番外編プロローグ
剣士が魔物に斬撃を放った。
人間の姿を模した悪鬼の魔物は胴を両断され、地面に倒れ伏すよりも早く灰塵となり、風に吹かれて消えていった。
得物を振り回す剣士の周囲を、大量発生した魑魅魍魎が取り囲む。
――が、無惨。
彼の痩躯から繰り出される演舞のごとき華麗な剣戟は、瞬く間に魔物どもを斬り捨て、土へと還していく。
醜悪な軍隊は次第にその総数を減らし、残り数匹にまで殲滅され――
「なにをしている」
男がひょいと、机上のPCマウスを取り上げた。
途端、画面の中の剣士は一切の動きを制止し、戦況も一転、魔物の持った棍棒にタコ殴りにされる。
すべて、ノートパソコンの画面内の出来事である。
「うああぁぁ! なにするのさ!」
「だから、それはこっちの台詞だ、美貴理」
「いやマウス――うわ、やられてるし! 死んじゃう死んじゃう!」
片手でマウスを握った男に美貴理と呼ばれた女性が噛みつくように抗議し、しかし画面に視線を向けると、またなにやら喚き出した。なかなか整った面長な容貌も、すっかりくしゃくしゃになって台無しである。
「お願いマウス返して! ほんのちょっとだけだから! だから!」
「そんな必死に!」
部屋の床に三つ指立てて土下座をする美貴理に、男が仰天する。その隙を突いて、美貴理は男の手からマウスを素早く奪い取った。
慌ててPCを操作する彼女を呆れた様子で見下ろす男、名前をタクという。常識人ぶった表情だが、首から下は身体にぴったり張りついたタイツスーツに深紅のマント、現代日本においては確実に“変人”と評される風体である。クラーク・ケントか。
そのタクの睥睨を背に、美貴理は剣士――もちろんゲーム内の――を安全な場所にまで避難させると、責めるような視線で彼に向き直った。
「んで、不意を突いていきなり悪魔のような所業をしてくれた理由を聞こうか」
極限まで細められた鋭い眼差しがタクに突き刺さる。しかしタクもまた渋面を崩さず、
「まさか、忘れてるのか……? 二時から授業だから俺の部屋にこいと言っていたはずだが」
「あ」
その言葉に、美貴理はさっと青ざめた。間違いない自分の過失に気づいた。
タクはハロワマンと呼ばれる、れっきとした公務員だ。その仕事は非労働者・非正規労働者の社会復帰を目的とした指導である。いわば成人向けの家庭教師――決して卑猥な意味ではなく――のようなものだ。
彼もまた、美貴理の両親の依頼を受け、ニートである彼女を更生させるため佐無柄家に派遣され、住み込みで働いている。
話題にのぼった“授業”も、その指導の一環なのだが……
「隣の部屋の用事すら堂々とサボりとは……ずいぶんといい度胸じゃないか」
「わーごめんなさい! もおぉぉもちろん覚えてたよ! ちょうど今そっちにいくところで……」
空虚な笑顔を浮かべるタクに、美貴理は焦った口調で言いわけを連ねた。ちなみに時計は午後三時半を回っている。
「なら、早く来なさい。でなきゃ今月のお小遣いは没収だ」
容赦ない声音で急かす。
そう、美貴理が彼におとなしく従うのは、お小遣いを人質にとられていることが原因である。
タクは美貴理の母に直談判し、彼女のお小遣いの運命を自在に左右する程度には、佐無柄家に馴染んでいた。
その言葉に尻を叩かれ、美貴理はドタバタとノートPCを脇に抱えて立ち上がった。
「さあ授業にいこっか! わあい、楽しみだなー」
「……待て」
明らかに棒読みの台詞にツッコみたい衝動を抑え、タクは美貴理の手首を掴んだ。もう片方の手では、頭痛でもするのか眉間を揉んでいる。
「……なぜパソコンを持っていく?」
「え、いや必要になるかもしれないし――」
タクは確信した。このニート娘が自分の授業を真面目に受ける気は毛頭ない、と。
「却下だ!」
神速でPCを取り上げ、美貴理の襟首を持って部屋から引きずり出す。
「ほれ、いくぞ」
「いやあぁぁぁあ! ノルマのレベル上げがあぁぁぁ!」
阿呆らしくも悲痛な嘆きが、肌寒い廊下に響き渡った。
これは、日々低次元な争いを繰り広げる道化たちによる、愛と涙とニートの屁理屈の物語である――
お久しぶりです!
〈はたらけ!〉連載再開となります!
もうしばらく、ニートと愉快な仲間たちのグダグダな日常をお楽しみください。




