表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/27

第三話〈暴露、昔々のことじゃった〉-2-


 つまらない毎日だ。

 悲嘆するでもなく、嘲弄するでもなく、淡々とそう思う。

 寝て、起きて、高校へ通い、帰って、また寝て、また起きて。

 ただ無感動な日々を送る。いつしか俺は、自分が機械なんじゃないかと疑念を抱くようにすらなった。与えられた作業をこなすだけの、意志のない無機物。

 ――それが怖いから俺はゲームをする。

 楽しくなんてない。

 ゲームは娯楽だから。機械に娯楽は必要ないから。自分は人間だという実感が湧くから。

 しかし、


 ――娯楽を寡黙に冷然と行う姿は、果たして別の視点からも人間に見えているのだろうか……?


 そんなことを考えていたときだった。

 自室の中、春の風を招き入れる窓から異音が耳に届いて、俺は振り向いた。

 そして、凍結する俺の身体。

 俺の視線の先にあったものは――


 巨大なウサギが足をばたつかせ窓から不法侵入を試みる姿だった。


「うおおおっ」

「ふわぁ! お、驚かさないでください」

 お前が言うな!

 そうツッコみたくなる気持ちを抑えて、冷静に状況を分析する。

 ウサギがしゃべった?

 いや、違う。これは着ぐるみだ。

 巨大ウサギが、否、少女が顔を上げた。

 純白の頭部の内側には、かわいらしい童女の輪郭。ビー玉型の紅い瞳に、小動物のようにすぼめられた口。人懐こそうな笑顔を纏う彼女自身、ウサギを連想させる顔立ちをしていた。

 着ぐるみでわかりづらいが、背丈は俺の肩にも満たないだろう。小学生五・六年生か、せいぜい中学生か。

 そんな幼い少女が、精神が倒錯したかのようなファッションで、ひとり暮らしの高校生男子の部屋に闖入してくる理由とは、いったいなんだろうか。

 皆目見当がつかない。

「えーと……」

 彼女にかけるべき言葉を探すも、いかんせんこんな不測な事態に直面した経験などない。

 混乱状態に陥った俺を怪訝そうな眼差しで見つめて、ウサギ少女はにんまりと愛らしい笑顔を浮かべて言った。

「ハロワレディのトーコです! よろしくお願いします」

 は?

 ハロワレディ?

「な、なんだって?」

 訊き返す俺。

 ハロワマン・ハロワレディ制度とは。

 非正規労働者・非労働者を対象とした、彼らの社会復帰を応援するため施策された法律。また、それに従ってハローワークが開始した新たなサービスだ。

 一般適用の後すぐに全国的に普及して、今や世間の常識としてあちこちで耳にする名前である。

 対象者には、原則的にひとりの指導員が公共職業安定所(ハローワークのことだ)略して職安から派遣されることになっている。

 それがハロワマン及びハロワレディである。

 彼女がそのハロワレディだというのか。

 そんな馬鹿な。

 彼らはハローワークの職員、すなわち公務員だぞ。

 どう見てもこの少女は社会人ですらないだろう。

「ちょっと待ってくれよ!」

 しかし問題はそこではない。

 彼女の言葉が真実であれ、出来の悪い詐欺であれ、そこには重大な間違いがひとつある。

「俺は高校生だぞ」

 渋面で言った。

 学生は学業を義務としている。非労働者のカテゴリになど断じて含まれないはずだ。

「ほぇ?」

 少女は呆けた顔で俺を見た。

 居心地の悪い、不自然な沈黙が流れる。

 そして、


「ふえぇぇぇ、そんなああぁぁぁ」


 突然、少女が奇声を上げた!

