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「ひみつ」  作者: 名無し
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23−2 達也

 

 母さんが、帰ってくる。美香と結ばれてしまったこの状態では、後ろめたさや怖さが入り混じった複雑な気持ちだった。


 俺達のことを、隠し通せるのも時間の問題だ。とにかく今日のところは母さんの話を聞いて、俺達のことは伏せておいた方がいいと思った。いずれは話さなくてはいけないことだが、きっとひどく反対されるだろう。美香に覚悟する時間を与えてやった方がいい。どの道傷付けることに変わりはないが、少しでも傷を浅くしてやりたい。


 そんなことを考えていると、ふと、頭によぎることがある。美香を守ると決めたはいいが、その力が俺にあるのか、と。


 それはここのところずっと自問を続けている問題だった。俺が兄だということで、美香に辛い思いをさせることも多いはずだ。本当は俺が美香から離れてやった方がいいのかもしれないが、それだけはどうしても嫌だった。結局俺は自分の気持ちを優先しているのか。そう思い、俺は心の中で自嘲的に笑った。


 居間で母さんを待っている間、美香は何かを考え込んでいるようで、放しかけても上の空だった。何かよからぬことを考えているのではないかと少し心配だった。そうして午後に差し掛かり、母さんが帰ってきた。


「ただいま、美香。達也。元気にしてた?」


 母さんはいつものような微笑みを浮かべていた。

 荷物を置いて座った母さんは、楽しそうに向こうでの話を始めた。穏やかな雰囲気で、三人とも笑っていた。こんな雰囲気のまま今日を乗り越えたい。俺と美香の間の空気はすでに以前と同じではないだろう。どうかそれを悟られないままに。


 母さんは、ある程度話して満足したのか、真剣な顔になって話を切り出した。


「美香。あなたに、大切な話があるの」

「知ってるよ。私、お兄ちゃんと血がつながってないってことでしょ?」


 そう言った美香は何か強い眼差しをしていた。嫌な予感がする。母さんは美香が知っていたことに少し驚いたような顔をしたが、すぐに困ったような微笑みになった。


「そう。美香まで知ってたの……。でもね、血のつながりがなくても、兄妹として……」

「お兄ちゃんが好きなの」


 予想は的中して、美香が母さんの話を遮り、とんでもないことを言い出した。


「美香!」

 

 慌てて制したが、美香はすでに決意を固めていたのだろう、とても引き下がりそうになかった。

 母さんの唖然とした表情が不安だった。無駄な願いかもしれないが、美香を傷つけるようなことは言わないでほしい。


「美香? 何言ってるの?」

「認めて欲しいの。私とお兄ちゃんのこと」


 母さんは気まずそうに美香から視線を外し、それを俺に向けてきた。その瞳に戸惑いの色が見える。

 やはり、簡単に受け入れてはもらえなかった。予想はしていても辛いものがあった。


「本当なの? 達也……あなたも?」


 母さんの視線は、否定してくれと言っているようだった。だがもう、ここまで来てしまっては腹をくくるしかない。今さらここで逃げても何の解決にもならないのだ。静かに頷くと、母さんの瞳が少し曇った。


「美香のことが好きなんだ。ずっと一緒にいたいと思ってる。だから、認めて欲しい」


 決意を言葉にした後、万に一つの可能性を、その時俺はらしくもなく切に願っていた。

 もし、親たちがすんなり認めてくれたなら、俺と美香の障害も少しは楽になる。未だ周りの目はあるかもしれないが、親に反対される心理的な負担が減ると言うのは大きい。特に養子の俺と違って、美香は血を分けた唯一の肉親なのだ。辛い思いをすることは目に見えている。


 けれどやはり、俺と美香とを交互に見比べた母さんの表情は歪んでいった。


「なんてこと……あなたたち、世間になんて言えば……」

「お母さん!」


 母さんの言葉を聞いてすぐに諦めの境地に立った俺とは反対に、美香は声を大きくして眉根を寄せた。すると母さんは悲しそうな顔をした。それはそうだろう。今まで兄妹と思っていた二人が、いつの間にか恋人同士になりたいと願っているのだ。少し、心が痛んだ。母さんが途方に暮れたように声を洩らす。


「二人とも、今まで兄妹として育ててきたのよ。それなのに」

「血のつながりがないなら問題ないでしょ!? どうして認めてくれないの?」


 美香は必死に抵抗をしようとしている。けれど母さんは正論でそんな美香を押しつけようとする。


「そういう問題じゃないでしょう。そんな簡単な問題じゃ……美香、わかってるの? 達也とあなたが一緒になるってことは、これから一生後ろ指さされて生きていかなきゃいけないのよ」

「そんなこと構わない! 私はお兄ちゃんだけいればいいもん!」

「美香。あなたはわかってないの。それがどんなに辛いことか」


 母さんの言葉を受けて、美香はぐっと黙り、大きな瞳を潤ませた。


 美香の言葉に、少し切なくなった。俺も気持ちは同じだ。美香さえいればそれでいい。けれど母さんの言うこともわかってしまうのだ。俺はよくても、俺と一緒にいる美香は、辛い思いに耐えられるのか。実際に周りに批判された時の気持ちを、美香は未だよくわかっていない。そう考えると躊躇してしまいそうになる。


 美香の泣きそうな顔を見るのが辛かった。こんな顔なんてさせたくなかったのに。

 母さんは長い溜息を吐いて、また俺を向いた。


「認められません。頭を冷やしてよく考えて。……達也。あなたまでそうなら、この家を出て暮らすことも考えてもらうわ」


 母さんの責めるような視線が痛かった。それと同時に、母さんの怒りの矛先は、どちらかというと美香より俺に向いているようで少しほっとした。こういう場合に罪をかぶるのは妹より兄であるべきだ。俺が家を出るだけで済むのなら進んで受け入れる。けれど美香はそれが許せなかったのか、とうとう立ち上がって、母さんに食ってかかる。


