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「ひみつ」  作者: 名無し
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10−2 達也

 “兄妹”としてでも、繋ぎ止められるのならそれでいいと思っていた。

 けれど今、俺はそれを苦痛に感じている。“兄妹”としてそばに居るからこそ、美香の気持ちが遠ざかっていくのを強く感じても、黙ってそれを受け入れるしかないのだから。



 今朝の出来事の後、美香とはろくに会話もないままに俺は家を出た。気まずい空気の中、美香に声をかけることはしなかった。もし拒絶されたらと思うと、できなかったのだ。自分がこんなに女々しい男だったのかと思うと、自分で自分を嘲り笑いたくなる。


 バイトまであと三十分。コンビニで適当に昼食を選びながら、俺は今日何度目かもわからない溜息を漏らしていた。今朝の美香の怯えたような目が頭から離れない。俺は完全に打ちひしがれていた。


「達也先生、おはよ!」


 ふと背後からかけられた聞きなれた声に振り向くと、いつもと少し違った様子の教え子、夏木里香がいた。俺の少し驚いている様子を見て満足したのか、夏木が得意げに笑った。


「えへへ、驚いた? 今日は制服じゃないし、化粧してみたの。私服だと大人っぽいでしょ、いつも二十代に見られるんだよ」

「ああ、そうだね」


 俺が適当に話を合わせてやると、夏木は更に嬉しそうに笑ってから、そして何を思ったのか俺の腕に腕を絡めてきた。

 一応、教え子であるし、いつもある程度のことは許してやる俺だが、これはさすがに駄目だろう。バイトの講師とはいえ夏木は生徒だ。このコンビニは塾のすぐ隣、見つかれば俺も夏木もおそらくいい目にはあわない。振り払うのも可哀想だから、俺は夏木を諭そうとその目を見た。


「夏木」


 けれど制するように発された俺の声にも、夏木はまるで悪びれない。少し拗ねたように唇を尖らせている。


「ちょっとだけならいいじゃない。先生みたいな格好良い人と、一度くらい、いちゃついてみたかったの」

「……夏木。わかるね?」


 俺がもう一度諭すように言うと、夏木はしばらくは意地を張ったようにそのままだったが、やがてしぶしぶといった様子で腕を解いた。いつもはこんなことをしたりしないのに、夏木はどうして突然こんなことをしたのだろうか。そう考えていると、夏木が悲しそうに目を細めた。


「だって、先生辛そうだよ。そんな顔見せられたら、あたしまで辛くなっちゃうじゃない」


 夏木のその言葉にはっとした。どうやら相当重症らしい。今までどんなに辛いことがあっても、それを他人に悟らせるようなことはなかったのに。美香のこととなると、俺は感情を隠すことができなくなるようだ。


「……ごめん」

「どうして謝るの? 先生は優しすぎるんだよ。もっと、自分の気持ちに正直に生きていいんだよ?」

「正直に、ね……」


 夏木の言葉に、俺は思わずふっと自嘲的に笑ってしまった。正直に、それができるならどんなにか楽だっただろう。“兄妹”でなかったならば、きっと想いを告げることくらいはできただろうが、それは叶わぬ夢なのだ。


「ほら、夏木。もう買物は済んだなら先に行ってて。俺もすぐに行くから」


 夏木の手にあるコンビニの袋を見て、俺がそう言うと、夏木は不満げな様子だったが先に塾へ向かって行った。後ろ姿がコンビニを出ていくのを何気なく見送っていると、入れ替わりに今最も会いたくなかった人物が入ってきて、声をかけてきた。


「よ、達也。シスコンの次はロリコンか。高校生の生徒にまで手を出すなよな」

「石橋……」


 そうだった。最近会うことが少なかったからすっかり忘れていたが、石橋も同じ塾でバイトを始めていたのだった。

 無視を決め込んでやろうかとも思ったが、石橋は馴れ馴れしく俺の横に来た。こいつとは話をしたくないのに結局こうなる。そして、お決まりのごとくいつもの台詞を言うのだ。


「なぁ達也、いい加減に美香ちゃん紹介しろよ」

「ああ、今度ね」


 ただでさえ今日はいい気分ではなかったというのに、へらへらした石橋に俺は本気で苛立っていた。どうして紹介してもらえると思っているのかわからない。毎回毎回、しつこすぎてうんざりする。真剣に取り合おうとしない俺にむっとしたのか、石橋が捨て台詞のような言葉を投げつけてきた。


「妹を溺愛すんのは勝手だけどさぁ、案外、溺愛される側は鬱陶しかったりすんだぜ」


 けれど低次元にあったはずの石橋のその言葉は、思っていた以上に俺の心に突き刺さった。


「……そうかも、しれないな」


 俺はそう呟くことしかできなかった。なんだか打ちのめされたような気分だったのだ。


 バイトを終えて、家に戻ってレポートをしようとしてみても、どうにも集中できない。美香を失いたくない。けれど、このまま“兄”として美香が離れていくのを、そしていつか他の男のものになっていくのを黙って見ていくことを耐えていけるのだろうか。


 そんなことを考えていたその時、携帯電話のバイブレーションが鳴り響いた。見ると、美香の携帯電話からの着信だった。朝の気まずさを思い出し、一瞬ためらってしまったが、俺は通話ボタンを押した。


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