23−1 美香
大切な話があると、お母さんは言っていたらしい。ある程度予想はついていた。お兄ちゃんが養子だって言う話だ。
お母さんが帰ってくると聞いて、お兄ちゃんはどこか辛そうな様子だった。私も不安を感じていた。私たちのことを、お母さんたちに隠していかなければいけないのだろうか。けれどそんなことをしても何の解決にもならない。
怖さを振り切り、私はお兄ちゃんには内緒でひとつの決意を固めていた。逃げてばかりじゃ、この幸せが壊れていくのを待つだけだ。守り切ってみせる。絶対に、この幸せを邪魔させない。お兄ちゃんを苦しめていることを、私が少しでも軽くしてあげたい。私は、必死になっていた。
午後に差し掛かったころ。やがて鍵を開ける音がして、玄関の扉が開いた。
そうして足音が近づいてくる。
「ただいま、美香。達也。元気にしてた?」
そろって居間にいた私とお兄ちゃんは、開いた扉の方を振り向いた。お母さんは、機嫌よく微笑んでいた。
荷物を置いて座ったお母さんは、楽しそうに向こうでの話を始めた。それを私もお兄ちゃんも少し笑いながら聞いていた。けれどこんな団欒した雰囲気が、続くはずはないとわかっていた。予想通り、雑談を終えたお母さんは、真剣な顔になって話を始めた。
「美香。あなたに、大切な話があるの」
お母さんの言葉を受けて、緊張に思わず自分の服を握りしめた。
お母さんの話に対して緊張しているんじゃない。私が決意したことについて、だ。負けちゃだめだと、自分に言い聞かせる。
「知ってるよ。私、お兄ちゃんと血がつながってないってことでしょ?」
そう言うと、お母さんは少し驚いたような顔をした。そうしてすぐ、困ったように微笑んだ。
「そう。美香まで知ってたの……。でもね、血のつながりがなくても、兄妹として……」
「お兄ちゃんが好きなの」
「美香!」
お母さんの話をさえぎって発された、揺るぎない私の言葉を、お兄ちゃんが少し強い口調で制す。
けれど私は引き下がれなかった。お母さんは私の言ったことが理解できなかったとでも言いたげに、唖然とした表情で私を見た。
「美香? 何言ってるの?」
「認めて欲しいの。私とお兄ちゃんのこと」
私がお母さんの目をまっすぐに見つめて言うと、お母さんは目をそらしてしまった。
そうして戸惑いの色を見せながら、お母さんの視線はお兄ちゃんに向いた。
「本当なの? 達也……あなたも?」
お母さんの言葉を受けて、お兄ちゃんは頷いてくれた。突然だったけれど、お兄ちゃんも向き合っていくと決意してくれたのかもしれない。その表情に迷いは見えなくて、気持ちは一緒なんだと、安心した。
「美香のことが好きなんだ。ずっと一緒にいたいと思ってる。だから、認めて欲しい」
さっきの私の言葉と同じように、揺るぎないお兄ちゃんの声。
けれどそんな私たちを交互に見比べたお母さんの表情は、見る見るうちに歪んでいった。
「なんてこと……あなたたち、世間になんて言えば……」
「お母さん!」
私は眉根を寄せた。世間だなんて、そんなことどうだっていい。周りに何を言われても構わない。
そんなことのために私たちを壊そうとしないでほしい。けれどお母さんは悲しそうな顔をして続ける。
「二人とも、今まで兄妹として育ててきたのよ。それなのに」
「血のつながりがないなら問題ないでしょ!? どうして認めてくれないの?」
半ば叫ぶように言った必死な私に、お母さんは厳しい目を向けてきた。
「そういう問題じゃないでしょう。そんな簡単な問題じゃ……美香、わかってるの? 達也とあなたが一緒になるってことは、これから一生後ろ指さされて生きていかなきゃいけないのよ」
「そんなこと構わない! 私はお兄ちゃんだけいればいいもん!」
「美香。あなたはわかってないの。それがどんなに辛いことか」
返す言葉が見つからなかった。悔しさに涙がにじんだ。お母さんは疲れ果てたような長い溜息を吐いて、またお兄ちゃんを向いた。
「認められません。頭を冷やしてよく考えて。……達也。あなたまでそうなら、この家を出て暮らすことも考えてもらうわ」
