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「ひみつ」  作者: 名無し
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24−2 達也

 一人で運転していると、いろいろなことを考えてしまった。母さんの言った言葉を無視して、俺は美香と居ていいのだろうか。


 母さんの言うことはすべて正論で、間違ったことは言われていないのだ。ならば俺達の方が間違っているのだろうか。美香は、俺と居ては幸せになれないのだろうか。俺が幸せにしてやることは、できないのだろうか。美香への気持ちならば、誰にも負けない自信があるのに。気持ちだけではどうにもならないことだと、思い知らされたようだった。


 そんな気持ちを抱えたまま、辿り着いた玄関の扉を開け中に入ると、また玄関に美香が座って待っていた。美香は思いつめていたのか涙目で俺を見た。それを見て気持ちを切なくしながらも、俺は美香に微笑みかける。俺が靴を脱いで上がってくるのを、美香は泣きつかれているのかぼんやりとした様子で見ていた。


「美香、またここにいたのか? 風邪ひくって言ったのに」


 美香の前にかがんで、手の甲で私の涙をぬぐっってやった。不安にさせてしまったのだ。そのまま美香を抱きしめる。抱きしめているから顔はわからないが、美香はまだ泣いているようだった。その背中をさすりながら、やわらかい声で俺は言った。


「……泣かないで待ってろって言ったろ?」

「お兄ちゃん、ごめんね。私……っ、わたし……」


 美香は必死な様子で言葉に詰まった。やはり、自分を責めているようだった。

 責められるのは、むしろ俺の方だ。俺が美香から離れれば、美香にこんなに苦しい思いをさせることはないのだ。俺と居るから、美香はこんなに泣かないといけない。けれど俺には美香から離れることができそうになかった。俺は何も言わずに微笑み、美香のまぶたにキスをして唇で涙をぬぐってやった。俺の顔を見て、美香がその瞳の不安な色を濃くする。


「お兄ちゃん……」

「ごめんな」

「なんでお兄ちゃんが謝るの? お兄ちゃん……」


 何も答えられないまま、俺は美香の髪を撫でた。美香の髪に触れていると、何か落ち着いた。

 

 その夜、どちらが言い出したわけでもなく、俺たちは一緒に眠った。美香には触れなかった。ただ抱きしめているだけで、心は満たされた。それに美香に触れるのは少し、怖くもあった。こんな気持ちで美香を抱いてしまっては、壊してしまいそうな気がするのだ。


 二人だけの満ち足りた幸せを感じる中、ふとしたときにお互いの不安に気づく。そしてお互い、それになるだけ触れないようにしていた。母さんに壊されかけ、硝子のように繊細に壊れやすくなってしまった俺達の想いを、お互いに守ろうとしていたのかもしれない。俺の部屋のベットの上で美香と迎える朝は、何度経験しても嬉しいものだ。美香を腕に抱いて、俺は飽きもせず美香の髪を弄っていた。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 ふと、美香の声が、しんとしていた穏やかな空気を小さく震わせた。


「ん?」

「小さい頃の夢見ちゃった」

「どんな?」


 美香の髪を弄るのはやめず、手を動かしながら、俺は美香の目を見た。美香は懐かしむような微笑みを浮かべていた。


「コータくんにね、いじめられてる時の夢」

「ああ、あいつね……」


 複雑な気持ちで、俺は言った。久しぶりに聞いた名前だった。もう引っ越してしまった幼馴染。コータと俺は毎日のように喧嘩していた。けれどその理由が、まさか美香を取り合っていたからだなんて、美香は未だ知らないだろう。コータは何かと言っては美香に絡んでいて、俺はそれが面白くなかった。自分のその気持ちの理由に、その時は気付いていなかったが。


 けれど美香にとってはあまりいい思い出でないように思えた。美香はコータに絡まれるといつも泣いていたのだ。

 考えてみても、美香が嬉しそうに微笑んでいる理由がわからない。


「じゃあ嫌な夢だろ。なんでそんなに嬉しそうにしてるの?」


 そう聞くと、美香は待ってましたとばかりに話し出した。


「続きがあるの。いじめられてる私をお兄ちゃんが助けに来てくれて。いつも、お兄ちゃんは私が泣いてると飛んできてくれたでしょ」

「そうだっけ……」

「うん。でも結局コータくんとお兄ちゃん二人の喧嘩になっちゃって、私は困って、余計に泣いてた」


 思い出したのか、美香が小さな笑いをこぼした。俺もつられて笑いながら、何気なく美香の頬にキスを落として訊く。


「結局嫌な夢だった?」

「ううん。嬉しかった」

「嬉しい?」


 唐突な美香の言葉の真意を読み取ることができず、俺は訊き返し首をかしげた。

 すると美香が、また幸せな笑みを浮かべて口を開く。


「うん。嬉しい……私の思い出の中に、お兄ちゃんはいつもいるんだって」


 美香のその言葉に、思わず俺も微笑んだ。俺の思い出の中にも、いつも美香が居る。だからこそ一つ一つの思い出が大事なのだ。美香と過ごしてきた日々も、今一緒にいる時間も、すべて俺たちには必要だと思える。俺を構成する一部に美香が居て、きっとそれはかけがえのないものだ。