「はうぅ……。あたし、ハロワレディになるために、いっぱいお勉強して……、やっと夢が叶って初仕事だったんですぅ……。それが手違いなんてえぇ……」

 瞳に溢れんばかりの涙を溜めて愚痴り出す。その姿はお世辞にも俺より年上とは思えなかったが、年齢について推察するのは後回しだ。

「お、おい落ち着けって! 間違いなんて誰にでもあるって! ほら、仕事が回ってきたのは確かなんだろ? 依頼人とか探すの、俺も手伝うからさ、泣き止んでくれよ……」

 俺の発言は善意から出たものではなかった。

 むしろ逆だ。この部屋で泣き叫ばれては近所迷惑だし、俺にとっても大迷惑なのである。

 しかし俺の説得は予想以上に好感触だったようだ。

 ぴたりと泣き止んだ彼女は、指先で涙を拭って微笑んだ。極上のスマイル。紅潮した頬が庇護欲を刺激して、俺は内心で悶えた。

 ――かわええ……!

 もう冒頭の俺の印象は崩れ去ってしまったような気がする。なにが機械だ、格好つけやがって、俺。

 彼女を抱き締めたいという短絡的な衝動を抑えるため、荒ぶる右腕を左手で掌握する。端から見たらさぞ滑稽な動作なのだろう。

 そんな俺の奮闘を知らないトーコは、深々と俺に頭を下げた。

「ありがとうございます! 元気が出ました!」

「はっ!」

 彼女のお礼で我に返った。

 この変態的な欲望は胸の奥深くに封印しておこう。もう二度と顕現してきませんように。

「と、とにかく。俺と間違えたってことは、名前でも似てるのか? 俺は向鏡島(むこうきょうしま)(たくみ)。相手の名前も、差し支えなければ教えてくれるか」

 知り合いかもしれないしな。

「あ、苗字がいっしょです。依頼人は向鏡島生美(いくみ)さん。その息子さんがあたしの教え子さんなんです。珍しい苗字ですけど……。こんな偶然ってあるんですね~」

 トーコが感心している。

 しかし、俺はその名前を聞いて、冷静ではいられなくなった。

 彼女に背を向け、ポケットの中の携帯電話を手に取る。

 そして目的の相手に着信をかけた。

 ぷるるるる。ぷるるるる。

 二度のコール音の後、

『もしもし、向鏡島です』

「ちょっと母さん! 話があるんだけど!」

 そう、向鏡島生美とは、離れて暮らす俺の母親だった。

『あら、たっくんじゃないの。どうしたの?』

 彼女は俺を“たっくん”と呼ぶ。気恥ずかしいのでいつもやめろと言って聞かすのだが、今は優先順位が違う。

「どうしたもこうしたもあるか! 俺のこと、ハロワマンに頼んだりしなかった? いや、しただろう絶対に!」

『したわよ』

「やっぱりな……」

 俺の周囲で起きる騒動の発信源は八割が母だ。彼女が破天荒なわけでは決してない。しかし……

「なんでそんなこと――」

『だってハロワマンって、将来が心配な子のための制度でしょう? ママ、たっくんが心配だもの。ひとり暮らしでご飯はちゃんと食べてるかとか、お風呂にはちゃんと入ってるかとか……』

「ハロワマンってそういうのじゃないから! あと、ご飯は毎日三食きちんと摂取してるし、お風呂も毎晩入って清潔にしてるから! 安心して! それじゃあ!」

 矢継ぎ早に叫んで通話を切る。ついでに電源も切る。額から一筋の汗が垂れる。

 彼女は過保護なのだ。それは親元を離れた現在でも徹底していて、また、どこか大きくずれている。

 そんな母親を持つ俺が、なぜ実家を離れて高校に通うことにできたのか。答えは簡単、母には内密に遠方の学校を受験したのだ。幸い、父親は一般的な感性の持ち主――むしろ母の方針には反対である――なので、保護者の許可などでは苦労しなかった。

