2−2 達也
「秘密」は決して悟られるわけにはいかない。俺の心の奥深い場所にある感情なら、深いまま誰にも触れられなくていい。
美香が泣いている。両手で顔を覆って、膝を立てて丸まるように座り込んでいる。
「美香、どうした?」
声をかけたが、美香は無言だ。ただ黙ってじっとしている。揺さぶってみても、微動だにしない。
「――呼んで」
やっと顔を上げたかと思ったら、美香は唐突にそう言って俺を見た。
「え……?」
「もっと私の名前を呼んで。もっと……達也の全部を見せて」
「み、美香?」
美香が手を伸ばして俺の頬に触れてきた。こんな美香の表情は見たことがない。“女”の表情だ。俺は動揺していた。隠す余裕も無いほどに。
「達也。私は、あなたの――」
美香が言い、そこで目が覚めた。やけにリアルな夢だった。夢は深層心理を表すと聞いたことがある。……どうかしている。
着替えて部屋を出ると、ちょうど向かいの部屋の美香が出てきたところだった。俺は平常心を心がけた。あれは夢だとわかっている。内心の小さな動揺など隠すのは簡単だ。
「おはよ、美香」
「あ……おはよう」
平静を装うのには成功したが、美香の表情が冴えない。一瞬今朝見た夢への罪悪感が頭をよぎったが、まさか美香が俺の夢の内容を知っているなんてことはないだろう。どこか具合でも悪いのだろうか。
「どうかした? 元気ないみたいだけど」
俺はいつものように美香の髪をくしゃっと撫でてやった。でも今日は美香のさらりとした髪を意識してしまった。今朝の夢のせいだ。さっさと顔を洗って頭を冷やそう。階段を下りて行こうとすると、美香に服の裾をつかまれた。
「お兄ちゃんは、私のこと、嫌いになったりしないよね……?」
「美香?」
突然そんなことを聞かれて驚いて美香を見ると、美香は俯いてしまった。嫌いなわけがない。むしろその逆だから思い悩んでいるのに。
よくわからないが、何か思いつめているのかもしれない。美香ももう高校生なのだから学校での友達関係や好きな男のことなど色々悩みがあるのだろう。……後者はあまり考えたくないが。
「……そんなわけないだろ。嫌ったりしないよ」
そう言ってやると、美香は顔をあげてやっといつものように笑った。夢の中の美香とは違って、純粋な笑顔だった。
顔を洗って一階に行くと、美香はすでにテーブルについて牛乳を飲んでいた。いつも飲んでいるけれど、好きなのだろうか。俺は美香の正面に座って、頬杖をついて美香を見た。やっぱり夢とは違っている。現実の美香も夢で見たような表情をするのだろうか。
……また変なことを考えている。そんなことより美香に母さんの話をしなければ。
「そういや、美香も学校今日までだろ。夏休みの間、母さんは父さんの赴任先に行くって。今朝出てったみたいだね」
「ふえっ!?」
正面の美香が、驚いて変な叫び声と共に牛乳を吹き出しそうになった。……ひやりとした。美香はやっとといった感じに飲み込んで、コップを置いた。
「じゃ、じゃあ夏休みはお兄ちゃんと二人きり、なんだね……」
美香がぽつりとそう言った。妙に含みのある言い方だ。そんな言い方をされると今朝の夢を思い出してしまう。けれどもう動じたりしないが。美香も深い意味はなく言っているのだろうし。
それにしても、美香の頬が赤い。血色がいいのだろうか。そんなことを考えながら眺めていると、美香がはっとした様子で俺を見た。……なんだろう。美香が焦っているように見える。
「わ、私、お料理頑張るね」
美香のその一言に、俺は少し笑ってしまった。美香は料理が苦手だ。牛乳を吹き出すほど驚いて焦っていたのはそのことを気にしてだろうか。
「ちゃんと食べれる物作ってね」
そう言ってからかってやると、美香は拗ねたように口をとがらせた。美香のこういう反応が可愛いと思う。
「なによ。私だってやればできるんだからね」
「はいはい。期待してます」
そう言って笑うと、美香も笑顔になった。そして俺はその笑顔を愛しいと感じている。妹に対してこんな感情を持つのは不自然だろうか。ずっと兄妹として美香と一緒にいたのに、血がつながっていないことを言い訳にしてしまいそうだ。
……この感情は俺の中で押し殺したほうがいいのだろう。
「じゃあ行ってきます、達也」
美香は今日もそう言って家を出て行った。また呼び捨てだ。……とりあえずバイトにでも行こう。