第八章
二人は一路、京都に向かっていた。何故京都なのか?一つには二人に何の所縁もないということ。もう一つは二人の感性を満足させるだけのものがありそうな予感がしたというだけのことである。つまり確たる目的も公算もなく、感性の赴くままに行く先を決めたのである。こうした論理を度外視した内なる声に身を委ねる姿勢こそ放蕩の源泉であろう。論理よりも欲望に忠実な行動というものは、実は我々にとってもそう珍しい事ではない。「何となく」行動を決める実例は、今日の昼食に何を食うか決める時から果ては結婚相手の選定に至るまでそこかしこに転がっている。ふとした時に顔を出すこの「何となく」こそ、もしかすると人間の行動にとって最も必要な原動力であるかも知れない。どんな選択的行動も最後にはこれに頼るしかないのである。ただこうした行動の原理は人間の社会生活の営みによって忘れられてしまう。人間は幼少の頃から常に目的のある行動、論理に従った思考を躾けられ、そのうち自らそれを心がけるようになる。そうして大概の人間はある程度の年齢に達すれば、自分の内なる声が聞こえなくなる。よしんば聞こえても何の注意も払うことなく、むしろ聞こえない振りさえして過ごす。それが世に言う良識のある人間の行動だからである。しかしそれは裏を返せば良識を諦めることによって少しずつ蘇るということに他ならない。落ち葉に埋もれた大樹の根の如く、良識が自由の風に吹きさらわれた時、そこにれっきとして自我の存在することに気付くであろう。
しかし美しく生きることに自我が必要であろうか?強いて言えば二人はそれを確かめに行ったのかも知れない。
二人は携帯電話の電源を切ったまま、銀行で可能な限りの金をおろし、東海道新幹線に乗り込んだ。平日の車内は意外にも混みあっていた。同乗の客は殆どがスーツを着たサラリーマン風の男で、同じようにスーツを着た二人はその中にあって何の違和感もなかった。
朝陽の差し込む車窓から、英治は流れる景色を見ていた。良輔は英治の心境を忖度しかねた。
(英治はこのあてもない旅に臨んで何を思っているのか?後悔はしていないだろうか?)
尤も良輔の心配事とは唯一それだけで、それ以外の何事も良輔の脳裡を掠めはしないのだった。
「天気が良くてよかったなあ」
良輔はひとり言のように正面を向いたまま言った。
「ああ、何たって門出の日だからね」
英治は日差しの逆光を浴びてこちらを向いた。輪郭は金色に縁どられて、そのまま砂塵の如く日に溶け入りそうな悲愴さを匂わせた。良輔は軽い憂鬱を覚えた。こんな美しさを前にして、自分には何が出来るだろう?良輔は名画を前にした時の様な、どうしようもなく美を持て余した者の居たたまれなさを感じていた。相手が女であれば、あるいは接吻する事も抱く事も出来たかも知れない。しかしそれは叶わぬ願いであったし、例え可能だったとしてもそれが美に対峙した時の最善の方法であるのか、良輔には疑問であった。
「こうしてみると平和というのはいかに作為的に象られた幸福であるかが分かる」
窓の外の街並みに目を向けながら、英治は突然そんな台詞を口にした。
「つまり安寧秩序などというものは人間の残酷性を極限にまでひた隠し、日の当らない場所に押し込んで暮らす術であるという事さ。でなければこんなに沢山の家屋が仲良く軒を連ねている光景などあり得ない事だ」
「どうして急にそんなことを?」
「僕はね良さん、愛と平和などというものを信じられないんだよ。なぜなら人間は愛のために争うからだ。僕は確かに両親から愛されていた。だがその愛は僕自身を圧殺した。僕の残虐性、利己心、虚栄心、その他の人間的な部分を全て否定してしまったんだ。僕は両親の愛に報いようとする自分の虚妄に耐え切れなくなって、その結果彼らを裏切る事になった。それを思えば、こんな健全な朝陽の輝く平和な街並みにこそ人間の残酷性は潜んでいるように思えるんだよ」
良輔は前の晩から「良さん」と呼ばれていた。面映ゆい気持ちもあったが、そこは好きにさせた。良輔はうなずいて答えた。
「それはそうだ。愛などというものは大いなる差別意識に過ぎないからな。愛する家族が死んだら悲しむが、その辺を這いずり回っているゴキブリはスリッパで簡単に叩き潰してしまえる。愛する者を守るためにそうでない者を殺してしまうんだ。愛と戦争は差別意識にまつわる光と影の関係だ。君のご両親は君を愛していたろう。しかしそれは自己愛の延長かも知れない。君がこうしてご両親の愛を逃れたときには、その愛がスリッパとなって追いかけて来るかも知れない。そんな愛の欺瞞性を君は今痛感している訳だね?」
「ああ、その通りだよ」
英治は安らかに微笑してそう言った。それは少し自嘲的な微笑であった。大学生の頃から薄々感じていた事が、あれから何年もたってようやく他人に理解され、真実味を帯びた皮肉に対しての自嘲であろう。過去にも英治はこの分かり切った事実をある時ふとした事から思い知らされ、そしてまた思い知らされたが故に事実は真実へと近づくという体験をしていた。ただこの演繹と帰納の行き来に、英治は時間をかけすぎた。その間の苦しみは筆舌に尽くしがたいものであった。英治に必要だったのはそんな論理的証明よりも行動であったに違いない。行動こそが英治の現実と真実を結び付ける唯一の手段であったからである。
その後二人が車内で仮眠をとっているうちに、京都駅に着いた。二人は電車を降りると、澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。