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エピローグ



 燦然と輝く太陽の光がまぶたを炙り美貴理は目を覚ました。

 高校を卒業してから昼過ぎに起床する習慣がすっかり定着してしまった美貴理は、ベッドから抜け出そうと――

「はぅ!」

 ――したところで、全身を走る激痛に身悶えた。

「あたしに傷を負わせるとは……、何者だ⁉」

 ただの筋肉痛である。

 街をひとつ跨いで駆けずり回ったのだから当然だ。

 三文芝居に興じても反応する者はなく、美貴理はつまらなそうに嘆息した。

 恨み言をぶつぶつ呟きながら、しかし筋肉痛がひと晩で訪れたことで自分の肉体が老衰していないと再確認できて安堵する。若い身空でこれほどの運動不足である方が問題だが。

 美貴理の部屋は以前ほど隔絶されてはいなかった。陽光が美貴理に熱光線を放っているのが証拠だ。

 それがなにを意味しているかは、各自の判断に一任する。

 疲労が蓄積された身体に鞭打って、美貴理は階下に降りた。食物を捜しに行ったのだ。どうにも空腹には勝てない。

 居間のテーブルにはラップに包まれた膳がぽつんと置かれていた。

「お母さん、ありがとう……」

 ご飯はとっくに冷たくなっていたが、よっぽど腹が空いていたのだろう――美貴理はレンジにもかけずにがつがつ口へかき込んだ。

 恐らく母が用意してくれたであろう朝食だったはずのものをぺろりと平らげたところで、美貴理は家の無人に気づいた。

 母はパートで留守。いつものことだ。

 そしてタクの不在の理由も美貴理はわかっていた。そもそも彼が出かけたのは美貴理の計らいだ。

 昨晩、帰宅したあと、虚脱状態のタクに指示したのだ。「明朝八時、ピクニックで昼食を食べた公園へ向かうように」と。

 それ以上はなにも言わなかったのでタクも半信半疑だったが、行けばわかることだ。


 あの公園にて、トーコが待つ。


 思考した瞬間、美貴理の心は陰鬱に満たされた。

 ――なぜ?

