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第四話〈佳境、この少女働くべからず〉-1-



「苦しい……苦しいよ……」

 少女は呻く。

「悲しい……悲しいよ……」

 少女は嘆く。

「会いたい……会いたいよ……!」

 少女は求める。

 苦痛を伴う負の感情を、まるで呪文のように唱え続けて。

 そして彼女は声を上げて泣いた。

 慟哭は雨音が掻き消してくれた。



 第四話〈佳境、この少女働くべからず〉



 大地を穿たんとする雨降る街を、美貴理はタクと並走していた。

 勢いで自宅を飛び出したせいで、雨粒から身を守る術はない。

 清井家の門前に辿り着くまでに、ふたりはすっかりびしょ濡れになってしまった。服が肌に張りついて気持ち悪い。

「この近所にウサミミの女の子が住んでいるらしいよ。セーカなら家の場所もわかると思うけど……」

 言いながら横目でタクの顔を窺う。

 彼は瞳を逸らし、小さく首を横に振った。

「悪いが、彼女に協力を仰ぐのは遠慮したい」

「まあ、簡単に人に教えられる話じゃないしね」

 美貴理ですらやっとの思いで聞き出した情報なのだ。独占欲も相まって、美貴理はタクの意見にあっさりと納得した。

 情報源が成佳である時点で真実を隠し通すのは困難であるのだが、かといってすぐに割り切れるわけでもない。

「それじゃあ、ここからは手当たり次第〈白崎〉って表札を探すしかないね。二手に分かれようか」

 タクは強く頷いてさっそく一軒ごとに表札を検めていく。そのさまはどこか不審者めいており、美貴理は捜索が少し億劫になった。怪しい動向という点では、既に手遅れなのだが。

 渋々といった様子で目の前の表札を覗き、直後に驚嘆が漏れる。

「これって――」

「もう見つかったのか?」

 それを見たタクが慌てて駆け寄る。顔には期待が満ちている。

「――あ、ごめん、百崎(ももさき)だった」

「紛らわしいわ!」

「も、文句は百崎さんに言ってよ……」

「しっかり確認しろよ、まったく」

 タクは落胆しながらも自分の持ち場に戻っていった。数秒後、今度は彼が叫ぶ。

「あ……あった! ――いや違う、白椅(しらい)さんだった」

「アンタもかーい!」

 仕返しとばかりに大声でツッコむ美貴理。正体不明の妨害工作(?)に苛立っているのだ。

「くそぅ……〈木を隠すなら森の中〉方式か……。敵も戦術をよくわきまえているな……」

「おい待て、敵ってなんだ」

 真顔で毒づく美貴理の呟きをタクは逃さなかった。ゲーム気分か。

 しばらく同じような行動を続けるも、発見したのは日崎(ひさき)自崎(じさき)などの、似通った苗字ばかりだった。

「ちくしょう、この地区おかしいだろう! 回覧板の名簿とか絶対紛らわしいって苦情が押し寄せるわ!」

 ストレスが募るあまり、タクは虚空に向かって吼えた。動転しているせいか、怒りの矛先は明後日の方を向いていた。

「気持ちはわかるけど落ち着けって。この辺りにいるのは間違いないんだし――って、あ」

 適当にタクを諌めていると、突然美貴理は瞠目する。

「あった」

 思わず放心して指を差す。

 その先にはモダンな民家の門がずっしりと構えていた。

 立派なミカゲの表札には、まさしく白崎と銘打たれている。

「「これだ!」」

 ふたり同時に腹の底から叫ぶ。なぜか我先にと門を越えた瞬間、

 騒ぎ声を聞きつけたのか、目前の扉が開かれる。

 中から現れたのは――


 四十代半ばの、アゴ髭を生やした中年親父だった。


 一同、静止。

 髭面は怪訝そうな顔で美貴理を、タクを見る。

 止まった時間が、再始動した。

「こっの……っ、泥棒猫があぁぁぁ‼」

 耳まで赤く染めたタクが髭面に飛びかかる。どうやら妙な勘違いをしているようだ。性的な意味で。

「ちょちょちょちょっと! タクさんそれはないでしょう! 髭だもの! オッサンだもの! どうもお騒がせしましたー!」

 美貴理は暴徒と化したタクを羽交い絞めにする。そして罵詈雑言から謝罪まで一息で言い切って、体勢を崩さないままガニ股で猛ダッシュした。全力の逃亡である。

 髭面、呆然。



 二・三分は走っただろうか。ニセ白崎の出没地点が目視できないところまで逃げてきたところで、ようやくタクは沈静化した。

「すまない、我を忘れていた……」

 心底申しわけなさそうに頭を下げるタク。

 しかし美貴理にはそれに反応できる体力など残されていなかった。

「ぜぇ……ぜぇっ……」

 歩道の隅にへたり込んで肩で荒々しく呼吸をする。

 運動不足の人間が人ひとりを担いで全力疾走したのだから、当然の結果だろう。むしろよく頑張ったと言える。

 痛く冷たい大粒の雨すらも、火照った身体には心地よかった。

 それにしても――

「ぜぇっ……ここ、どこだ……?」

 宛もなく逃走した美貴理は道筋すらも記憶になかった。

 とにかく現在地を視認するために顔を上げると、


〈白崎兎子〉


 そんな表札が目に止まった。

「フルネエエェェェェェム!」

「うおぉ! い、いきなりどうした?」

 美貴理の奇言を心配したタクが彼女の視線を追い――硬直。

「――え? いやいやいや」

「いやいやいやいや、ねー」

 顔を見合わせて苦笑。

 しばらく睨めっこを続けて、

 同時に素早く首を横に向ける!

