手紙
昨日花瓶を割りました。水を替えようとして、手を滑らせて、床に落として割りました。花瓶は粉々になって、私の足の甲へと乗っかりました。
ふいに、あなたの顔が浮かびました。割れた花瓶を片付けていて、右手の人差し指を切りました。出た血を吸って、また花瓶を片付けました。
あなたから貰った桃の花の花瓶を、捨てるには忍びなかったけれど、もうバラバラになってしまったものなので、思い切って捨てました。せっかくの赤いカーネーションも、花瓶がなくてはどうしようもなくなって、花瓶と一緒に捨てました。
あなたは元気でしょうか。急に、心配になりました。私は元気だと、声を聞かせてあげられれば良かったのだけど、今の私の立場を考えるとそれもできなくて、仕方なく手紙を書いて出しました。
子供は元気でしょうか。あなたを置いて私が逃げたとき、あの子も一緒に置き去りにしてしまいました。あの子は元気にしているでしょうか。
あなたの優しさが今になって恋しくなります。ヒーターも炬燵も、私の欲しい温もりではありません。自分で吸った血の味は、冷たくて痛かったのです。あなたの口が、その優しい口が、くちづけのようにして血を吸ってくれるあの快感は、私をとりこにしてしまったようです。
家を捨てた私にそんな権利はありません。でも、あなたには、忘れないでいて欲しい。あなたがくれた花瓶が割れて、私は不安になりました。あなたが私の事を、忘れたのではないかと、そう思いました。
どうか、忘れないで下さい。もう会う事も、話す事も、ありません。道を踏み外したのは、私自身です。ですが、どうか、忘れないで下さい。一人では世界はあまりに辛かったから。
では。