 それは彼女にもわからない。しかし傍目には明らかだ。

 後悔。

 好きな人が他人とよりを戻す手助けをした、痛烈な悔悟の念だ。

 すべては美貴理が決断した結果であり、いくら傷つこうとも自縄自縛だが、それでも鬱憤は堆積する。

「あーもう! 一生ニートをやっていく口実ができたんだから、素直に喜べよ、あたし!」

 髪を掻き毟りながら叫ぶ。

 無意識にタクの影を求めたのか玄関に佇むが、彼の靴はそこにはない。整頓された家族の靴だけが、几帳面な性格のタクがこの家にいた唯一の証明であるような錯覚に囚われる。

 美貴理の目の端に涙が滲み、


「ただいま」


 彼の姿がそこにあった。

 鍛練された肉体を強調するようなタイツスーツ、灼熱色のマント。

 そして端正な顔には暑苦しいほど爽やかな“笑顔”。

「あ――」

 美貴理専属のハロワマン・タクだ。

「――おかえり」

 お返しに美貴理も満面の笑みを彼にぶつける。

 久しぶりにタクの心からの笑顔を見ることができた。美貴理はそのために戦ってきたのだ。

 無意識に彼に触れようと手を伸ばす。

 しかしすぐに静止する。

 思い出したのだ。この人はもう、別の女性のものだと。

 美貴理は目を伏せて、可能な限り平静を装った声音で尋ねた。

「……彼女には会えた?」

「ああ、美貴理のお陰だ。ありがとな」

 歯を出して快活に笑ったタクは優しく美貴理の頭を叩く。

 この手の温もりも、彼女に捧げられたそれなのだ。

 駄目だ。どうしてもタクの幸福を祝福できない。

 それが美貴理の望みだったのに。

 彼はこんなにも嬉しそうなのに。

 ――あたし、最低だ……

 美貴理の薄く開いた瞳の端に、また涙が浮かんだ。

 こんなことではいけない。

 正体不明の失意を突き放し、美貴理は偽装された笑顔で尋ねる。

「でも帰り、早かったね。デートでもしてくればよかったのに」

「いや、そういうわけには――あ?」

 言いかけてタクは呆けた。まるで美貴理の言葉が微塵も理解できないかのように。

 かくしてこの男は、真に理解していなかった。

「デート? なんだそれは」

「と、とぼけんなこの朴念仁め! 彼女とつきあうんだろうが!」

「なぁにいぃぃ?」

 タクは眉をハの字に寄せた。

「そんな事実はない! どんなゴシップだ……」

 芸能人か。

 会話が噛み合わず、質問合戦になってしまった。

 仕方ない。美貴理は最終兵器の質問を訊いた。

「ずっと前に告白したんじゃなかったのか?」

「……ああ、なるほど!」

 タクは納得したように手拍子。大袈裟なリアクションだ。

 予想外にあっけらかんとした口調でタクは説明をした。

「あんな告白は無効だ。俺たちは最初からやり直す」

「……え?」

「トーコが失踪したり、俺に別人だって嘘を吐いた理由は全部聞いた。あいつも俺を強く想ってくれていたことはわかった。――でもそれは昔の話だ。俺は今のトーコを知らない。トーコは今の俺を知らない。だから、今日をふたりの再出発にしようって、決めたんだよ」

 言って、照れくさそうに頬を掻いた。僅かに紅潮している。

「ま……マジで?」

「マジで」

 口を衝いて出た美貴理の純粋な疑問に、タクは律儀に答えた。

 高校を卒業してからというもの、活発な回転に縁遠い美貴理の脳が、必死に情報を処理していく。ショート寸前。回線(血管)がブチ切れそうだ。

 一分以上の静寂を通過して、ようやく美貴理の脳は彼の話の内容を理解した。なんとも低スペックである。

「……つまり、あんたとトーコは恋人じゃない」

「遅いわ! さっきからそう言ってるだろ!」

「なぁんだ……」

 美貴理は安堵の溜め息を吐いた。

 そして自問。なんであたしは安心しているんだ?

 熟考すること三十秒。

「まあいっか」

 いつもの楽観的思考である。

「どうしたんだ? 今日はおかしいぞ」

 心配そうに見つめるタクを美貴理は手で制した。

 重荷を降ろしたような、晴れやかな笑顔で。

「なんでもない」

 唇をだらしなく緩めて言った。

 この表情も彼女は自覚していないだろう。

「む……」

 屈託なく笑う彼女にタクがしばし見惚れていると――

「お邪魔しまーす!」

 閑静な住宅街に、小動物の鳴き声が響いた。

 そうしてタクの背中からぴょこんと飛び出したのは、真っ白い巨大なウサギ――いや、ウサギの着ぐるみだった。

「こんにちは、ぷりちーらぶりーハロワレディ・トーコちゃんです!」

 着ぐるみが忙しなく両腕と長い耳を振り回しながら叫ぶ。不気味だ。

 ウサギの中身は少女だった。背丈は美貴理と頭ふたつ分ほど違う。着ぐるみの内側に覗ける顔のつぶらな瞳には、無邪気な光を宿していた。

 三人で並んで立っていると、トーコの幼さが際立つ。あんた何歳だよ。公務員のくせに。

 想定外の人物の登場に、美貴理が目を丸くして問う。

「トーコ、突然どうしたのさ」

「遊びに来ただけだよ。美貴理ちゃんにも会いたかったし」

「あたしに?」

 自分を指差してキョトンとする美貴理に、トーコは唇の端を吊り上げて耳打ちした。

「これからは恋のライバルだね」

 それは一瞬のことで、彼女の囁きもタクの耳には届かなかった。

 そして宣戦布告をされた張本人である美貴理は、

「え? なに?」

 こちらもまったく理解せずにいた!

 そんな彼女を見て、トーコは悪戯っぽい笑みを浮かべるだけだった。

「ところで、美貴理ちゃんもあのレースゲームが好きなんでしょ? 対戦しようよ!」

 はた、と美貴理は気づく。

 タクの過去話によると、彼がレースゲームで強かったのはトーコの対戦に応じていたかららしい。互いの実力が拮抗して切磋琢磨していったのならば、彼女は本調子であるタクと同程度の実力者だということだ。……ぶっちゃけ美貴理に勝ち目はない。

