20−2 達也
道の往来で、しばらくそのまま美香を抱きしめていた。
このままこんなところで、堂々と美香を抱きしめるのはよくない。そうわかっていても、美香を離したくなかった。何も言わない俺に対して、美香は何も聞かず、されるがままになっている。混乱させてしまったかもしれない。今更兄貴は嫌だと言い、俺はこれまでの態度と全く正反対のことをしているのだ。
やがて体を離して美香を見つめると、美香も目をそらさずに俺を見てきた。
「お兄ちゃん……」
「……帰ろうか。美香も疲れただろ? 今日は帰って休んだ方がいい」
言って、俺は不安げな美香の手をとった。
人の目もあるし、兄妹なのだから、外でこういうことをしないほうがいいということはわかっていた。けれどそれでも美香に触れていたかった。美香を安心させてやるため、と思っていたが、本当は俺の方が安心を得たかったのかもしれない。歩きながら、美香はその小さな手で繋がれた手に力を込めてきた。その手を力加減に気を付けて握り返しながら、俺は通じている気持ちを実感し喜んでいた。
車に乗っても、美香は何も言わなかった。俺も言葉を見つけ出すことができず、何も言わずに車を運転していた。後悔がないと言ったら嘘になる。けれど迷いを捨てた今、覚悟が必要だった。これから、俺は美香を守っていけるのだろうか。――否、守りとおさなければいけない。何があっても、誰にも美香を傷つけさせはしない。
そうして家に着いて、美香だけを降ろそうとした俺を、美香が不思議そうに振り返った。このまま美香と一緒に帰りたくても、抜け出した塾に戻らなければいけない俺は苦笑して見せた。
「ごめん。バイトに戻らないといけないんだ。途中で抜けてきてさ」
「そう、なんだ。でも……、……わかった。早く、帰ってきてね」
美香は不安げな様子で、引き止められるかと思ったが、やはりそこは聞き分けのいい美香で、大人しく引き下がった。
美香のこういう控えめなところを愛しく思う。
「美香」
ドアを開けて降りていこうとする美香を、俺は引き止めた。振り向いた美香の前髪をかきあげ、その額にキスをする。
「大丈夫。俺も気持ちは同じだよ。もう、絶対泣かせたりしないから」
「うん。帰ってくるの、待ってるね」
微笑んでやると、美香の方も泣きそうな目をして微笑んだ。
そうして塾に戻った俺は、上にうるさく嫌味を言われ、疲れ果てて家に戻った。玄関前に来た時には日も落ちかけていて、辺りも暗くなり始めていた。玄関の鍵を開けて中に入ると、すぐに見慣れないものが目に入ってきて一瞬驚いた。玄関先に美香が座って眠っていたのだ。
「……美香?」
玄関から上がる前に美香に声をかけると、美香が目を開けた。
状況がすぐには飲み込めなかったのか、半ばきょとんとしたような表情をしている。
「何してるんだよ。ずっとここにいたのか?」
「待ってたの」
美香の声は寝起きのそれだった。長い時間ここにいたんだろう。
もしかしたら、俺が出て行ってからずっとかもしれない。俺は靴を脱いで家に上がると、荷物を置きながら言った。
「なんでこんなとこで……待っててくれるのは嬉しいけど、夏だからってこんなとこで寝たら、風邪ひくだろ」
「だって……、だって怖かった。怖かったんだよ、お兄ちゃん……」
美香は切羽詰まったような声で言ってから立ち上がると、俺に抱きついてきた。
少し驚いたが、美香は俺に抱きついたまま泣き出してしまった。その気持ちが伝わってきて、俺はしゃくりあげるその頭をできる限り優しくなでてやった。
「泣くなよ……。美香に泣かれると、どうしようもない気持ちになる」
そう声をかけても、美香の涙は止まらない。美香をなぐさめて優しくしたいという気持ちと、涙を流す美香が愛しくて、美香に触れたいと思う気持ちが俺の心に同居していた。
「美香」
二つの気持ちをどうすることもできないまま、美香を呼ぶと、美香は涙にぬれた顔を上げた。そのまま、美香にキスをした。本当なら自分の思うままに深くキスをしたかったが、今、美香は不安がっているのだ。できる限りに優しくできるように注意した。そうしながら、俺は気持ちを確かめるように何度もキスをした。
それからずっと、美香は猫がじゃれつくように俺に寄り添ってきた。愛らしい妹が愛しかった。
けれどこの時は少し困った。居間でテレビを見ていると、風呂上りの美香が俺の横にぴったりとくっついて座ってきたのだ。ふと美香を見ると照れたように笑う。そんな顔をされてしまっては、気持ちを抑えることができなくなってしまい、思わず何度目かわからないキスをした。美香の少し濡れた髪と風呂上りで上気した頬が何となく気になったが、俺は理性を総動員して気にしないようにした。
美香に触れたいという気持ちはあっても、美香を大切にしたいという思いの方が勝っていた。それに両想いであっても兄妹ということに変わりはない。そばに居られるだけでも十分幸せなのだ。
今まで、自分の気持ちは許されないことだと抑え、ずっと耐えてきた。俺が思いきったことで、これから先、俺が美香を幸せにしてやれるかはわからない。けれど一度受け入れたからには、美香を幸せにしてやれるように守っていくしかない。
