第三話 おまけ
〈おまけ・その後の成佳さん〉
『ありがとう!』
その言葉を最後に通話は切れた。清井成佳は不可解な美貴理の行動に眉根を寄せた。
突然『ウサギの着ぐるみの女を知らないか?』と尋ねてきて、こちらの都合などお構いなしで勝手に納得してしまった。なんて傍若無人な奴だ。
憤慨すると同時に、頭の片隅で不安に思う。
あの相当に切羽詰まった口調、なにか不穏当な事情があるに違いないだろう。
タクがいるのだから心配するだけ無駄な気もするが、それでも油断ならないのが駄目人間が駄目である所以だ。厄介なことに巻き込まれていなければいいのだが……
「って、なんであたしがミキの心配なんてしなくちゃいけないのさ」
窓の外の豪雨を眺めながら、ふと我に返る。
この場にいない相手のことを一方的に考えても単なる骨折り損だ。
気晴らしに漫画でも読もうと本棚に向かうが、
「ハガレン貸しっぱなしなんだよなぁ……」
どこまでも美貴理が自分の行動を阻害する。今度会ったら一発ぶん殴ってやろうと心に決める成佳であった。
仕方なく別のシリーズを漁るが、どれも中途半端な巻数が抜けている。その犯人は推測するまでもない。あの小生意気なニート娘だ。
想起すれば、貸したのが高校時代にまで遡るものが大半である。よくこれまで堪忍袋の緒が切れなかったものだ。
「あ、あのアマあぁぁ!」
憤怒に任せて奥歯を軋ませ、しかしすぐ冷静に。
――さっきから脳内は美貴理のことばかり。外は雨風激しいとはいえ、成佳も華の女子大生である。もっと有意義な休日の過ごし方はなかっただろうか。
「……遊びたくても、誘う相手がいないんだよ、ちくしょうめ」
哀しき暴露である。
成佳の通う大学に、彼女の友人と呼べる人間は存在しない。
中学・高校と同様に、大学デビューに失敗した者を待つのは嫉妬や怨嗟蔓延る負の連鎖である。
まず仲間ができない。すると話し相手がいないので、面白みのない講義が休みがちになる。大学に赴かなければ友達ができない。そしてサボり癖が助長されていく……具体的な内容は生々しいので割愛しよう。
とにかく惨たらしい悪循環に陥っていた。
高校時代の身内で進学したのは成佳のみ。就職組にはべらぼうに羨ましがられたが、蓋を開ければ針の筵、地獄の窯の中で無為な毎日を送っているのだ。まあ、世知辛い世の中の予行演習という意味では、着実に経験を積んでいるのだが。
「これじゃミキにでかい口叩けないよなぁ」
嘆息混じりに呟くのは、やはり美貴理のこと。
決して言葉にはしないが、コンビニ事件の際に美貴理から約半年ぶりの連絡がきたとき、成佳は嬉しかったのだ。
常に美貴理が成佳を頼っているように映るこの関係だが、実際は成佳も美貴理に依存していたのかもしれない。
屋根を打つ雨音が成佳を感傷的な気分にする。
今、きっと美貴理は大変な状況に立たされているのだろう。電話の様子から予想するのは容易い。
「頑張れよ、ミキ……」
自分には離れた場所から応援することしかできない、直接美貴理の力になることは叶わない。
だから――。成佳は誓う。
――すべてが解決したとき、ひと言だけあいつを褒めてあげよう。
「ま、とりあえず今はあいつのことは忘れよっか」
部屋の窓から曇天を見上げる。
もう昔とは違う、美貴理の隣にはタクがいるのだ。自立した我が子を見守る父親の気持ちで、どっしりと構えているべきだろう。
気分転換のため、成佳は棚からゲーム機を取り出した。ひとりで暇を潰すのに、彼女の部屋には漫画とこれくらいしか娯楽はないのだ。
配線コードを確かめ、電源をつけ、ディスクを入れ――
メモリーカードが刺さっていません。
「クソミキぃぃぃぃぃ‼」
激しい雨音すら掻き消す魔物の慟哭が、狭い部屋にこだました。




