6−1 美香
よく夢に見る。私の大好きな彼が、私を好きだという、夢。私が彼に焦がれている証拠。
でもそれは所詮ただの夢で、目が覚めたら空しい気持ちでいっぱいになるだけ。
溺れるような、夢だった。私が戸惑いがちに達也、と小さく名前を呼んだら、振り向いたお兄ちゃん。
その手が、私の髪に、頬に触れる。
あくまでも優しく、まるで愛されていると錯覚してしまいそうになるほどに。
でもこれは夢であっていつものこと。
眠りに落ちた私は自分の都合のいいように現実を脚色している。そうでないとこんなことはありえない。
でもどうして、私の心臓はこんなにリアルに高鳴っているのだろう。
「達、也……?」
乾いた声でもう一度呼んだら、彼は微笑みを浮かべ、静かに私を見つめた。射抜かれたように、立ちすくむ私。
そうして静かに近づいてきた彼の瞳に、吐息が触れ合うほどの距離感に、めまいがした。
私はもう一度その名前を呼ぼうとしたけれど、とうとう彼の唇に塞がれて上手く紡ぎだすことができなかった。
目を閉じた私は、ただただ彼との触れるだけの口づけに酔いしれていた。息苦しくなるほどの鼓動と愛しさが私を支配する。
これが夢だってかまわない。かまわないからどうか、覚めないでほしい。
そうして幸せに浸っていると、急にお兄ちゃんが私から離れた。
お兄ちゃんがどこかへ行ってしまったようで悲しくて、その存在を確かめるべく目を開けてお兄ちゃんを見た私は、思わずその表情に息を呑む。
先ほどまでの微笑みとは打って変わって、お兄ちゃんは切なげに眉をひそめていた。まるで感情を押し殺すかのように。
どうしてお兄ちゃんがそんな顔をしているのかわからなかったけれど、それが私の心にまで暗い影を落とすようで、私は必死に首を左右に振った。
お兄ちゃんの押し殺そうとする感情。それが、私が隠し通そうとしている「ひみつ」に、何となく近いものな気がしたのだ。
勿論、お兄ちゃんのその感情の向かう先はどこなのかは、やはり全くわからなかったけれど。――わからなかったから、尚更怖かった。それが私の知らない誰かに向けられていたとしても、おかしくないのだから。
”お兄ちゃん。心の奥に、何を隠しているの。……誰を、想っているの……?”
心の中でそう問いかけるのと同時に、私は夢の中から現実の世界に引き戻された。
そこは、お兄ちゃんの部屋だった。カーテンの隙間から、明け方の淡い光が差し込んできている。
私はいつの間にかお兄ちゃんのベットに横たわっていて、お兄ちゃんはベット際で、眠る前の私がしていたようにベットに上半身だけ突っ伏して眠っていた。ふと見ると私の手はお兄ちゃんの服を無意識にしっかりと握っていたから、お兄ちゃんはそれで身動きが取れなくなったのかもしれない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
謝ろうとお兄ちゃんを見てみても、よく眠っていて、起こすわけにもいかない。眠るお兄ちゃんを見ていると、夢の内容が思い出された。夢なのにやけにはっきりと覚えている。
――そう、あの夢。体を起こし、お兄ちゃんの服を握っていた手を離してから、思わず自分の唇に指先で触れた。
リアルに感触が残っている。その温度までも思い出せるほどに。
あれは、本当にただの夢だったのだろうか。
「美香……起きたの?」
唐突に下の方から掠れた声を聞いて、ぼんやりと浸っていた私はびくりとしてしまった。慌てて唇から手を離す。
見ると、お兄ちゃんが目を覚ましたようだった。細く目を開けて、気だるそうに体を起こし髪をかきあげる仕草がとても色っぽく見えて、私の心臓を反応させる。けれどそれよりもお兄ちゃんの部屋に勝手に忍び込んだことへの罪悪感の方が勝っていた。ひとつ咳をしたお兄ちゃんに、私は遠慮がちに口を開く。
「あ、あのお兄ちゃん、ごめんね。勝手に一緒に寝たうえに、お兄ちゃんのベットに寝かせてもらうなんて……」
「いいよ。雷……怖かったんだろ」
そう言ってやんわりと微笑むお兄ちゃんの声はやはりひどく掠れていた。さっきは寝起きのせいかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。その呼吸も心なしか荒い。きっと風邪だろうと、咳を繰り返すお兄ちゃんの額に触れると、驚くほど熱かった。
「ひどい熱……! お兄ちゃん、大丈夫? 辛いよね」
「ああ、……ちょっとね」
「どうしよう。私のせいで……。私が、お兄ちゃんをベットから追い出したから……」
「大丈夫だって。それに原因は雨に濡れて帰ってきたことだと思うから、美香のせいじゃないよ」
だるそうなのに気丈に振る舞おうとするお兄ちゃんに、泣きたくなってきた。だって原因はベットと布団を奪った私にだってあるはず。それなのにお兄ちゃんはどこまで行っても優しい。
「ごめんね、お兄ちゃん。とりあえずここに寝てね」
私はお兄ちゃんのベットから降りて、お兄ちゃんにそこに寝るように促した。素直に従ったお兄ちゃんに布団を掛けてから、動揺していたけれど、私はできる限りの笑顔を作った。
「大丈夫、私が治してあげるからね」
私の言葉に、お兄ちゃんは相変わらずだるそうだったけれど、笑ってくれた。
今日は日曜日、病院は休みだ。ならば私が看病しなければ。とにかく何か冷やすものをと思い、私は台所へ向かった。