「「馬鹿な!」」

 再確認したところで、もちろん表札に変化などはない。ただ事実のみを厳かに告げている。

「てか、どこまでお蕎麦届けてんだ、あの人!」

 脳裏をよぎったのは成佳の証言。彼女はお蕎麦を大量にもらったと話していたはずだ。しかし引越しの挨拶が必要なほど近所だとはどうしても思えない……

「トーコさんって、すごい律儀な人だったりする?」

「ああ、すこぶるいい子だが――そんなこと言ってる場合じゃないだろう! お蕎麦は俺たちには関係ないの!」

 叱咤されて美貴理は不満げに唇を尖らせた。釈然としないらしい。

 しかし今さら言い争う雰囲気でもない。

 なにせタクはこれからトーコと再会するかもしれないのだ。無意識の内に背筋が引き締まる。

 ごくりと息を呑む音。

 それは騒々しい雨音の中であっても、美貴理の耳に強く響いた。

 空気は張り詰め、美貴理はほんの僅かな動作でも許されないような気分になった。

 まぶたを下ろして深呼吸。

 開眼したタクがインターホンを――


「トーコおぉぉぉぉ!」


 連打した!

 まるで悪ガキの所業であるインターホンの連打。それを大人が――そのうえ背景に映える真っ赤なマントを羽織って敢行するという異様な状況に、美貴理は絶句した。

「やめんか!」

 それでも止めないわけにはいかない。一拍置いて叫びながら彼の後頭部をはたく。

 タクは「ぐぉ」と呻くと、頭を押さえて蹲る。あまりに突然の出来事だったので手加減する余裕もなかったのだ。

「そろそろ落ち着いてくれ……」

「むぅ、居ても立ってもいられず」

 頭部の痛みをもう忘れたかのように飄々と立ち上がる。そういえば頑丈さは折り紙つきだった。美貴理は少し安心する。

「とにかく、本人だって確証もないんだからくれぐれも穏便に――」

 そのとき。

 美貴理の忠告を待たずに扉が緩やかに開いた。

 そしてそっと顔だけを覗かせたのは、アゴ髭の親父などではなく、

「トー、コ……?」

 背丈の小さな、かわいらしい少女だった。

 緩い風が吹いて湿った肌を凍らせる。

 彼女は現在着ぐるみではなかったが、タクから聞いていた通りの容姿をしていた。

 大福のように柔らかそうな頬は健康的な薔薇色だ。髪はうなじ辺りで左右に束ねて肩に乗せている。童顔の輪郭に、タクを一点に見据える瞳がバランスよくふたつ配置されている。それは太陽より丸く、紅玉よりもなお赤い。

 黄色を基調に暖色で彩られたパーカーに、下は腿まで露出しているホットパンツを穿いていた。活動的なスタイルだ。

 邪気のない子どものような顔に、しかし表情に宿る、憂鬱と愁傷の感情が非常に不釣り合いだった。

「トーコ……」

 今一度、タクは彼女の名前を呟く。眼前にある世界を確信するように。現実を噛み締めるように。

 そして堰を切ったように、想いが溢れ出す。

「トーコ! 俺だ、巧だ! ……ずっと探してた。会いたかった。嬉しいよ、トーコ……」

 気のせいか、タクの瞳の端が涙で光ったように見えた。ただ、顔中が雨に濡れているため、その真偽はわからない。

 タクは彼女の小さな身体を抱き締めようと腕を差し出す。しかし触れればトーコまで濡らしてしまう、と思い留まる。今すぐ触れたいのに叶わない。

 そのジレンマに耐えきれずタクが一歩進み出たとき、


「あの……、どちらさまですか?」


 世界が止まった。


 トーコは――いや、目の前の童女は恐れるような、怯えるような視線でじっと彼を見つめた。

 タクの足が動揺で震える。冷えた肉体から玉の汗が噴出する。

 希望が無惨に砕け散った音が聞こえた気がした。

「はは、冗談よせよ、トーコ……。なあ、だって、俺ずっと……」

 彼の口は意味を成さない単語の羅列しか吐き出さなかった。あとは、荒い息遣いだけ。

 拳を指先が白くなるほど強く握る。

 痙攣を続けるふくらはぎを必死に前へ押し出す。そうしてまた彼女の肩に触れようと試みた手は、


 無情にも彼女によって振り払われた。


「……やめてください」

 俯いたままで低く呟く少女。

 それははっきりとした拒絶だった。

 タクの脳を、いくつもの疑問が駆け巡る。それらは千差万別の謎を内包していたが、最終的には余さずひと言に集束された。

 ――なぜ?

 答えは出ない。彼に少女の心情はわかり得ない。それは当然の真理であり、同時に彼女と思い出を共有したタクにとっては、すこぶる不可思議な疑念であった。

 今度こそ大粒の涙が彼の顎まで伝った。

 タクは一歩、二歩と後ずさった。その足取りは重く、牛歩で一帯にかかった重圧から離脱していく。

「――ッ!」

 やがて抑制から解放されたのか、弾かれたように踵を返して、全力で走り去っていった。

 少女はしばらく遠ざかる背中を眺めていたが、彼の姿が雨のカーテンに阻まれて消却されると、また静謐を傷つけずに扉を閉めた。

 あとには激しい雨音と陰鬱な余情だけが残され、

 美貴理は、最後までちっとも動くことができなかった。







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