「あー……、それは、その……」

 期待に身体を揺らすトーコから懸命に視線を逸らす。

 そもそもタクが来る以前、美貴理はあのゲームでの自分の力量に並々ならぬ自信を持っていたのだ。結果は火を見るより明らかとはいえ、これ以上誇りを傷つけられたくはない。

「とにかく立ち話もなんだし、あたしの部屋に――」

 一時凌ぎで家に案内しようとしたそのとき、美貴理の視界に黒い影がよぎった。

「クソガキがあぁぁぁ‼」

 罵声とともに美貴理宅へ乗り込んできたのは(一応)女性だった。

 艶やかな黒髪が獅子舞のように振り乱れ、眼光はカタギのそれではない。黒縁眼鏡のレンズが怪しく光った。

 清井成佳だ。実に怒り狂っていらっしゃる。

 狼狽しながらも美貴理は恐る恐る口を開く。

「あの、セーカさん……?」

「ミキ、テメェ……」

 ふしゅー、ふしゅー、と成佳の呼吸の音が響く。息切れなどでは決してない、獲物を発見した獰猛な獣が興奮しているときの吐息だ。

「昨日のわけわかんねぇ電話のこと、説明してくれるよなぁ……!」

 非常にまずい。

 時間稼ぎにしかならないが、美貴理は歯噛みして、エスケープの呪文を唱えた。

「セーカ、お客さんがいるよ!」

「あら、白崎さん。お久しぶりです。ご機嫌よう」

 成佳は淑やかな笑顔で頭を下げた。お辞儀は四十五度。

「ご、ご機嫌、よお……?」

 トーコは困惑している。無理もない反応だ。かわいらしい。

「それでだ、ミキ」

「思った以上に保たなかった!」

「ひゃあ!」

 成佳の豹変ぶりにトーコは驚愕して飛び跳ねた。怖いのか、今にも卒倒しそうだ。タクが慌てて彼女の小さな身体を支える。

 頭に血が上った成佳はそれに気づかず、

「とにかく、とっととハガレン返しやがれ!」

 続けた言葉は、あまりにも予想外で、

「は、はい……」

 美貴理は素直に返事するしかできなかった。



 その後は四人で平和にレースゲームをして遊んだ。

 とはいえ、美貴理・成佳両名は盛大に泣きを見ることとなった。残るふたりの実力が圧倒的なのだ。

 彼らを照らす美しい夕陽が沈み始めた時分、タクがふと思い出したように呟いた。

「そういえば今日は、まだ社会復帰のための授業をしてなかったな」

 その台詞に過剰にな反応を示したのは美貴理だった。トーコに向き直り、アイコンタクトで助けを求める。

 トーコはふい、と目を逸らした。

「ええぇぇぇ⁉」

 裏切り者め!

 美貴理はトーコと契約を交わした場面を脳内リプレイする。

 ……確かに、彼女が美貴理の“非労働運動”の補助をするなどとは、まったく言っていない。

 むしろ美貴理は「あたしに任せて」とすら宣言していた。

「さて、タクくんの凛々しい仕事っぷりを拝見しようかな」

 にやりと笑んでトーコが言う。

 ――こいつ、楽しんでいやがる……!

「テメェがさんざん積み重ねてきた悪行の罰だと思え。タクさん、思い切り絞ってあげてください」

 なんの事情も知らない成佳は邪悪な微笑みでタクにお願いした。

「さて、なにか言い残すことは?」

 タクが裁判官のように神妙な口調で美貴理に尋ねる。

 しかしその顔は晴れやかで嬉々としていた。

 美貴理も彼に倣って少しだけ微笑んだ。みんなの瞳には、美貴理が逆境に立たされてとち狂ってしまったように映ったかもしれない。

 狭くて広い自分の部屋の中心で、彼女は言った。


「働いたら負けだと思っている」



 ――fin







 読んでいただきありがとうございます!


 三か月間に渡って連載してきた〈はたらけ!〉もひとまずこれで大団円となります。お気に入り登録してくれた方、評価をしてくれた方、そして一度でも拙文に目を通してくださったすべての方々に最大級の感謝を!


 ……まあ、まだ続くんですけどね!


 しばらく時間を置いて、また続きのお話を投稿したいと考えております。

 というのも、活動報告をご覧の方はご存知かと思いますが、拙作は元々私が投稿以前よりしたためていた文章で、それを今回この場を借りて公開させていただいていたものでした。

 そして自分でも読み返すうちに、続編を書きたい欲望が鎌首をもたげてきまして。拾っていない伏線もありますし、投稿するならばしっかりと完成させたいという気持ちもありました。

 簡潔に言えば、なんだかんだでこの〈はたらけ!〉に愛着があったってだけの話なんですけど。

 この続投を蛇足と感じる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、決して悪いようにはいたしませんので……!


 具体的な続編の投稿予定ですが、また一から執筆することもあり、それまでかなりの長期間が空くと思います。とりあえず来年の一月頃に不定期で連載を再開できたら、と妄想しています。遅筆の鬼は健在ですよ! 粉微塵も自慢にならない!

 とにかく、年が明けても記憶の片隅に拙作が残っていれば、またここへ訪れてくださると光栄の極みです。

 ――長くなりましたがこれくらいで。

 いつかどこかでまた会いましょう! それでは!



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