第二話 おまけ
〈おまけ・その夜の美貴理さん〉
「それじゃあ美貴理、おやすみ」
そう残してタクが美貴理の部屋を出たのは、月が昇り深夜一時を回った頃だった。
なんやかんやで約半年ぶりの外界を堪能した美貴理が、興奮冷めやらぬ様子で今日の思い出話を語って聞かせたからだ。まるで遠足帰りの小学生のように微笑ましい光景だが、彼女は今年でもう二十歳になる。
とはいえ今日体験した出来事の大半でタクは隣にいたため、彼女の熱弁を至極退屈な気分で耐え忍ぶ羽目になった。
そして、延々と続く長話に辟易した彼が半ば強引に話を切り上げてこの部屋から退散したことを、会話の経験に乏しい美貴理は知る由もない。
扉が閉まり、室内に束の間の静寂が訪れる。タクの足音が遠ざかっていく。
「……さて、と」
ひとりになった直後、やけに神妙な顔つきで背後のベッドに視線を移す美貴理。そこには深紅のドレスが無残に脱ぎ散らかされていた。
耳をそばだて、タクが自室へ入ったのを確認する。密偵のごとく慎重な所作。
その後、息を呑む音を静かな部屋に響かせて、美貴理はそのドレスを手に取った。
派手に開いた両肩の部分を掴み、ジャージの自分に重ねる。姿身代わりの窓の前に立つ。暗闇の中心に、ドレスで着飾った彼女の全身が投影された。
表情はどこか恍惚に浸っている。やがて我慢の限界に達したように口元が綻び――
「うわっ!」
机上の携帯電話が唸った。
慌てて手に取ると、成佳からの着信だ。
「も、もしもし」
「おお美貴理。あたしだけど」
今夜の彼女は比較的ご機嫌らしい。声の調子が弾んでいた。
……いや。
美貴理は妙な予感を覚えた。これは、成佳が自分に嫌がらせを敢行する際の声色だ。
そしてその予測は的中し――
「さっきまで、今日着てた服を身体に当てて楽しんでただろ。そんなに気に入ったか?」
「――っ⁉」
しかし想定の遥か埒外を飛ぶ台詞に、美貴理は仰天して背後を確認した。続いて上下左右、だがそこには成果はおろか人影すら探せない。気配を読むなんて芸当は土台無理だ。
「ど、どうしてそう思う?」
念のため、真実を隠して問い返す美貴理。そんなささやかな抵抗に意味などない、きっと成佳はすべてお見通しだ。それでも、訊かずにはいられなかった。
「いや、なんとなくだけど」
「なんとなくぅ⁉」
さらに斜め上の剛速球、人間離れした洞察力に愕然とする。本当に人間じゃないのかもしれない。
確かに、このドレスを美貴理は気に入っていた。正確には、服装に凝るという行為に興味を抱いていた。周囲の視線を受けて恥ずかしさが先行していたが、美貴理とて年頃の女子なのだ。ニートなのが大問題。
とにかく帰宅してすぐ、密かに『お洒落 服装』で検索をしたほどである。
しかし、こうも容易く見抜かれるとまた羞恥心が込み上げる。無駄と知りつつも美貴理は必死で誤魔化そうと言いわけするが、
「いや全然そんなことしてないけどね! あたしにお洒落なんて必要ないからね! 豚に真珠だし猿も木から落ちるし弘法も筆のカタマリだし!」
すべて裏目の空回りである。図星を証明しているようなものだ。
「……ぷっ」
「笑うな! 本当なんだからね!」
「はいはい」
軽い口調で流される。やはり成佳には敵わない――美貴理は諦念の息を吐いた。
「で、どうしたの? 冷やかしに電話したわけじゃないでしょ」
「まあ似たようなものだけどな。アンタ、服とかに興味湧いたみたいだったから、気になってさ。質問とかあったらなんでも聞いてくれよ」
と、思わぬ優しい言葉に美貴理は面食らってしまった。
成佳は親しい人間に対しては姉御肌な一面がある。ここ最近は疎遠だったが、美貴理の高校時代などはすっかり彼女に依存していた。
その上、ちょうど美貴理もお洒落の敷居の高さに四苦八苦していたところだ。インターネットで調べても“肉食系”だの“ゆるふわ”だの理解不能な単語ばかり。女子とはまこと不可解な生き物である。
これを機会に成佳に頼り、そういった基礎知識は身につけておこう、と美貴理は頬と肩で電話を挟みながらパソコンを起動させる。
インターネットの検索履歴から、今日閲覧したサイトを開く。すぐさま意味のわからない用語を発見した。
「じゃあさっそく質問なんだけどさ」
「おう、ジャンジャン来い」
「“せくしーらんじぇりー”ってなに?」
「まだ早い‼」
怒号とともに通話は切れた。
声は携帯を通じて美貴理の耳朶を奇襲し、部屋中に反響する。
成佳の立場からすれば、その意味を知らない相手に詳しく説明する気恥ずかしさに負けて逃げるのは至極当然だろう。が、美貴理にはその行動の真意がわからない。不意打ちに目を白黒させている。
あまりに突然すぎる成佳の態度の変貌に、美貴理ははて、と首を傾げた。
興味本位でそれを自ら調べた美貴理が、真相を知ってベッドの上で悶絶し転げ回るのは、これから約十数分後のことである。