12−1 美香
“妹”というだけで愛してはいけないというのなら、どうして神様はお兄ちゃんを私の“お兄ちゃん”にしたのだろう。
抜け出せないほど大きく、深い想いに飲み込まれてゆく。――今、求めるままに確かめたい。
私に組み敷かれたお兄ちゃんは、その気になれば簡単に抜け出せるだろうに、私を振り払うことはしなかった。
その瞳に、困惑の色が揺れて浮かぶ。お兄ちゃんは優しいから、私を傷つけるようなことは決してしない、そんなことは知っていた。けれど今、その優しさが奪われようとしているのだ。
心に渦巻いている嫉妬という感情と、思いが届かないことへの哀しみ、そして酔いという魔力。それらは驚くほど、私を気持ちのまま正直にさせた。奪われるなら、その前に。私が奪ってしまいたい。この愛しい人の、すべてを。
自分の心臓の音が痛いくらいに響いている。私はやっぱりお酒のせいでどこかおかしくなっているのかも知れない。――否、おかしいということはずっと前からわかっていた。この愛しい人の全部を知りたい。そして一緒に溶けてしまいたい。そんな欲望が私を満たしていく。心に染みわたっていくように。この人も、私と同じ色で染め上げたい。
「美香……?」
愛しい人は、戸惑いながら私の名前を再び呼んだ。
大好きな大好きな、泣きたくなるほど大切な、私の宝物みたいな人。私の、“お兄ちゃん”。
想いがあまりにも大きすぎるが故に。行き場をなくした一方通行の想いが私の心から溢れ出し、自分ではその切なさをどうすることもできなくなった。込み上げてくる涙をこらえながら、私はお兄ちゃんの愛しい瞳を見つめ、その名前を呼ぶ。
「達也」
「……馬鹿、そう呼ぶなって何度も……」
「達也、……達也」
とうとう私の目からこぼれた雫が、お兄ちゃんの頬に落ち、伝って行った。涙を流しながらも何度も確かめるように名前を呼び続ける私を、お兄ちゃんはとても切なそうな、でも少しだけ困ったような、何とも言えない顔をして見ていた。
私が更に何度か名前を呼んだ後に、私に組み敷かれたままのお兄ちゃんが切羽詰まったように口を開いた。
「頼むから、そんな顔して泣くな。何か悩んでるなら聞いてやるから。……とにかく今は落ち着け、酔ってるだろ。いつもはこんなことしないのに」
「いつも、って何? お兄ちゃんは“妹”の私しか知らないじゃない。お酒も飲めない子供だって思ってるんでしょ?」
涙声で、私はお兄ちゃんを責めるようにまくしたてる。私の知らないお兄ちゃんの想う人と、どんな会話を交わし、どんな所へ行って、どんな幸せな顔で触れ合ったのだろう。それを思うと耐えられないのだ。
どうしても、私のことも“妹”ではなく、一人の“女”として見てほしかった。
だから今、夢の中のお兄ちゃんの言葉で。お兄ちゃんについて回る幼い“妹”じゃなくなる瞬間、“お兄ちゃん”を失うのかもしれない。けれどそれは、ひとりの“女”としてお兄ちゃんを愛せることにつながっているから。私は今、それを何より望んでいるから。
「もう、子供じゃないんだよ。知ってた? 私も“女”なんだって……」
私のその言葉を聞いて、お兄ちゃんは驚いたように私を見た。そのままの表情でしばらく沈黙した後、急に切なげに眉根を寄せたお兄ちゃんの大きな手が私の肩を掴み、私はぐんと引き寄せられた。倒れこんでくる私を軽々と受け止めたお兄ちゃんの瞳は、見たこともない光を宿していて。
――そのまま、性急に奪われた、唇。お兄ちゃんの熱も、抱きとめられた腕も、すべてが確実で決して夢じゃない。
私は今これこそを望んでいて、至福の瞬間になるはずだった。
けれど、私はお兄ちゃんの唇を感じながら、あることに気づいて驚きを隠せずにいた。
同じ、なのだ。お兄ちゃんの唇の熱も、まるで愛されていると錯覚するようなキスの仕方も、力強い腕も。すべてが、夢で見たお兄ちゃんとの口付けと重なっていた。
混乱する暇をも与えられないまま、深く重なり合った唇から、やがて何かが私の口内に入ってきた。何度も何度も角度を変え、与えられ続けるキスに意識が霞んで、思考がぼやけていく。ふと気付くといつの間にか体勢が逆転していて、お兄ちゃんが私の上にいた。お兄ちゃんは私の後頭部を抑え、さらに口付けてくる。
深く、深く。絡めとられて、息もできない。
二人だけの閉じられた空間の中、お兄ちゃんと永遠とも思えるような長い口付けを交わし続ける。愛しくて切ないキスに、欲望が満たされていくのを感じた。――どちらの欲望だろうか。私の? ……お兄ちゃんの?
お兄ちゃんの腕の中、忘れられない夢の中でのキスの感覚を呼び起こされる。私は驚きと混乱と動揺に心をかき乱されていた。私の想いは一方通行のはずだった。けれど、あの夢が夢でなく現実だったとしたら。何故、お兄ちゃんは――……
「お兄ちゃん、どうし、て……」
やっとのことで解放された唇を開き、私は息も絶え絶えにお兄ちゃんに訴えかけるように問いかけた。私を真顔で見下ろしているお兄ちゃんの心の内をどうにか覗こうとしたのだ。けれど私のその言葉は、私自身の荒い呼吸のせいでそこで途切れ、それ以上を紡ぎだすことができなかった。お兄ちゃんは不完全なまま終わってしまった私の問いかけに答えることはしなかった。
そうして、再び繰り返される深いキス。
今こんなに、手を伸ばせば触れ合えるほど近くに居るのに。この愛しい人を強く抱きしめて、その胸に顔をうずめたいのに。お兄ちゃんの心が全く見えない。お兄ちゃんの瞳に宿る静かな光が何かを語っているのに、私にはそれをわかることができなかった。
こんなに近くに居ても心は全く遠い。――想いが、届かない。
離れては再び触れ、深くなる。もどかしさと例えようのない哀しさに、思わずこぼした涙が私の頬を伝った。私は依然として呼吸がままならず朦朧としてゆく意識の中で、届かないと分かっていながら、それでも必死にお兄ちゃんを抱きしめようと、その背に腕をすがりつかせていた。