 今日、バイトが休みでよかったと思った。小さな時間ですらとても大切に思えて、一日中ずっと二人でいた。別れるつもりはないが、この家で一緒に暮らせるのは最後なのだ。この一週間、少しでも心に残るようなことをしてやりたい。そんなことを考え、ふと思いついた俺は、皿を洗っている美香に話しかけた。


「美香、今日花火があるって。ちょっと遠いけど、行く?」

「うん、行く!」


 俺の提案に、予想以上に美香は喜んでくれた。美香が嬉しそうだと、俺も嬉しくなる。昨日母さんとあんなことがあったばかりで、こんなことをしていいのかとも思ってしまいそうになるが、今は考えてもどうしようもないのだ。俺が暗いと美香を落ち込ませることにもなりかねないし、いろいろと考えすぎるのはやめることにした。


 そんなことを思いながら美香が準備を終えるのを居間で待っていると、しばらくして浴衣を着た美香が姿を見せた。俺は驚いたのと感動したので思わず目を細める。そこにいる美香には幼さのかけらも見えず、もう立派に一人の女だった。連れて歩くのに優越感に浸ってしまいそうだと思えるほど、美香はきれいだった。


 俺は見とれたあまりに言葉を失っていたらしい。ふと気付くと、美香が落ち込んだような目をして苦笑いしていた。


「へ、変かな」

「……いや。きれいだよ、すごく。思わず見とれるくらい」


 あまり言い慣れないようなことを言うのは少し照れくさかったが、俺は思ったままを正直に言った。

 そして照れ隠しに、急いで美香の手を取る。


「行こうか。そろそろ行かないと花火に間に合わない」


 頷いた美香の手を引いて、車に乗り込んだ。花火会場まで、結構な距離があった。車を走らせている間、美香はあまりしゃべらず大人しく座っていた。けれど美香との沈黙は、不思議と全く苦痛がなかった。同じ空間を共有し、同じ空気を吸っている。美香が、そばにいる。それだけで安心できた。


 そこまで考えて、俺は自分が安心なんていう感覚を得たがっていることに気づいた。美香は、俺が守ってやらなければいけないのに。俺は自分で思っていた以上に、弱っているようだった。この先の不安を抱えていくことに。美香と、一緒にいたい。


 駐車場までたどり着いたとき、車の窓から打ち上げ花火が見えた。すでに始まっているらしい。


「着いたよ」


 声をかけると、ぼんやりとした様子の美香は我に帰ったようだった。そして車を降りていく。車に鍵をかけ、美香の後に続いた俺は、花火に埋め尽くされた夜空を仰いでいる美香の手を握った。夜空にいっぱいに広がる花火を背景に、俺を振り向いた美香は、切なくなるほどきれいで愛しかった。


 花火がよく見える場所まで近づいて、手をつないだまま二人無言で花火を見ていた。

 花火が上がって散っていくたび、夏の終わりが近づいてくるような気がした。今年の美香との夏休みは、色々なことがあった。美香と結ばれた夏。美香と通じ合ったこの気持ちを、ただの思い出にはしたくない。このまま美香といたい。


「時間が、止められたらいいのに」


 気づけば、願いをそのまま口にしていた。眺めている夜空の花火は今にも手が届きそうで、あり得ないそんな願いも、もしかしたら叶えられるかもしれないと、そんな気分になっていたのかもしれない。今美香がいるこの瞬間を永遠にしたい。時が止まれば、俺たちを阻むもののことなど何も心配しなくていいのだ。


「そんなこと、言わないで? 時間なんて止めなくても、私ずっとそばにいるから……」


 美香は切なげな声で、でもしっかりとそう言って、つないだ手に力を込めてきた。俺だって美香に、ずっとそばにいて欲しい。そう簡単にはいかないのかもしれない。俺たち二人が今進んでいる道は、間違っているのかもしれない。けれど失いたくないのだ。どうしても、美香との未来を捨てたくない。


「別れたくない……」


 苦し紛れのような、声が出た。心からの俺の思い。俺の心の奥にたまっていたすべてのしがらみを、吐きだしてしまいたかった。俺一人で抱えていくべきだった。美香に背負わせることはしたくないと、ずっと耐えてきた。けれど今ばかりは、限界に来ていたのかもしれない。それとも、美香から伝わってくる想いが、俺と同じものだと感じ、俺は安堵していたのかもしれない。


 つないだ手から、お互いの気持ちが伝わっていく。このまま美香のそばにいたいと、願い続けずにはいられなかった。


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