「お母さん! ひどい、そんなこと!」
私は立ち上がって、お母さんに食い下がる。お兄ちゃんを守りたかったのに、こんなことになってしまっては元も子もない。けれどお母さんの固い心を動かすことはできそうになかった。立ち上がって私の前まで来たお母さんが、諭すように私の両肩に手を置いた。
「正しいのはどっち? 私はあなたたちを守ろうとしているのよ。兄妹で一緒になるなんて、そんなのとんでもないわ」
お母さんの言うことに絶対納得したくなくて、私は何度も首を横に振った。するとお母さんは呆れたように首をすくめた。
「とにかく、終わりにしてちょうだい。今ならまだ間に合うでしょ。どうせ若い時の恋愛なんて一時的なものだから。あなたたちもすぐ、目が覚めるわ」
お母さんのその言葉だけは、絶対に許せなかった。私達の、これまでの想いを。つらかった日々を。
すべて、その一言で否定されたのだ。かっとなった私は、感情的になって涙ながらにまくし立てた。
「お母さんにはわからない! 私たちが、どんな想いをしてこの気持ちを抑えてきたか。私たちが、どんな想いをして結ばれたのか。一緒にいるのがどんなに怖いか、お母さんになんて絶対わからない!」
「美香……」
いつの間にか私の横まで来ていたお兄ちゃんが、私の名前を呼んで、なだめるように私の背中に手を置いた。
けれどお母さんにそんな私たちの思いは伝わらなくて、お母さんはますます表情を険しくした。
「美香、あなたがそんな子になってしまったなんて残念だわ」
「母さん! 悪いのは俺だ。俺が出ていくから……それでいいだろ?」
するとそれまで黙っていたお兄ちゃんが、私を庇うように少し前に出て、強い口調でそんなことを言った。私は泣きだしたい思いで、お兄ちゃんの背中を見た。すると気持ちが伝わったように、お兄ちゃんが私を振り向いた。
優しい色をしたその瞳を。こんな状況でも、愛しく思ってしまうなんて。消せないこの気持ちを、どうやって忘れることができるだろう。お母さんはそんな私たちの様子を、少し困ったような顔をしてみていた。
「最後に、時間をあげる。今日は話をしに来ただけだから、もう一度あっちに戻るの。お父さんにもこの話をしておくわ」
観念したように、お母さんはそう言って、持ってきた荷物の中から必要なものだけをまとめ始めた。
そうして手早く準備を終えたお母さんは、私とお兄ちゃんをまた交互に見た。
「一週間後の、夏休み最後の日に戻るわね。それまでに心を決めておいて。達也も引っ越す準備をしておくのよ。私もお父さんも家を空けることが多いから、どのみちこのままじゃいけないと思ってたの」
「うん、わかった」
聞き分けよく、お兄ちゃんが頷く。けれど聞き分けよくなれない私は、縋るような思いで二人に訴えかけた。
「やだ。やだよ……、お母さん。お兄ちゃん」
けれど、お母さんもお兄ちゃんも、もう決心してしまってるみたいで、私の言葉なんてまるで意味がなかった。お兄ちゃんがこの家を出てしまう。それはなんだか遠くに離れていってしまうようで、とても不安だった。そしてそれは私のせいだ。私が余計なことを言ったから、お兄ちゃんは私を守るために出ていくんだ。そう思うと、自己嫌悪と後悔の嵐に飲み込まれそうだった。
荷物を持ったお母さんは、玄関に向かう前にお兄ちゃんを振り返った。
「達也、悪いけど駅まで送ってくれる?」
「いいよ」
お兄ちゃんは車の鍵を取って、そのままお母さんに続いて居間を出ていこうとした。思わず駆け寄って、お兄ちゃんの服の裾をつかんだ。不安な気持ちを隠せないまま、私は言葉を失い、お兄ちゃんを見つめた。するとお兄ちゃんは私の頭にぽんと手を置いた。
「ちゃんと帰ってくるから。もう泣かないで待ってろ」
お兄ちゃんはこんなときにも優しくて、胸が苦しくなった。無力な自分が悔しい。認めてもらえない自分が悔しい。どんな困難があっても、愛しい人を失わずに済むだけの強さが、何よりも欲しいと願った。