3−1 美香
たとえば彼を想い続けたとして、私の思いが報われることはあるのだろうか。……いや違う。報われないとわかっていても尚、好きだから想い続けているのだ。
「いい、美香? 料理にはサプライズが必要なの」
昼休み、例によって一緒に弁当をつついていたかよちゃんが、例によって箸を置いてからおもむろにそう言った。すでに料理の方法は一通り教えてもらったが、そこはやはりおしゃべりなかよちゃんだ。簡単に話は終わらない。
「サプライズ、って?」
「ただ作ってただ出すだけじゃダメなの。特に絶望的なほどに料理が下手な美香の場合、料理の出来を期待されると苦しいでしょ」
「そ、そんなこと……あるかもしれないけど……」
複雑な心境だ。自分でわかっていてもはっきり言われると辛いものがある。かよちゃんはさらに意気込んで続ける。
「だからサプライズなの。こっそり作っておいて突然出して驚かせるのよ。それなら多少出来が悪くてもごまかせるでしょ」
「えー? ごまかせるかなぁ」
「ごまかせるわよ。そしてね、”あなたのために作ったのよ”って言って、抱きしめてチューするの! それで一発で落ちるから」
「え、えぇ!?」
そんなことをしたら私の心臓が持たない。想像しただけで顔が赤くなってしまう。できるはずがないのに、かよちゃんはうろたえる私に言い聞かせるように続ける。
「それも立派なサプライズでしょ。美香、待ってるだけじゃいつまでも片想いだよ」
「で、でも……」
「大丈夫って。あたしの言うことにいつも間違いはないでしょ」
「そうかなぁ……」
と言ってしまってやばいと気がついたが後の祭りだ。かよちゃんの表情が途端にこわばった。
「ごまかせるって言ってるでしょ! 言う通りにしなさいよ!」
「は、はいぃ!」
かよちゃんのあまりの剣幕に声が裏返ってしまった。かよちゃんは彼氏の前でもこうだろうか。絶対に違う気がする。怒鳴ってすっきりしたのか、かよちゃんはふぅと息を吐いた。
「……それで美香? まだあたし聞いてないことがあるんだけど」
「な、何?」
かよちゃんはつい先ほどの剣幕とは打って変わって満面の笑顔になった。嫌な予感がする。
「美香の好きな人って、誰?」
かよちゃんの不自然なほどの笑顔が不気味で怖い。まさか相手がお兄ちゃんなんて言えるはずもないけれど、言わないと身の危険がありそうだ。
「ちょっとトイレに……」
「逃がさないよ」
かよちゃんに腕をがっちりとつかまれ、私のトイレに逃げる作戦は打ち破られた。かよちゃんのこんな勇ましい姿をぜひとも彼氏に見せてあげたいものだ。
家に帰って、私は早速料理を始めた。あれからかよちゃんをごまかし続けて疲れてはいたけれど、お兄ちゃんを喜ばせたい一心で私は頑張った。やっとのことで作り終えたちょうどその時、玄関の扉が開く音がした。お兄ちゃんがバイトから帰ってきたのだろう。私は急いで玄関に出た。
「達也、お帰り。……って! 大丈夫!? 雨降ってたの?」
玄関のお兄ちゃんを見るなり私は焦った。お兄ちゃんは水でも被ったような有様で、玄関の床にぽたぽたと水が滴っていた。昼までは晴れていたし、料理に夢中だったから気が付かなかったが、窓を見ると随分ひどい雨だった。私はタオルを取ってきてお兄ちゃんに渡した。
「ごめんお兄ちゃん。雨だって気がつかなくて……わかってたらバイト先まで傘持って行ったのに」
「大丈夫だよ、このくらい。ありがとう」
お兄ちゃんは髪を拭きながらそう言って笑ってくれた。こんな時に不謹慎だけれど、濡れたお兄ちゃんの髪から水がぽたぽたと落ちていて、濡れた服を着ているお兄ちゃんが、なんだか色っぽく見えてしまった。
「……美香?」
名前を呼ばれて我に帰った。つい見とれてしまっていたらしい。変なことを考えてしまった自分が恥ずかしくなって私は焦ってしまった。
「あ、あ、あの、お風呂わいてるから、入ってきなよ!」
「うん、そうするよ」
お兄ちゃんがそう言って靴を脱いでから家に上がろうとしたその時、窓の外が光ったかと思うと雷が鳴り響いた。
「きゃぁぁ――!」
私は思わず叫んだ。私は昔から雷が大の苦手だ。恐怖のあまり必死で目をつむって目の前のものにしがみついた。倒れる感覚と同時に、ごん、と盛大な音がした。
「いっ……美香、あのなぁ……」
恐る恐る目を開けると、お兄ちゃんは玄関の扉を背にして座って、痛そうに後頭部をさすっている。そして私はそのお兄ちゃんに抱きついていた。
どうも私がしがみついたのはお兄ちゃんで、私に押し倒されたお兄ちゃんはその拍子に扉で頭を打ったらしい。お兄ちゃんが至近距離にいて、お兄ちゃんと真っ向から目が合った。瞬間、”抱きしめてチューする”、というかよちゃんの言葉が頭に浮かぶ。
「ご、ごめん! ごめんねお兄ちゃん」
私は慌ててお兄ちゃんから離れた。咄嗟に謝ったのは、押し倒したことも勿論だけれど、変なことを考えてしまったことに罪悪感を覚えたから。
抱きしめる、というところは流れで実行してしまった。けれどキスなんて想像しただけで心臓が破裂しそうになる。しかも私は妹だということを忘れてはいけない。キスなんてしたら、お兄ちゃんを失ってしまう可能性はかなり大きいのだ。そんなことを考えると、思わず落ち込んでしまいそうになった。やっぱりできるはずがない。お兄ちゃんはそんな私の内心も知らず、しょうがないな、といった感じに微笑んだ。
「いいよ。まだ苦手なんだね、雷」
「だってね! 家はゴムじゃないんだから落ちたら感電するでしょ。だからね……」
「ははは、小学生の時と同じこと言ってる」
「な、何よぅ……。もう高校生だもん」
むくれて見せたが、お兄ちゃんは笑いながら私の髪をくしゃっと撫でて風呂場に行ってしまった。お兄ちゃんに抱きついてしまったことを今更ながらに自覚して動悸がうるさくなった胸を押さえながら、私は大嫌いな雷に少しだけ感謝した。