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「ひみつ」  作者: 名無し
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17−1 美香

 一人きりの部屋の中、指先すら動かすこともできずに、私はじっとして只恐怖に耐えていた。

 意識の底に封じ込めていた、忘れたい記憶が蘇りつつあった。


 昔、まだ中学生だった頃。お兄ちゃんへの想いが“いけないこと”だということを、ようやく理解しかけていた頃。

 かよちゃんの家に遊びに行った私は、かよちゃんの弟の昭仁くんを見かけて、何気なくかよちゃんにこんなことを聞いた。


「かよちゃん。もし……昭仁くんがかよちゃんを好きだって言ったら、どう思う?」


 私の質問がよほど意外だったのか、かよちゃんが目を丸くして「は?」と言ってから、私を見た。


「何それ、映画かドラマかなんかの話?」

「う、うん、まぁそんなとこ」


 ぎこちなく笑う私に気付いた様子もなく、かよちゃんは顔をしかめてうーん、とうなった。その表情が、いかにも“嫌なこと”を考える時のようで、私は心の中で少しだけショックを受けた。その後、もっと大きなショックを受けることになるとも知らず。


「そうだなぁ、ドラマだとまぁ許せるかもしれないけど。現実、やっぱ受け付けないでしょ、それは」


 かよちゃんが平然とそんなことを言うので私は言葉を失い、何も言えなくなった。

 けれど鈍感なかよちゃんは、やはり私の様子がおかしいことになんて気付かず、容赦なく続ける。


「だって、弟だよ? ずっとそう認識してきたんだし。昭仁と恋愛とか、絶対無理! 想像もしたくないな」


 これまで経験したことのないようなショックだった。とどめとばかりに、かよちゃんが最後の台詞を付け足した。


「気持ち悪いもん」


 鮮明に思いだしてしまったのは、あのときの、奈落の底に突き落とされたような絶望的なショック。

 何から逃れたいのか自分でもわからないまま、それでも私は逃げるように必死に首を左右に振った。


 その時、コン、と部屋の扉がノックされて、驚いた私はびくりと肩を揺らした。


「美香?」


 お兄ちゃんの私を呼ぶ声が、記憶の中に囚われようとしていた私を現実に引き戻した。


 その瞬間、私の心は恐怖という感情でいっぱいになっていた。

 気持ち悪い、と言った記憶の中のかよちゃんの台詞。いつか夢で見た、お兄ちゃんの冷たい瞳。それらが今、現実のものになるかもしれないという恐怖が、私の心をがんじがらめにしていく。


 拒絶しないでほしい。嫌いにならないでほしい。失いたくない。失くしたくない。

 怖い。こわい。助けてほしい。この恐怖から、私を救いだしてほしい。


 誰か、助けて――……お兄ちゃん――……


「はぁっ、はぁっ、は、」


 何かが切れたように、私の涙がこぼれおちると同時に、息がうまくできなくなった。呼吸がだんだんと早くなっていくのを、自分でコントロールできない。自らの荒い呼吸に翻弄され、指先がしびれていく。


「美香? 入るぞ」


 ドアの向こう側から私の異変に気付いたのか、お兄ちゃんが部屋に入ってきた。

 私は必死に息をしながらも、お兄ちゃんから逃げるように座ったまま後ずさった。


「いや、来ないで、こな、いで……」


 私の弱々しい声を聞いて、それでもお兄ちゃんは私の前まで来て、目線を合わせるようにかがんでから私の背中をさすった。


「美香、呼吸が速すぎる。落ち着いて、ゆっくり息をしろ」

「おに、いちゃん」

「落ち着け。大丈夫だから」


 お兄ちゃんの優しい声を聞いて、涙が溢れだした。思わずその腕にすがりつきながら、私はしゃくりあげるのと呼吸をするのでかすんでいきそうな意識を必死につなぎ合わせ、想いを吐き出した。


「お、兄ちゃん、お兄、ちゃん……好き、なの。すごく、好きな、んだよ……」

「……うん、わかった。わかったから」


 お兄ちゃんは相変わらず私の背中をさすりながら、いつもより少しだけ切なげな声でそう言った。

 どうしてこんなに優しい眼をして私を見るのだろう。お兄ちゃんの瞳に浮かぶのは、優しい光と、――哀しい光。自分のことで精一杯になりそうなこの状況でも、私はそんな目をしたお兄ちゃんを抱きしめてあげたくなった。


 でも、できない。私は“妹”だから。今お兄ちゃんに悲しい目をさせているのは、他ならぬ私自身なのだから。


 私は何を勘違いしていたのだろう。お兄ちゃんは優しい。だから拒絶などしない。

 ただ、苦しめるだけだったのだ。私の想いは、お兄ちゃんにこんな顔をさせてしまうことしかできないのだ。どうしようもない悲しみに、涙が止まることなく流れ落ちていく。


「そ、んな目、しないで……。お兄、ちゃん。私、お兄ちゃんを、苦し、めて、るね……」


 私の言葉に、お兄ちゃんの顔が苦しげに歪む。こんな顔をさせたかったんじゃない。お兄ちゃんは、私の腕をぐいと引き、私を抱き寄せた。お兄ちゃんの胸の中はあたたかかくて、また涙が出た。

 お兄ちゃんの感情を抑えたような声が、頭の上から聞こえた。

 

「……違う。お前のせいじゃないんだ。お前のせいじゃなくて……」

「ごめ、んね。好きなの。お、兄ちゃん……お願い、嫌いに、なら、ないで……」


 思わず、縋るようにお兄ちゃんを強く抱きしめた。すると、お兄ちゃんが抱きしめ返してくれた。切なさが込み上げて、胸が痛くなる。どうしよう。こんな気持ち、どうしていいかわからない。


 抑えきれない涙は、私の想いの表れなのか。それとも、お兄ちゃんへの懺悔か。許されない想いを、洗い流そうとしているのか。苦しいほどに、私の心は色々な感情でいっぱいになっていた。


「ごめんね。おにい、ちゃん。こんなに、好きで……、ごめん、……ね……」


 遠のいていく意識の中、私はもう二度と抱かれることのないだろうお兄ちゃんの腕の中で、目を閉じた。



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