 ちなみに俺がひとり暮らしを希望した理由とは、これまた母の束縛から逃れるためだ。

 育ててくれた感謝の気持ちを忘れたわけではない。

 しかし、度を過ぎて常識外れな行動に、俺が閉口していたことも確かなのだ。

「すみませんでした」

「ほぇぁ⁉」

 トーコに向き直って土下座をする。

 正確には母が諸悪の根源なのだが、謝罪するのは俺の役目だ。

「い、いったいどうしたんですか? 頭を上げてください!」

 今度は彼女が困惑している。当然の反応だろう。

 罪悪感と頭痛に苛まれながら、俺はことの起こりを説明した。



「ほはぁ~」

 すべてを理解したトーコは、まず感嘆して息をついた。

 悪気がなかったとはいえ、いわば職場への悪戯行為だ。もっと憤激しても文句は出ないと思うが。

 しかしトーコは白い歯をこぼして俺に言った。

「面白いお母さんなんですね」

「……疲れるけどな」

 笑顔の彼女につられて俺も口元が緩む。苦笑でもあるが。

「怒らないのか?」

「ぜんぜん。この出会いも巡り合わせだと思って楽しまなきゃ」

「はは。ポジティブだな」

 とはいえ、俺もこの状況を楽しんでいる。

 平坦な日常を崩壊させた、大きな刺激。

 果てしない退屈にウンザリしていた俺にとって、彼女はカンダタの蜘蛛の糸だと思える。


 それが一時凌ぎだから、なおさら。


 そう、この出会いはイレギュラー。すぐ本来の軌道に修正される。

「じゃあお仕事頑張ってくれ」

 軽くトーコに手を振る。別れのサインだ。

 どうせ長くいられないのなら、未練を持つべきではない。

 昇れば昇るほど、糸が切れたときに身体を大地に強く打ちつける。

 ――痛いのは嫌だから。

「へ?」

 首を傾げるトーコ。どうやら俺がさよならをしている理由がわからないらしい。

「ほら、ハロワレディの仕事はここじゃできないだろ。俺じゃなく、アンタを待っている人がきっといる」

 俺は笑みを絶やさずに言う。この悲哀が悟られないように。

 彼女は俺をじっと見つめる。

 その視線は、なにもかもを見透かしているように思えて怖くなる。

 そして彼女は、心の底から不思議そうに言った。


「でもあなたは寂しそう」


「――ッ!」

 心臓を鷲掴みされたような衝撃に俺は震撼した。

 見抜かれた?

 空虚な毎日に戻ることへの恐怖。

 その正体は、明らかに寂寞感。

「……だったらどうするんだよ?」

 俺の感情を知られても、彼女になにができるというのか。

 もうトーコはここにいられない。

 そして、ふたりの人生は二度と交わらないだろう。

 しかし彼女の出した結論は、俺の予測とは異なっていた。

「いっしょにいます」

「え……」

「あなたのお母さんから引き受けたんです。あなたが心配だから見ていてやってくれって」

「でも、それは――」

 意固地になって息巻く俺の唇を、トーコの人差し指が封じた。

「あなたといっしょにいたいんです。ちょっとくらいズルしたって、いいですよね」

 優しい声。

 彼女が俺のどこに惹かれたのかはわからない。あるいは、ただの気まぐれだったのかもしれない。

 俺は彼女ではないのだ。わかるはずがない。

 しかし、俺がそれを望んでいることはわかる。

「嫌ですか?」

 問いかけるトーコ。

 答えなんて、きみはわかっているくせに。

「そんなことない」

 歓喜に打ち震える自分を抑えられなくて。

 俺は彼女の肩を掴んだ。

「よろしくお願いします」

「はい! ぷりちーらぶりーハロワレディ・トーコさんに任せてください!」

 そうして俺たちは微笑みあった。

「それと、ひとつお願いがあるんだ」

「ほえ? なんですか?」

「敬語、なしにしようぜ。そんな他人行儀な態度はいらない」

 言って、俺は彼女の頭を撫でた。

 その行為も、年上である(と思われる)彼女には失礼なことだったかもしれないが、トーコはくすぐったそうに目を細めた。

 受け入れてくれた証拠だ。

「うん!」

 俺はこれから始まるであろう波乱万丈な毎日に胸を躍らせていた。



 ――とはいえ。


 同居するなんて、思いもしなかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