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「ひみつ」  作者: 名無し
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21−1 美香

 朝の光をまぶたの上から感じて、もう起きなければいけない時間だと悟った。ふと、目を開けると、そこは見慣れた私の部屋の天井じゃなかった。状況がよく飲み込めず、私は数回瞬きを繰り返す。よく見ると、そこはお兄ちゃんの部屋だった。そしてそんな私の顔を覗きこんでいる人の存在に気がついた。


「おはよう」


 お兄ちゃんに爽やかな笑顔で朝の挨拶をされて、ますます状況がわからなくなる。どうしたことかと考えを巡らせて、はっとする。かなりの衝撃だった。昨夜の情事をやっと思い出したのだ。そして今目の前にいるお兄ちゃんは服を着ていない。恐る恐る自分を見ると、もちろん私も何も着ていなかった。辛うじて布団が隠してくれている。


「……っ!!」


 私は声にならない悲鳴を上げた。対してお兄ちゃんはけろりとした顔でなんだか悔しい。

 

「大丈夫? ごめんな、かなり無理させた」


 けれどお兄ちゃんが本気で心配そうにそんなことを言うので、悔しがっている場合ではなくなった。

 昨夜のことを思い出すだけで、恥ずかしさの余り顔から火が出そうだ。


「い、いいよ! もう忘れて、ね!」

「なんで? 可愛かったのに?」


 お兄ちゃんの言葉にまたかっと頬が熱くなった。翻弄されている。

 しかもお兄ちゃんは私をからかっているといった感じでなく、本気で言っているみたいだから余計にたちが悪い。


「そ、そ、そういうこと、言わないでよ! もう!」


 照れを隠すため怒ったように言って、私はお兄ちゃんに背を向けた。そうして必死に自分の服を探してかき集める。とにかく何か着ないと、このままでは落ち着かないのだ。けれどお兄ちゃんはのんびりしたもので、後ろから私の長い髪をつんつんと引いた。


「美香、こっち向いて」


 お兄ちゃんの声がふんわりとした甘い響きを帯びて私を呼ぶ。突っぱねてしまおうかと思ったけれど、結局は愛しい気持ちに負けてしまう。振り向くと、お兄ちゃんは私に小さくキスをした。こんな甘さを経験したことがなくて、戸惑ってしまう。


 けれど、心が満たされていた。幸せというのはきっとこういうことを言うんだと思った。

 愛しい人と心も体も全部ひとつになる幸福感。思わず流した涙は、きっと一生忘れないと思ったのだ。


 それからバイトに向かうお兄ちゃんを見送って、課題でもしようと机に向かっても、ふとしたときに昨夜のお兄ちゃんを思い出して赤面してしまうのに忙しくて、それどころじゃなかった。いつもは見せない顔。何度も何度も、好きだと言ってくれたお兄ちゃん。


 そんなことを思いだしている時に突然携帯電話が鳴ったので、私は心臓を強くどきりさせるほどに驚いてしまった。ディスプレイを見ると、お兄ちゃんからの着信だった。不思議に思いながら、通話ボタンを押した。


「もしもし?」

『美香?』


 お兄ちゃんの声が受話器越しに私を呼ぶ。そんな些細なことでさえ、今の私にとってはうれしかった。

 けれど電話の一本ではしゃぐわけにはいかないので、そんな気持ちを抑えつつ、冷静を装って私は口を開く。


「どうしたの? 電話なんて……バイトは?」

『今休憩時間。別に用事はないけど……。だめかな』

「ううん。でも家でも話せるのに?」

『何となく、声が聞きたくて』


 受話器越しでもわかる、お兄ちゃんの少し照れたような声。思わず、微笑んでしまった。

 そんな私に気づくはずもないお兄ちゃんは続ける。


『今までもね、俺は美香と用もないのに電話したり、一緒に出かけたりしたかったよ。でもそういうのは兄貴の役目じゃなかったから』

「うん。そうだね……」

『美香。今夜俺に時間をくれない?』


 今夜。その言葉に、昨夜の情事を思い出してどきりとした。騒ぐ胸の内を隠し、私は恐る恐る聞き返す。


「こ、今夜……?」

『夜景見に連れてってやるよ』


 けれどお兄ちゃんの口から私の期待した言葉は出てこなかった。そこまで考えて、ふと我に返る。――期待なんて、私は何を言ってるんだろう。そんなわけない、と何度も頭の中で呟きながら、私は必死に首を振った。意味もなくどきどきして赤面していく自分に疲れてくる。


『美香?』

「う、うん! わかった! また後でね!」


 受話器の向こう側のお兄ちゃんの不思議そうな声に、後ろめたかった私は大げさな返事をしてそのまま電話を切ってしまった。変に思われただろうか。恥ずかしさと自己嫌悪に、私は思わず机に突っ伏した。


 お兄ちゃんに勝手に翻弄され、お兄ちゃんのことばかり考える私は、まるで恋する乙女みたいだ。今までこの恋は「ひみつ」の感情で、辛いことも多くて、そんな可愛らしいものじゃなかったのに。そういう風に思えるようになったことを、幸せだと感じていいのだろうか。それは怖さと紙一重で、なんとなく複雑だった。


 なんだかもう課題をする気も起きなくなってしまった私は、机に突っ伏したまま、襲ってくる睡魔を素直に受け入れた。


 それからしばらく夢の中をさまよって、体を揺すられて目を覚ました。目を開けると、お兄ちゃんが帰ってきていた。待っている時間は長かったから、眠っている間に過ぎてしまっていたことを得したと思った。お兄ちゃんはそんな私の内心を見抜いたのか、私の額をぺしっと軽く叩いた。


