8−2 達也
どんなに心を見せないようにしたつもりでも、隠し切れないこともあるだろうか。
思いが強ければ強いほど、抑えが利かなくなるように。
久し振りの風邪は思いのほか辛いものだったが、美香の持ってきてくれた薬のおかげで、俺の熱は少しずつ下がってきているようだった。美香は風邪がうつるかもしれないというのに看病に一生懸命で、俺の熱が少し下がっただけでも自分のことのように喜んでいた。本当に、美香のそんな所を愛しいと思う。
だが一つ気がかりなことがあった。ついさっき美香の見せた涙のことだ。あれはどうやら夢ではなかったようだから、なぜ泣いていたのかが気になっているのだ。多分、美香のことだから俺の風邪に責任を感じているが故の涙だったのだと考え付きはするのだが、それだけではないと感じるのは気のせいだろうか。
美香は一度泣いたきり隠すように弱さを見せなくなってしまったが、だからこそ心配だった。無理をしているのではないか、と。
荒い呼吸の中そんなことを考えていると、不意に部屋の扉がノックされ、扉の向こうから美香の声がした。
「お兄ちゃん、汗かいて気持ち悪いでしょ? タオルと着替え持ってきたよ」
「ああ、ごめん。ありがとう」
そう返すと、美香が遠慮がちに部屋に入ってきた。その手には湯気の立つ湯の入った洗面器とタオル、俺の着替えがあった。まだ体はだるかったが心配をかけたくなくて、俺は美香に微笑みを向ける。そんな俺を見て、ベット際まで来た美香は、持っているものをベットの棚に置きいたわるような眼差しを俺に向けて口を開いた。
「背中、拭いてあげようか?」
思っても見ないことを美香に言われ、俺は言葉に詰まってしまった。恋人同士や親子ならそういった看病もするのだろうが、普通の兄妹はそこまでするのだろうか。普通ではない感情を抱いているだけに、普通がわからない。
けれどそんな考えはすぐに打ち消された。沈黙する俺に美香がとても悲しそうな目をしたからだ。こんな風に看病してくれるのも兄妹だからこそ、だ。何を馬鹿みたいに意識していたのだろうか。陳腐な感情で美香を傷つけたことを後悔した。
「じゃあお願いしようかな」
少し間ができてしまったが、俺は美香にそう言った。
なんとか体を起こして上着を脱ぎ、美香に背中を向けると、美香が湯につけていたタオルを絞り、そっと背中に当ててきた。遠慮からか、美香がゆるゆると撫でるように拭くので、くすぐったくて仕方ない。しばらく我慢はしてみたものの、とうとう耐え兼ねた俺は言いにくさに困りながらも口を開いた。
「もっと強く拭いていいよ。ちょっと……くすぐったい」
「あ、ごめんね……!」
そう言った美香は慌てたのか手をすべらせたようで、背後で小さく叫び声をあげた。そうして美香が俺の背中に倒れ込んできて、まるで後ろから抱きつかれたような格好になってしまった。背中に触れているのは美香の頬のようだった。
熱で火照った体に、美香のひんやりとした温度が心地良い。いつもなら真っ赤になって慌てて離れるはずだろうに、美香はなぜか俺の背中に寄りかかってきて、すぐに離れようとしなかった。やはり美香は最近どこかおかしい。
兎にも角にも美香と直接肌が触れ合っているこの状況で、俺の心臓の鼓動が徐々に速まっていることを悟られないかと気が気ではなかった。
「美香? ……どうした?」
戸惑いつつ発された俺の言葉に対する返答はなかった。背後の美香がどんな表情をしているかすらわからない。成す術もない俺は、自分の心臓の音をただ聞いていた。
「お兄ちゃんは、好きな人とか、いるの……?」
少しの間をおいて小さく発された美香の問いかけに、俺は思わず身じろぎした。そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。
今こそ、隠し通す時だ。ずっと昔から、俺が想い続けているのはたった一人。だからこそ絶対に悟らせるわけにはいかない。今目の前に居るのは、大切な大切な、けれど決して手に入らない、愛しい俺の“妹”なのだから――……
「……いるよ。どうしようもなく、好きな奴が」
自分の声が、自分の耳にひどく冷たく響いた。美香へ向いた許されない感情を押し殺す、永遠に報われることのない自分が哀れに思えた。それでも美香への想いの片鱗すらも見せないように、俺は必死に冷静であろうとしていた。
けれどそれは思っていた以上に難しいものだったようで、隠し切れていなかったかも知れなかった。想いはあまりに強すぎたのだ。看病を終えて部屋を出て行く美香の後ろ姿を見ながら、その感情をどうすることもできない俺は、熱による気だるさを感じながらただ、哀しみの中に居ることしかできなかった。