「お母さん! ひどい、そんなこと!」


 すると母さんも立ち上がって美香の前まで行くと、その両肩に手を置いた。


「正しいのはどっち? 私はあなたたちを守ろうとしているのよ。兄妹で一緒になるなんて、そんなのとんでもないわ」


 母さんの正論に、言葉が見つからない。けれど美香は何度も首を横に振った。

 すると母さんが半ば呆れたような顔で首をすくめた。


「とにかく、終わりにしてちょうだい。今ならまだ間に合うでしょ。どうせ若い時の恋愛なんて一時的なものだから。あなたたちもすぐ、目が覚めるわ」


 さすがに、俺たちを侮辱するような母さんのその言葉には腹が立った。俺たち二人は何もすんなりと結ばれたわけじゃない。消せない気持ちに悩みぬき、許されないことだと自分を責め、苦しんだ末にやっと気持ちが通じ合えたのだ。


 らしくもなくむきになって言い返そうとしたが、その前に美香が涙ながらにまくし立てた。


「お母さんにはわからない! 私たちが、どんな想いをしてこの気持ちを抑えてきたか。私たちが、どんな想いをして結ばれたのか。一緒にいるのがどんなに怖いか、お母さんになんて絶対わからない!」


 美香への愛しさに胸がつまりそうになる。

 俺と同じ様に辛い思いをしてきた美香は、今俺と同じようにこの幸せを大切にしようとしている。


「美香……」


 興奮した様子の美香の横に行き、愛しさを込めてなだめるようにその背をなでてやった。

 けれど世間体ばかり気にする母さんに、俺達の気持ちをわかってもらおうとしても、それはかなり困難なことのようだった。母さんは顔をより歪ませ、そして許しがたい言葉を口にした。


「美香、あなたがそんな子になってしまったなんて残念だわ」

「母さん! 悪いのは俺だ。俺が出ていくから……それでいいだろ?」


 美香をなじられては我慢できない。庇うように美香の少し前に出て、俺は口調を強めた。さすがに言い過ぎたと思ったのか、母さんが少しひるむ。ふとその時、背後の美香がまた泣いているような気がした。振り向くと、美香はやはり泣きそうな顔をしている。


 安心させるように、できるだけやわらかい眼差しを向けてやった。すると母さんが困ったような声を発した。


「最後に、時間をあげる。今日は話をしに来ただけだから、もう一度あっちに戻るの。お父さんにもこの話をしておくわ」


 観念したのか、母さんはそう言って持ってきた荷物の中から必要なものだけをまとめ始めた。父さんにも話すとなると、ますます反対は強いものとなるだろう。美香を守りぬけるだろうか。そんな俺の不安を知るはずもなく、手早く準備を終えた母さんは、俺と美香をまた交互に見た。


「一週間後の、夏休み最後の日に戻るわね。それまでに心を決めておいて。達也も引っ越す準備をしておくのよ。私もお父さんも家を空けることが多いから、どのみちこのままじゃいけないと思ってたの」

「うん、わかった」


 俺は素直に頷いた。けれど背後の美香は納得できていないらしく、縋るような声で言った。


「やだ。やだよ……、お母さん。お兄ちゃん」


 悲痛な表情の美香が痛々しく、できるならば俺も出て行きたくはなかったが、こんな状態になってしまっては、それは無理な話だろう。ただ、俺が出ていったとして、美香が自分を責めてしまわないかが心配だった。


 けれど幸運なことにあと一週間ある。この一週間、美香の不安を消してやれるようにしなくては。一週間後、そしてその先、俺たちがどうなっていくのかはわからない。けれどみすみす美香と別れることだけは、どうしてもしたくなかった。


 荷物を持った母さんは、玄関に向かう前に俺を振り返った。


「達也、悪いけど駅まで送ってくれる?」

「いいよ」


 俺は頷いた。好都合だった。美香のいない場所で、落ち着いて母さんと話をしたいと思っていたのだ。車の鍵を取って、母さんに続いて居間を出ていこうとすると、駆け寄ってきた美香に後ろから服の裾をつかまれた。美香は不安な目をして、ただ俺を見つめてきた。無理もない反応だ。その小さな体に、今俺と同じだけの重圧がかかっているのだ。美香の頭にぽんと手を置いてやった。


「ちゃんと帰ってくるから。もう泣かないで待ってろ」


 そう言って、美香が心配だったが、ひとまず家を出た。


 車を出すと、母さんが助手席に乗ってくる。その表情は、やはりいつもより少し硬かった。

 運転していても、母さんは何も話そうとしない。何か気に入らないことがあったときの態度だ。あくまで認めない態度を貫き通すつもりなのだろう。

 

「母さん。どうしても、認めてはくれないかな」

「あなたに美香を幸せにできるの? 心無い中傷から、完全に守ってあげられるの? できないでしょう」


 運転をしつつ、無駄だとわかっていながら控えめに発した俺に、母さんは静かな口調でそんな言葉を返してきた。

 そんなことを言われては言葉を失ってしまう。正論を言われてはひとたまりもなかった。


 そのまま流れた沈黙が重い。


「達也もきっと辛い思いをするわ」


 車を降りるとき、母さんはそんな言葉を残していった。母さんはわかっていない。俺にとっては美香を失うことが何よりも辛いのだ。けれど美香に辛い思いをさせることも、それと同じくらい耐えがたいことで。今の自分に、この幸せと美香と、両方を守る力がないことが悔しかった。

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