「こら。また寝てたの?」

「うん、ごめん……なんか最近居眠り多くて」


 私が素直に謝ると、お兄ちゃんはいたずらっ子のような笑みを見せた。お兄ちゃんはあまりこういう表情を見せることがないので、ふと見せるこんな一面にはどきりとさせられる。けれどお兄ちゃんの次の一言で私のそんな余裕は見事に消え去ってしまう。


「今日の場合、寝不足にさせたのは俺かな……」

「も、もういいってば、その話!」


 慌てて言った私に、お兄ちゃんは面白そうにくすりと笑った。今朝とは違って、絶対に私をからかって遊んでいる。

 私が拗ねてむくれてみせると、お兄ちゃんは相変わらず微笑んだまま、私の手を取った。


 夜に、お兄ちゃんの車に乗るなんて久しぶりだった。運転しているお兄ちゃんの横顔を見ると、何となくどきどきする。お兄ちゃんは道路が直線の時や、信号停車した時に、ふと助手席の私の手を握ってくれる。そういうところが以前とは変わっていて、なんだか切なくなる。


 そうして、結構長い距離車を走らせた後、お兄ちゃんは車を止めた。高台にある、小さな公園みたいなところだった。


「着いたよ。ここあんまり知られてなくて、来る人少ないけど、いいとこだよ」


 お兄ちゃんの言葉に、頷いて車を降りた。すると視界に入ってきた夜空に、いっぱいの星がちりばめられていて、そして地上には人の営みによる小さな明かりがたくさん灯っていた。感動した私は、手すりに駆け寄り、乗り越えんばかりに身を乗り出して空と地上を眺めてから、車を降りてきたお兄ちゃんを振り向いて言った。


「すごい! こんなとこあったんだね……」


 お兄ちゃんは穏やかに微笑みながら私を見ていた。


「喜んでくれたならよかった。前に友達と来たんだけど、美香を連れてきたいと思ってたんだ」


 自然に私の横まで来たお兄ちゃんも、手すりに腕で寄りかかりながら、そんな嬉しいことを言ってくれた。人が誰もいない、二人だけの星空の下。少し大胆になった私は、甘えるように隣のお兄ちゃんに寄りかかった。


「……それって、女の人?」

「気になる?」


 言って、お兄ちゃんがまたいたずらっ子のように笑う。気持ちが通じ合ってから、何度かこの顔を見た。今まではお兄ちゃんは本当に“お兄ちゃん”らしくて、決して見せなかった顔。気を許してくれているのだろうか。


「べ、別に」


 と、強がっては見たものの、お兄ちゃんは「ふーん」と言ったきり何も言わないので、痺れを切らした私は素直に負けを認めた。


「嘘。気になる……」


 私の素直な言葉を受けて、お兄ちゃんはくすりと笑ってから答えをくれた。


「残念ながら、男ばっかで来た。あいつらはナンパするってはりきってたけど、誰もいなくて拍子抜けしてたよ」

「お兄ちゃんもナンパしようとしたの?」


 気になったことをそのまま聞いたら、お兄ちゃんは、今度は少し困ったように笑った。


「俺は、美香以外の女に興味無かったから」


 想いが、込み上げるようだった。寄り添いあったまま、しばらく二人とも無言で夜空を眺めた。私とお兄ちゃんを見ている星たちは、私たちを祝福してくれているだろうか。それとも、非難しているのだろうか。後ろめたさと、愛しさと。今私たちが一緒に居るのは愛しさが勝ったからであって、後ろめたさは消えたわけじゃない。


「夏休み……もうすぐ終わっちゃうね」


 ぽつりとこぼした私の声に、お兄ちゃんの澄んだ瞳が私を向く。お兄ちゃんと居るだけで、愛しさは増していくようだった。

 ふいに、伸ばされたお兄ちゃんの手が私の頬に触れた。その瞳に浮かぶのは、見ているこっちまで胸が痛くなるような切ない色。


「このまま、お前をどっか連れて行きたい。誰も俺たちを知らないどこか。遠いどこか」


 お兄ちゃんの声がどこか儚げなので、私は急いで頬にあるお兄ちゃんの手に自分の手を重ねた。伝わる温度すら、愛おしい。


「……連れて行ってよ」


 言って、お兄ちゃんを見たけれど、お兄ちゃんは何も言わなかった。


「お兄ちゃん?」


 思わず問いかけたのは、お兄ちゃんの瞳にある哀しい光が、まだ消えていなかったから。私はそれがとても怖くて、どうにかして消してしまいたかった。こんな風に一緒にいられることは幸せで、でも失うことを思うだけで、こんなにも怖くなる。


 そのまま、何も言われなくても、キスをされるとわかった。自然に目を閉じると、ふと唇に降りてきた確かに感じるお兄ちゃんの優しさ。昨夜も、今も、お兄ちゃんは例えようもないくらいの優しさで私に触れる。


 ――星達に見つめられた、私達の密やかなキスを。


 間違っているなんて思わない。私たちはいけないことなんかしていない。ただ、惹かれあって一緒にいるんだって。


 この幸せを守り切る力がほしい。他には何もいらない。何も望まない。それはただ、愛しい人と一緒にいたいという、私の必死な願いで。その時の私は、兄妹で愛し合うということの意味を、まだよくわかっていなかったのかもしれなかった。



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