6−2 達也
美香がいくら俺を拒絶しようが、冷静に考えると俺にそれを責める権利はない。
そんなこともわからなくなるほど、美香のことになると感情が抑えられない自分に、自己嫌悪するしかなかった。
深い深い眠りから目覚めると、全身が信じられないほどのだるさに支配されていた。
ベット際に座って上半身だけベットに伏せた状態で、顔も上げられないまま気配を辿ると、未だ美香は俺の服を握ったまま俺のベットで眠っているようだった。耳に心地よく届く美香の安らかな寝息に、まだあどけなさの残る寝顔が易々と頭に浮かぶ。
一つ、咳が出た。喉が焼けつくように痛い。しばらく風邪なんてひいたことがなかったのに。
これはきっと罰なんだろう。美香が眠っているのをいいことに、自分の望むまま、彼女に触れたことに対しての。こんなことを美香が知ったらどう思うだろうか。純粋な瞳に、俺を汚らわしいモノとして映すのだろうか。
そんなことを考えているとガンガンと響くような頭の痛みがより一層ひどくなった。俺が顔をしかめたとき、美香が起き上がる気配がした。目を覚ましたようだ。
一呼吸おいて、俺の服を握っていた美香の手が離れていった。顔を伏せたまま少しだけ動かしてちらりと美香を見てみると、美香はその手を口元に持っていき、そっと指先で唇に触れた。まるで夢の中にいるようなその表情は、現実を見ているのかいないのか。
張り詰めたように自分の心臓が鼓動する音を、全身で聞いた。昨夜のキスを、美香に気付かれたのかもしれない。
美香に拒絶されることを、俺は何よりも恐れている。だからこそ今この瞬間、夏であるというのに風邪によるものではない寒気を感じている。それなのに、麻痺した心のどこかで、もう一つの俺の想いが息づいていることに気がついてしまった。
美香に知ってほしい。兄妹で兄でも、俺も一人の異性なんだと意識してほしかった。美香の中にある俺の”兄”としての概念を壊したかったのかもしれない。それを何よりも恐れているくせに、矛盾している。美香を想うことだけでも許されないというのに、俺はどこまで貪欲なんだろうか。
このもう一つの想いに区切りをつけるには、美香が俺にキスされたことに気づいているのかを、確かめなければならなかった。もう焦りは感じていない。恐怖と期待、正反対の感情が俺の心に静かに共存している。
美香は多分気づいていないだろう。でも、もし気づいていたとしたら。俺は――……
「美香……起きたの?」
さも今起きたように装って出した声はひどく掠れていて、自分でも少し驚いた。美香はびくりとして慌てて唇から手を離した。
だるい体を無理やり起こし、俺は髪をかきあげた。美香はまだ寝起きだからかどこかぼんやりとした様子で俺を見ていた。気取られないように、しかし探るように、俺は美香の目を見た。その瞳に、俺に対する嫌悪とか恐怖とか、そういった感情を浮かべていないかどうか。
しかしいくら探してみても、そんな感情はひとつも見つからなかった。
心の底から安堵するのと同時に、我に帰ったような感覚がした。もし、美香が気づいていたら、俺は何をするつもりだったのか。
未だ俺の中の乾いた部分は残念だと感じている。この感情は紛れもなく俺の本心かもしれないが、支配されそうになったのは風邪のせいだ。思考にぼんやりと霧がかかっているのだから。
俺が自分にそう言い聞かせ、喉のいがらっぽさと一緒に罪悪感を吐き出すべく咳をすると、美香は俺の内心も知らずに遠慮がちに口を開いた。
「あ、あのお兄ちゃん、ごめんね。勝手に一緒に寝たうえに、お兄ちゃんのベットに寝かせてもらうなんて……」
「いいよ。雷……怖かったんだろ」
美香を安心させてやろうと微笑みかけたが、やはり掠れた声しか出ない。喉のいがらっぽさが取れず、咳が繰り返し出てくる。俺の額に触れてきた美香の手は、ひんやりして気持ちがよかった。
「ひどい熱……! お兄ちゃん、大丈夫? 辛いよね」
美香が驚いた顔をして俺を見た。もう一度微笑みかけてやりたかったが、呼吸するのもつらくなってきてそんな余裕はなかった。
「ああ、……ちょっとね」
「どうしよう。私のせいで……。私が、お兄ちゃんをベットから追い出したから……」
「大丈夫だって。それに原因は雨に濡れて帰ってきたことだと思うから、美香のせいじゃないよ」
美香は心配からか、泣きそうな顔をしている。美香のせいじゃないと言っても美香の性格上、自分を責めているんだろう。こんな顔をさせたいわけじゃないし心配をかけたいわけではなかったが、心配されることが嬉しかった。
美香は俺のベットから降りて、俺にそこに寝るように促した。素直に従うと、美香は俺に布団を掛けてから、必死の笑顔をくれた。強がっているのがバレバレだ。
「大丈夫、私が治してあげるからね」
と、気丈に言う美香はどこか頼りなくて、でもとても愛しかった。看病してくれるつもりなのだろう。台所へ向かっていく美香の後ろ姿を見送りながら、俺は再び深い眠りに落ちて行った。