25−2 達也
大切な時間というのは、すぐに過ぎていくものらしい。打ち上げ花火が終わった後、ぱらぱらと散っていく人混みに、どこか淋しい思いがした。美香と手をつないだまま、車に戻る。エンジンをかけたところで、助手席の美香が遠慮がちに言った。
「少し、帰りに寄ってもらいたいところがあるんだけど……」
「いいよ。どこ?」
すぐに、返事を返した。美香との花火なんていう滅多にないイベントに、俺は少しだけ浮かれていたのかもしれない。このまま帰ってしまうのはもったいないような気がしていたのだ。すると美香がどこか楽しそうに、その寄りたい場所を耳打ちしてきた。けれど美香の声が告げた予想外の場所に、俺は怪訝な思いで訊いた。
「……そんなとこに?」
すると美香は得意げに笑みを返してきた。驚かそうとでも思っていたのだろうか。無邪気な妹に、俺も思わず笑顔になる。
「美香が行きたいって言うなら、どこにでも連れてってやるよ」
そう言うと、美香が嬉しそうに笑う。この顔を見るためなら何でもできそうな気がした。そうして、車を走らせる。向かっているのは、懐かしい場所だった。家からはかなり近いが、もう行かなくなって何年たつだろう。目的地にたどり着くと、美香は待ちきれないとばかりに車を降りて、少しはしゃぎながら言った。
「この公園! ここにお兄ちゃんとこれたの、花火会場とおなじくらい嬉しい」
今俺と美香が居るのは、幼いころ、俺と美香がよく遊んでいた公園だ。昼間はいつも子供たちでにぎわっているが、今は夜で誰もいない。本当に久しぶりにきたので、成長した姿の美香とここに立っていることが、なんだか不思議な感覚だ。ここに来れて嬉しくないわけではないが、花火会場とおなじくらい嬉しいと言われては俺も形なしだ。
「それも複雑だけど、よかったよ」
はしゃぐ美香は微笑ましいので、俺は少し苦笑しながら言った。けれど美香は公園に夢中なようで、全体を見回し、そして見つけた砂場に駆け寄っていった。そして見守っていた俺を振り向き、視線でこっちに来てと促してくる。無邪気な仔猫のような目で見られては行かないわけにはいかない。仕方なく、微笑みまじりに美香のもとまで行った。
「この砂場。ここでよくコータくんがいじめてきたんだよね。ひどいときは頭から砂かけられたりして」
美香はかがんで砂をすくい上げながら、思い出したようにくすりと笑った。俺も、それには覚えがあった。あの時美香が、砂が目に入って痛いと言って大泣きするので、慌てた俺は美香を抱えて家に帰った。幼かった俺には美香を抱えることはとても難しかったが、それでも必死に美香を守ろうとしていた。
思えばあれから、俺とコータの仲はより悪くなった。今思うと笑える話だが、あのときの俺にとって美香を泣かせるコータは天敵だった。それにコータは明らかに美香に好意を抱いていたのだ。美香は幼いころから可愛らしく、好きなほど苛めたいと言うコータの気持ちもなんとなくわかったが、だからこそ腹が立ったものだ。俺も美香の横にかがんで、懐かしい内緒話を教えてやった。
「あいつは美香が好きだったんだ。だからやきもちもあって、俺たち仲良くできなかった」
その話を聞いて、美香は少し切ない顔をした。夜の公園で、小さな蛍光灯の灯りが、ほんのりと美香の頬を縁取っている。
透明なまでにきれいな美香に、思わず触れたく、なる。
「ずっと、一緒だよね?」
美香は確かめるように問うてきた。返事の代わりにその小さな手を握ってやると、美香が俺を見つめてくる。美香に口づけたくなったが、それを一瞬躊躇した。俺が触れてしまっては、美香を汚してしまわないだろうか。何を今さらという感じだが、ふとしたときに胸を過ぎるのだ。親たちの顔。俺をなじったナツミの顔。俺のこの想いは、穢れているのか。
「キスして、お兄ちゃん」
けれど美香も気持ちは同じだったようで、そんなことを言ってきた。凍てついたような心が、少しだけ軽くなる。例えば俺が道に迷ったとして、俺を救いだせるのは美香しかいない。目を閉じた美香に、そっとキスをした。
そうして公園を後にし、今日もまた、美香は俺の部屋で夜を迎える。けれど美香にどう触れていいのか、わからなくなりつつあった。ただ抱きしめているだけでいい。愛しさが高まれば高まるほど、大切にしたいと言う思いも強くなる。そして大切にする方法がわからなくなる。俺は不器用だったのかもしれない。
しばらくそうしていると、腕の中の美香がか細い声で恐る恐る言った。
「私のこと、だ、……抱いてくれないの? お兄ちゃん」
少し、驚いた。美香の方からそんなことを言うのは初めてだった。美香をこのまま俺のものにしたいと言う気持ちが込み上げるが、今の俺には美香に触れられそうになかった。美香に申し訳なく思いながらも、俺は美香を腕に抱いたまま静かに声を発した。
「今日は、このまま……」
すると腕の中で美香がショックを受けたような気配をさせた。拒絶ととられてしまったかもしれない。何も美香を傷付けようと思った訳じゃないのだ。なだめるように美香の頭をなでながら、その目を覗き込んで俺は正直な気持ちを言った。
「怖いんだ。お前を壊してしまいそうで」
「それでもいい。私もお兄ちゃんを抱きしめたいから。だから……」
しっかりした口調で、美香は言った。それにまた驚かされる。俺が思っているよりもずっと、俺と美香の心は重なっていたのかもしれない。それを感じると、切なさにも勝る愛しさに胸を支配されてしまった。恐る恐る、美香の額にキスを落とす。いつも以上に気を使い、大切な美香を壊さないように、俺は美香を抱きしめた。