幸せな時間はすぐに過ぎていった。美香はまだ一緒にいたいという雰囲気で、俺も気持ちは同じだったけれど、このまま夜の間中一緒に居るのには、男の俺が邪魔をする。美香は不安げな様子で、俺の方も離れがたかったので部屋の前まで見送った。おやすみを言い微笑んでやると、美香は部屋には入らず、また抱きついてきた。
「美香、どうした? 今日はやけに甘えんぼだね」
そんなことを言いながら、気持ちは同じだと実感し俺は幸せを感じていた。甘えてくる美香はとても愛しく、甘えられるのは心地がよかった。このまま俺の部屋に連れて行ってしまいたいが、そんな気持ちを抑え、何度も俺に抱きついてくる可愛い妹の頭を撫でてやった。
「ほら、もう寝ないと。明日がきついよ」
俺の言葉に、美香はしぶしぶと言った様子で頷いた。美香が部屋に入るのを見届けて、俺も自分の部屋に入った。
けれど、予感はしていた。それは的中して、思ったとおりに五分もせず扉がノックされた。返事を返すと、遠慮がちに入ってきた美香が後ろ手に扉を閉めた。小さなランプ一つ分の明かりしかない、薄暗いこの部屋に美香が居る。油断するとその雰囲気に酔いそうになる。俺はただベットに座ったままそんな美香を見ていた。
「お兄ちゃん、一緒に寝てもいい?」
美香の口から出てきた言葉も、予想していた通りだった。予想していても、困惑した。今の俺には美香とただ一緒に眠ることはできそうにない。きっと長年の望みを実行してしまうだろう。今まで何度も夢に見たままに。
「美香。俺はもう、今まで通り兄貴でいられる自信がない。簡単に一緒に寝るなんて言ったらだめだよ」
「わかってるよ。私だってそんなに子供じゃない。でも、どうしても今夜は一人でいたくないの。お願い……」
縋るように美香が言うので、一瞬心が揺らいだ。けれど急いで自分の冷静な部分を見つけ出し、俺は諭すような声で言った。
「俺もお前と一緒にいたいと思ってるよ。ただ、やっぱり俺たちは普通の恋人同士とは違う。だから――」
「知ってるんだよ? 本当の兄妹じゃないって。それでも、だめだって言うの?」
美香の強気なその言葉に、俺は驚きを隠せなかった。美香が知っていたなんて、全く気がつかなかった。いつからだろう。
そんなことを思っている俺には構わず、美香は必死に言葉を続けている。
「私ずっと思ってた。妹なんていやだって。お兄ちゃんもそうなんでしょ? そう言ったじゃない……」
言って、美香は俯いてしまった。心が痛んだ。美香にここまで言わせて、俺は何をしているのか。
罪であろうと何であろうと、背負っていくと決めたのだ。もう、今さらなのかもしれない。
俺だってもうずっと長いこと望んでいたのだ。兄ではなく男として見て欲しいと。今、気持ちを抑える必要がどこにあるだろう。
「おいで」
心を決めた俺は、美香にそう言った。美香がはっとしたように顔を上げる。そうして少しづつ近寄ってきた美香についばむようにキスをした。美香にキスをしていると、切なさのような感情が胸に湧いてくる。罪の意識か、想いが遂げられたことに対する喜びか。どちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。ただ、今は美香への愛しさで心が占められていた。
「ずっと好きだった。……兄貴失格かもな。お前のこと、女にしか見えないんだ」
「そんなの……私だって同じだよ」
俺の前に立ったまま、美香は俺を抱きしめた。そんな美香はやはり愛しくて、想いのままに美香にキスをした。だんだんと深くなっていくキスに、美香は必死に応えようとしている。自分を抑えるのも限界に来ていた。急く自分を必死に制しながら、美香にそっと触れると、美香はびくりと体を震わせた。それにふと我に返る。美香は純粋で、こういうことには慣れていない。気持ちだけでは無理なこともあるだろう。
「無理しなくていいよ。美香の気持ちだけで、十分だから」
唇を離して、自分の中に未だ残っている冷静な部分を探り出し言うと、美香は首を横に振った。
「大丈夫。大丈夫だから……約束してくれる? 私のこと、もう絶対離さないでね。ずっとそばにいてね」
「うん……」
頷くと、美香はとても幸せな微笑みを見せた。
愛しい妹を、このまま俺の色に染め上げたいという思いが、俺を急きたてていた。それは妹を守る兄という感情からはほど遠く、一人の女を愛する男としての激情だった。俺と美香が兄妹だというだけで、お互いに求め合い、こうして一緒にいることは罪になるのだろうか。
そんなことに構う余裕もないくらい、ただ、純粋に惹かれあっているだけなのに。
大切だった。美香が愛しかった。もう、こんなに誰かを思って身を焦がすことはないだろうと思った。
男として美香のそばにいたい。それが罪になるというのなら、せめてすべての罪を俺が背負っていこうと決めた。
俺の腕の下で鳴く愛しい妹だけは、何があっても守り通したかった。