの? お兄ちゃん。今すぐ会いたい。会いたいよ……」

『うん。俺も、会いたかった。出てこれるか? あの場所に――』


 お兄ちゃんの声が、機械的な電気音とともに途切れた。充電の切れたことを知らせる音。

 携帯電話を顔から離して見てみると、液晶画面は消えて真っ暗になっていた。


「なんで……」


 私は苦々しげにつぶやいて、携帯電話を閉じた。こんなときに、充電が切れるなんて。何もする気が起きなかったから、携帯の充電すら忘れていた。あの場所。そう言われて思い当たるのは一か所しかない。私は走り出した。あの公園に向かって。


 息を切らせて辿り着いたそこに、捜し求めていた姿を見つけた。私は込み上げる思いもそのままに、お兄ちゃんに駆け寄る。空を見上げていたお兄ちゃんが私に気づくと同時に、私はお兄ちゃんに思い切り抱きついた。お兄ちゃんは少しだけ驚いた気配を見せながらも、私をしっかりと受け止めてくれた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 意味もなく何度も涙声で呟きながら、私は必死にお兄ちゃんに縋りついた。お兄ちゃんが愛しくてたまらなくて、どうしようもなかった。お兄ちゃんはふ、と困ったような、でも優しい笑いを漏らしてから、私の頭をなでてくれた。


「泣くなっていつも言ってるだろ? いつまでたっても甘えんぼだね、美香は」


 そんなことを言いながらも、お兄ちゃんは、しばらく私の頭をなで続けてくれていた。やがて、やっと私の涙がおさまってきた頃に、お兄ちゃんはそっと私の体を離して静かに言った。


「美香、聞いて」


 先程よりも暗さが増し、星の浮かびはじめた夜空の下、お兄ちゃんの透明な瞳が、その真剣な心の内を物語っている。私も表情を引き締め、お兄ちゃんの話を待つ。嫌な予感はしなかった。今、私もお兄ちゃんも心は同じだと信じられたのだ。たっぷり一呼吸の間をおいて、お兄ちゃんは思い切ったように話し始めた。


「二人の幸せを、一緒に守っていってほしい。きっと、辛い思いをさせると思う。けど……一緒に背負っていきたいと思うんだ」


 お兄ちゃんの話している途中から既に、その言葉の意味を噛みしめ、私は嬉しさのあまり嗚咽混じりに涙を流していた。涙を抑えきれないほどに、心が満たされる瞬間。一緒に生きていきたい。私の未来は、きっとお兄ちゃんなしではありえなかった。私は笑い泣きのようになりながら、お兄ちゃんに微笑みかけた。


「そんなの、あたりまえでしょ? だって、お兄ちゃんは私の、たったひとり、なんだよ」


 私の言葉を受けたお兄ちゃんは、私の頬にそっと指先で触れた。それが、合図だった。まるで気持ちを誓い合うような、想いを、確かめあうような口づけ。その時、本当の意味で、私達の気持ちは通じ合ったのかもしれない。この先どんな困難が待ち受けていたとしても、もう恐怖は感じない。二人なら大丈夫だって、確かに信じられる。


「ねぇ、私もお兄ちゃんを守るよ。だから、ずっと一緒にいてね」


 私の願いに、お兄ちゃんは頬笑みで答えてくれた。大切な思い出でいっぱいのこの場所で、私たちは絆を深める。過去も今も未来も、すべて守り通していける。隠し通すんじゃなくて、貫き通せる強さを。きっと、永遠に一緒だって信じられるから。


 その夜、二人だけの「ひみつ」を、愛しい人のそばで、大切に守っていくと誓った。






 時の流れるのは早いもので、けれど愛しい人のそばに居るというだけで、一瞬一瞬がとても大切で、毎日が満たされていた。楽なことばかりだったわけじゃない。つらいことも、幸せなこととおなじくらい多かった。それでも私たちは想いを貫いてきた。

 そして、今日は4度目の転機の時。4度目の――卒業。


「はぁ。今日で大学も卒業か。社会人って、なーんか実感わかないよね」


 卒業証書を入れた筒で肩を叩きながら、かよちゃんは長い溜息をついた。働きたくないといつも言っていたのだ。本当に嫌なんだろう。大学生になっても相変わらずのかよちゃんに、私は思わず苦笑する。すると口を尖らせて、かよちゃんが私を見る。


「美香ってば。就職先も決めないで、どうするのよ?」


 私は微笑み交じりに自分の薬指に光る大切な贈り物を見つめながら、かよちゃんに告げた。


「かよちゃん。私、結婚するの」


 私の言葉に、かよちゃんは目を丸くして一瞬すべての動作を停止した。そして身を乗り出して大きな声を出した。


「えぇーっ!? 何それ、そんなの聞いてないんだけど!」

「いろいろ、認めてもらうのが難しくて……なかなか決まらなかったの。でもやっとわかってくれた」


 私の言葉からどんなに苦労したかわかってくれたのか、かよちゃんはそれ以上の追及をやめてくれたみたいだった。


「そっか。よかったね。どんな人なの?」

「……ずっと昔からね、一緒にいた人なんだよ」


 いつかも、この言葉をかよちゃんに言った気がする。禁じられた恋心。ずっと昔からの、叶わない恋だった。けれど私たちは奇跡を信じ、想いを守り通してきた。私はあの人のそばにいれば、いくらでも強くなれる。かよちゃんと別れ、大学から出ると、門の所に大好きな人が私を待ってくれていた。私は子供に戻ったように一心にその人に駆け寄る。


「お兄ちゃん!」


 呼ぶと、お兄ちゃんの大好きな笑顔が私を包んでくれる。


 私たちは、信じ続ける。簡単な道じゃなくても、二人なら大丈夫だと信じられるから。お兄ちゃんにもらったすべての思い出。今日私たちを包む、青空の優しさ。それらはすべて、私たちを未来につなげてくれる。


 大丈夫。私たちはきっと、奇跡の後に続く幸せの道を歩んでいける。


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